[不定期連載・歌舞伎座のクラシック者]その一の下 壽 初春大歌舞伎@新橋演舞場(1/26)

「その一の上」から続く。

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c0060659_22335074.jpg【2013年1月26日(土) 11:00~ 新橋演舞場】
<壽 初春大歌舞伎>
●一、 寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)
→三番叟 中村梅玉
 千歳  中村魁春
 附千歳 片岡進之介
 翁 片岡我當
●二、 菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)~車引
→梅王丸 坂東三津五郎
 桜丸  中村七之助
 杉王丸 坂東巳之助
 金棒引藤内 澤村由次郎
 藤原時平公 坂東彌十郎
 松王丸  中村橋之助
●三、 新古演劇十種の内 戻橋(もどりばし)
→扇折小百合実は愛宕山の鬼女 中村福助
 郎党右源太 中村児太郎
 郎党左源太 中村国生
 渡辺綱 松本幸四郎
●四、 傾城反魂香(けいせいはんごんこう)~土佐将監閑居の場
→浮世又平後に土佐又平光起 中村吉右衛門
 女房おとく 中村芝雀
 狩野雅楽之助 大谷友右衛門
 土佐修理之助 中村歌昇
 土佐将監 中村歌六
 将監北の方 中村東蔵


3 観てみた&聴いてみた
今でも「ハイライト集」の上演が続いている歌舞伎の世界。こういうスタイルってクラシックではもう廃れたけど、こっちのほうが客席の欲望に忠実と言えるんだろうねえ。
そして音楽やダンスは4演目ともばらばら。これが歌舞伎感想文の難しさを助長している。丁寧に書くと長くなるし、知識を前提にすると歌舞伎ファン以外には途端にわかりづらくなってしまう。。仕方がないので地道に書いていきます。

(1)寿式三番叟
おはなし
まずこれは20分くらいの全曲上演。能「翁」から派生した演目なので、ストーリーはあってないようなもの。歌舞伎では翁と千歳、三番叟に附千歳の4人が鳴り物付きで踊る舞踊に変化している。

伴奏と役者と踊り
この演目では、舞台奥の台に13人の大オーケストラ+7人のコロスが座っていて、その重厚な伴奏で4名が舞う。三味線が7人もいると圧巻だが、どうやらコンサートマスターみたいな「首席三味線」がリードして合奏を行なっていました(このオーケストラは囃子連中、と呼ぶみたい)
さらに面白いのは、小鼓や大鼓、笛以外の打楽器。バスドラムやトライアングル、グロッケンシュピールみたいな音のする打楽器は舞台の上におらず、袖のほうでドンシャラやってるんだよね。この差は何。能から派生しているからなのか。

歌舞伎の舞いは、僕には「舞い」じゃなく「踊り」に見える。「舞い」にないあざとさや外連味、クールな肉体さばきは、歌舞伎の芸能としての矜持だと思います。その意味ではチャイコフスキーなんかのバレエとそんなに遠くない。

で、コロス(長唄連中、でいいんだろうか)が唄う歌詞。
今月の初めに国立能楽堂で素謡「翁」を聴いたばかりで、同じ歌詞が使われながらもあまりにも異なる歌舞伎の様式に驚きを隠せない。たとえるなら「Veni Creator Spiritus」というラテン語歌詞を持つヒルデガルト・フォン・ビンゲンの聖歌と、同じ歌詞のマーラーの交響曲第8番第1部と、これらの差を思い起こす。

(2)菅原伝授手習鑑~車引
おはなし
菅原道真と藤原時平の政争を土台にしたすっげえ長い演目から、3兄弟が敵味方に分かれてケンカする幕を抜粋。時平も出るでよ。
寿式三番叟は舞踊だったけれど、この演目以降はすべて劇です。

伴奏と役者と劇
さて伴奏。急に小編成になるのが可笑しい。地の文を唄うエヴァンゲリスト的ナレーター・浄瑠璃と、それを伴奏する三味線のたった二人が、基本的に全編を前に進めていく(三味線の通奏低音チェンバロ感がすごい)。浄瑠璃のディクションは明快のひと言なので、字幕なんかなくたって問題ない。

坂東三津五郎・中村橋之助・中村七之助という、歌舞伎ファンでなくても知っている著名な俳優陣を間近で見る。これがまずミーハーな楽しさとして確かに存在する。
で、よく眺めていると、彼らの肉体とそこから繰り出される所作、江戸弁と古い口語の混合する台詞捌き(能と違って役者は「唄」わず語る)があまりにも美しくてついつい引き込まれてしまうんである。やっぱりかっこええ。

劇は3兄弟がそれぞれのボスによって引き裂かれているという鉄板の設定。そして後半で時平が現れて睨みを利かすシーンは、マンガやRPGの前半でラスボスが出てきて主人公たちを圧倒する作劇法の先祖みたいな感じで、妙にしっくりくるのよな。

(3)戻橋
おはなし
河竹黙阿弥作。鬼が夜な夜な人を攫うと噂の一条戻橋。通りかかった渡辺綱は、独り歩きの妙齢の女性を守って家まで送り届けようとするが、その女性こそ鬼だった、というこれまた鉄板のパターン。最後は渡辺綱に腕を切り落とされた鬼が、黒雲の彼方に飛び去るというワイヤーアクションも見もの。

伴奏と役者と劇
オーケストラは1st2nd3rd三味線の3名のみ。これに加えて、能の地謡のように地の文を担当する3名の唄い手が、舞台上手の台座に座ってる。作品によって伴奏のスタイルがあまりにも異なっていて混乱するなあ。。
三味線は原則的には3声部ユニゾンが多いんだけど、ときどき和音を発生させることにもこだわっているようなんだよね(内声である2nd三味線とかがキーマンっぽい)。謎の音楽だ。三味線の巧拙なんてこの先もわかる気がしない。。

それでです。この演目で、僕は歌舞伎の重大な魅力にとりつかれてしまったようだ。
それは、女形・中村福助が演ずる「扇折小百合実は愛宕山の鬼女」の凄まじいエロス。一流の女形は、女性なら無意識的に行うことができる仕草や表情を、実物の何倍にも増幅して客席に放射するんだなあ。手足の指先から頭のてっぺんまで、毒々しいくらいの女性性
女性は観ていて気持ちが悪くないのだろうか、、と勝手に心配するのだが、僕らはケルビーノやオクタヴィアンを聴いて楽しめるんだからあんまり関係ないのかな。。

(4)傾城反魂香~土佐将監閑居の場
おはなし
近松門左衛門作。絵師・土佐将監に師事する吃りの又平。弟弟子に栄達の先を越された悲しみのあまり又平は自害しようとするが、妻おとくの懇願で、生涯最後の作品として庭の手水鉢に自画像を描く。すると奇跡が起こり、手水鉢の反対側の面に自画像が透けて現れる。その一部始終を見ていた将監は又平に土佐の苗字を与える。歓喜する又平とおとく。

伴奏と役者と劇
今度のオーケストラは三味線2本のみ。エヴァンゲリストたる浄瑠璃がストーリーを進め、舞台の上の役者たちもよくしゃべる。

中村吉右衛門の又平。魯鈍な表情とトロい身のこなしを演じ、セリフも吃りまくりでほとんど何を言っているのかわからない。もっとも彼の巧妙さを感じさせたのは将監から苗字を許されたときの「笑い泣き」の演技で、歓喜が極まった大笑いから嬉しさのあまりの男泣きへ、完璧にシームレスな移行を果たしていた。これが人間国宝の至芸なのか。。

そして中村芝雀のおとく。前の演目で女形のエロスにKOされていた僕はもちろんこの役者さんをしっかり観たのだが、中村福助の若々しい官能とはまた一味違った秋の落ち葉のような情感に、涙が出てくるのであった。歌舞伎に泣かされるとはねえ。周囲の善男善女もみんなまなじりを拭ってました。

この演目は昼の部のトリだけあって長大だったが、退屈とは無縁だった。他愛もないプロットだけど、破綻はしていない(少なくとも日本人の僕としては無理のない展開に思える)。これはトンデモなストーリーを音楽の力で無理矢理つなぎとめているオペラと異なるんだなあ。

4 クラ者の雑感
・歌舞伎は全般的に19世紀オペラに似ていたけど、台本に感じる納得感が善い。オペラは劇として楽しむには台本がひ弱なことが多いし、歌入りの器楽として楽しむには台本が主張しすぎる。歌舞伎は(もちろん例外もあるんだろうけど)まごうことなく言葉と音が統合された歌劇だと思う。これは非常にショックです。

・能でも思ったことだけど、終演後の拍手が恐ろしくあっさりしている。これがクラシックのマナーともっとも異なる点だろうなあ。これだけの長丁場で、最後の演目も感動的、しかもこの日は千秋楽なのに、一般参賀どころかカーテンコールすら起きないんである。みんなこの昂った気持ちをどこにぶつけてるの??

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これが歌舞伎かー。おもしれー。
by Sonnenfleck | 2013-01-31 22:38 | 演奏会聴き語り
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