新国立劇場《ナブッコ》|ゴーストハックとエルサレムモール(6/1)

とある日曜の午後、昼酒をしていい気分のワタクシは、ふとヴェルディに近寄ってみることに決めたのだった。
今年のお正月から始めた歌舞伎鑑賞や、(ブログにはまだ書いていないけれど)バロックオペラの大傑作、レオナルド・ヴィンチ《アルタセルセ》をヘヴィに鑑賞してきたおかげなのか、不思議なことにヴェルディのベタなリズムや破綻したストーリーに対して愛着が湧く自分を発見しているからなのです。音楽の好みは移りゆく。だからこの趣味がやめられない。

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c0060659_7584968.jpg【2013年6月1日(土) 14:00~ 新国立劇場】
●ヴェルディ:《ナブッコ》
→ルチオ・ガッロ(ナブッコ)
 マリアンネ・コルネッティ(アビガイッレ)
 コンスタンティン・ゴルニー(ザッカーリア)
 樋口達哉(イズマエーレ)
 谷口睦美(フェネーナ)
 安藤赴美子(アンナ)
 内山信吾(アブダッロ)
 妻屋秀和(ベルの祭司長)
→三澤洋史/新国立劇場合唱団
→グラハム・ヴィック(演出)
→パオロ・カリニャーニ/東京フィルハーモニー交響楽団


まずは手近に鑑賞できる新国の公演を選ぶ。某オークションで安い席を競り落とす。序曲しか知らない作品なので、ムーティ/フィルハーモニア管の録音(1978年EMI)を取り寄せてiPodで予習しまくるのである。

一度目の聴き通しでは「ドンジャカうるせえなあ…」という率直な感想を抱くものの、二度三度と繰り返し聴いていくなかで耳が慣れてゆき、やがて若ムーティの強靱なオーケストラドライヴに身を任せることができるようになる。リズムはベタである。メロディも華やかだがキラキラして陰翳を欠く。ストーリーは超テキトー。しかしそれをこそ愛するのがイタオペ山の登山口と心得る。

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◆あらすじ
「バビロン捕囚」を題材とする歴史スペクタクル。しかしストーリーは混乱しており、主役は誰でもないという酷いありさま。フツーの現代の感覚からすると、この台本ではナブッコが主役とは言いがたい。。

☆大祭司ザッカーリアが指導するユダヤの民
☆ナブッコ王が率いるバビロニア

がいちおう対立関係にあって、ナブッコは第1幕でユダヤの地を蹂躙したうえ、民をバビロニアに連れて行く。でもナブッコに落ちた雷(雷よ?コントみたいでしょ?)のおかげで、王様は精神錯乱状態でピヨピヨ。そこへバビロニア内部でクーデターが発生し、ナブッコの庶子であるアビガイッレが権力を掌握する。

ところが「正気を取り戻した」ナブッコが急にユダヤの神さまを信奉しだし、支持されて再び王位を奪還(バビロニア人たちはそれでいーの?)。アビガイッレは自害。ナブッコは嫡流のフェネーナとともにユダヤの民とも和解して万歳万歳。おわり。視点はぐらぐらしっぱなしで、主役はいません。

◆音楽と演奏とうた
こんなにひどいストーリーなのに、ヴェルディの音楽は気持ちがよい。すっと胸がすく。
戦争シーンに合わせた行進曲や、タッタカタッタカタッタカ…と駆け上っていくようなリズム、それに乗る技巧的なアリア。《椿姫》と《オテロ》くらいしかヴェルディのオペラを知らなかった人間からすると、ヴェルディのなかにミトコンドリアのようにひっそり包含されているナポリ楽派オペラをあらためてここで発見し、実に爽快。アレッサンドロ・スカルラッティもハッセもポルポラもヴィンチも、みんなヴェルディのなかで生きてる!

それを、30年前のムーティの録音よりさらに気持ちよく実現させていたのが、今回のプロダクションの指揮を執るパオロ・カリニャーニである。
何度か読響に客演していたような気がするスキンヘッドのイタリア男、実際に聴くのはこれが初めてだけど、あちこちのオペラハウスに引っ張りだこなのがよくよく理解できたなあ。VcとCbを雄弁に語らせる、今どきの若い古楽アンサンブルのような通奏低音をヴェルディで実践したら、それは輪郭のくっきりとした音楽になるのは必定なわけです。
ピットの見えない4階席では、下から立ち上ってくる響きの生々しい美味しさ(ぷりっぷりのエビとか、汁がしたたるジューシーなトマトとか、噛みしめると野蛮な薫りがあふれるサラミとか、そういうもの)にノックアウト状態。あれっ?東フィルってこんな演奏をすることができる華やかなオーケストラだったっけ?という。

歌手はアビガイッレ役のコルネッティが美味しいところを持っていった感じ。巨体から発せられる、よくコントロールされた馬力。これがヴェルディのメゾソプラノの威力か。イズマエーレ役の樋口氏も爽やかで素敵でした。
タイトルロールのガッロはところどころで音程がよたつく。声もあまり響かない。しかし後述の演出に巧まずして合致してしまったので全然OK。

◆演出
で、演出です。演出のグラハム・ヴィックは、

☆ユダヤの民→ショッピングモールに集う現代の物質主義者たち
☆バビロニア→反資本主義的テロリスト集団

と読み替え、さらに舞台をエルサレムの神殿からショッピングモールに置き換える。舞台上には3層吹き抜けのモールが形成され、稼働こそしていないがエスカレーターまで設置されている。そして客席に入場したわれわれを驚かせるために、すでに開演前からユダヤの民によるショッピングモールでの演技が始まっており、リッチな着こなしの合唱団員たちがてんでばらばらにウィンドウショッピングを楽しんでいるのである。スイーツショップに高級ブランドショップ、アップルストアまでリアルに再現されてるので笑ってしまった(アップルストアのTシャツ店員までいました)

序曲が始まると、そこらじゅうのユダヤの民たちがバッグやシューズやクレジットカードに接吻したり、股ぐらに挟んだりする「拝金の踊り」を開始。あとで思い返すとこのシーンだけちょっと浮いていた感じもありつつ、やがて老リーダーのナブッコに率いられた極左テロリスト集団=バビロニアがショッピングモールを占領する。

このシーンあたりから、僕の頭のなかには「攻殻機動隊S.A.C. エピソード××:ナブッコ Nabucco」という妄想がむくむくと成長。
テロリスト集団の内部のクーデターなんて、いかにも!なお話だと思いませんか。対立する2集団(物質主義者とテロリスト)のいずれもが醜悪で、どちらにも正義がない。そして黒幕がいそう―

第2幕の最後で、自分は神だ!と叫んだナブッコ王に裁きの雷が下り、彼の精神が錯乱するというシーンがありますが、これもこの世界観ではゴーストハック。何ものかがナブッコの電脳をハッキングし、意志を操ったとしか見えない。さきほどから恣意的な見方を開陳しておりますが、それを可能にするバビロニア人たちの魯鈍なテロリストっぷりや、ナブッコの哀れな姿、裁きの雷のエフェクトなど、サイバーパンクを支持するさまざまな示唆があったのです。

そうなると、唆されてクーデターを起こした庶子アビガイッレは、みるみるうちに陰謀の犠牲者臭をまとうことになってしまう。黒幕は誰?ナブッコがユダヤの神さまを信奉し、アビガイッレが消えて喜ぶのは誰か?それはナブッコのもうひとりの娘・フェネーナをおいて他になし。何しろフェネーナはユダヤの国王の甥・イズマエーレと愛し合ってるんであるから。

さて《ナブッコ》の第3幕には、有名な「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」という囚われのユダヤの民たちが歌う合唱がありますが、これもヴィックの演出では金品への執着から逃れられない元・物質主義者たちの哀れな合唱に変容していました(バッグやシューズやMacBook Airの残骸を愛おしそうに抱きしめながら歌う振り付け)。救いようがないすね。
それを励ますユダヤの大祭司・ザッカーリアも、神の預言を語る直前、ハアハアいいながら腕にドラッグを注射していたので(単眼鏡が大活躍!)これまた醜い。テロリストも愚鈍だがこっちもひどいもの。

それらの混乱を強制終了に導くのが、ラストシーンの演出です。
組織のリーダーに返り咲いたナブッコ(ただし僕の二次的な妄想では黒幕フェネーナによって操られたまま)は、よりによって最後にショッピングモール1階の床をぶち抜いて、苗木を一本植えるんだよね。この唐突なエコ!演出家がラストの偽善をまったく信じていないのは明々白々。この場合は混乱を全能的に収拾するデウスエクスマキナが、苗木の形を取っているにすぎない。バビロニアの偶像は崩れたけれど、今度はこの苗木が新しい偶像である。フェネーナさえ偶像に気がつかない…!

目に鮮やかで楽しく、愉快な皮肉も効いた名演出だと思いました。おわり。
by Sonnenfleck | 2013-06-02 12:29 | 演奏会聴き語り
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