ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー|二人の写真家@夜の横浜美術館(3/9)

c0060659_19472216.jpg2月、たまたまNHKスペシャル「運命の一枚~"戦場"写真 最大の謎に挑む~」を見た。僕は不勉強で知らなかったのだけれど、「もっとも偉大な戦場カメラマン」と呼ばれた男、ロバート・キャパが撮影した一枚の古い写真に関するドキュメンタリーだった。

番組では、キャパが1936年にスペイン内戦で撮影した《セロ・ムリアーノ付近、コルドバ戦線(崩れ落ちる兵士)》Wikipedia)という有名な一枚が、実はキャパではなく、キャパに同行していたゲルダ・タローの撮影した写真ではなかったか、という説を作家の沢木耕太郎氏が紹介していた。
タローは世界初の女性戦場カメラマンで、キャパの3歳年上で、師匠で、ライバルで、恋人で、そして27歳でスペイン内戦を取材中に戦車に轢かれて命を落とした。《崩れ落ちる兵士》は、恋人を成功へ導こうとしたタローがキャパの名前で発表した「完璧すぎる」戦場写真だった。

タローの死後、キャパは命を省みないほど戦場の最前線を転々とし、圧倒的な写真を何枚も撮影し、最後はインドシナで地雷を踏んで爆死した。番組を見るかぎり、キャパはタローのあとを追って死ぬために生きていたかもしれなかった。

+ + +

そのキャパとタローの大規模な回顧展が横浜美術館で開催中なのです。
僕はたまたま美術館のサイトで発見した「夜の美術館でアートクルーズ」というイベントに申し込むことにして、なんとか限定30名の枠に滑り込むことに成功した。4,000円支払うかわりに、担当キュレーターの解説を聞きながら閉館後の美術館を楽しめる好企画(私立の美術館はもっとこういうのやってほしい)

当日の参加者は基本的にオヒトリサマが多くて快適。上は70歳くらいのじいさまから、下は僕と同世代くらいの数名。女性の比率がかなり高めだったのは興味深かったし、お互いに全然干渉しないのも好かった。
基本的に担当キュレーター氏の解説をレシーバで聞きながらついて回るんだけど、別に離れて別の写真を見ていても構わない。あまり離れすぎると別の職員さんがやんわりと流れに戻るように促す。

1 タローの個展
本展が面白いのは、タローの写真とキャパの写真が完全にそれぞれ別の部屋で構成されていること。キュレーター氏によると、本展の企画段階では厖大なキャパの写真に混ぜてタローの写真を展示する案もあったらしいんだけど、タローの写真を管理する団体(?)から「タローをキャパの飾りにはしないでほしい」という要請があり、議論のうえでこうした構成にしたのだとか(メモを取らなかったので間違ってるかもしれません)

タローの作品はもちろん、彼女が27歳までしか生きられなかったことを考えなければならない。成熟していくキャパの写真と同列に扱うことはできない。
それでも。それでも、そのことをタローの個性と見なしてよいのであれば。タローの写真は対象の像を画面の中心に納める安定的な構図が多いようだった。

c0060659_19474757.jpg
《海岸で訓練中の共和国軍女性兵士、バルセロナ郊外》(1936年8月)

c0060659_1948120.jpg
《戦艦ハイメ1世で楽器を弾く海兵たち、アルメリア》(1937年2月)

そしてその戒律は下の作品のように緊迫した状況でさえ守られた。
c0060659_19481888.jpg
《共和国軍兵士たち、ラ・グランフエラ、コルドバ戦線》(1937年6月)

タローがもし、スペイン内戦を生き抜いてカメラマンとして成長したら、どんな写真を撮ることになったのだろうか。それは誰にもわからない。

2 キャパの個展
実はタローと同じころにスペイン内戦を撮影したキャパの写真は、「戦場のドキュメントとしては」あまり目立たないんである。これが今回わかったタローとキャパのいちばんの違い。タローの写真からは土煙や血の臭いが漂ってきそうなのに。

それでもキャパの部屋を見て歩きながら、少なからぬ枚数の「知っている」写真が展示されていたのには驚いた。タローの死後、キャパは変わったのかもしれない。彼は戦場で戦闘を撮影するんではなく、人間を撮影することに決めたようだった。

c0060659_1948372.jpg
《難民の少女、バルセロナ》(1939年1月)

c0060659_19485259.jpg
《20人の少年パルチザンの葬儀、ナポリ》(1943年10月)

c0060659_1949748.jpg
《Dデイ、オマハ・ビーチ、ノルマンディー海岸》(1944年6月)

c0060659_19492025.jpg
《ドイツ兵との間にもうけた赤ん坊を抱いて家に帰る若い女性、シャルトル、フランス》(1944年8月)

キャパの写真は、キャパという人物の成長に伴ってどんどん決定的なものになっていった。技術的にも、対象の「重大性」という面でも。タローという人物が1937年のスペインに永遠に留まっているのとは対照的です。
でもそれゆえに、タローから離れていく自分が疎ましかったのかもしれない。キャパがあれほど真実に肉薄する写真を撮り続けられたのは、彼が命を惜しいと思わなかったから、という説もあるそうだ。

藝術として写真を見る方法を僕は知らないけれど、参考として展示されていたカルティエ=ブレッソンの美しい写真と、キャパの写真(および、タローの写真)とは、根本から何かが違うようなのだった。その違いを静かに観測した。

+ + +

この後、みなとみらい駅から東急東横線の急行に乗って、終点・渋谷駅のホームと大改札の姿を目に焼き付けたことを記しておく。さようなら僕の青春の渋谷駅。
by Sonnenfleck | 2013-03-17 19:52 | 展覧会探検隊
<< [感想文の古漬け]Ensemb... L'étoile de... >>