【2013年7月7日(日) 11:00~ 観世能楽堂】
<七月観世会定期能> ●能「景清」 松門之出 小返 →片山幽雪(シテ/悪七兵衛景清) 坂井音隆(ツレ/人丸) 浅見重好(トモ/人丸ノ従者) 宝生欣哉(ワキ/里人) →一噌仙幸(笛) 大倉源次郎(小鼓) 國川純(大鼓) ●狂言「太刀奪」 →大藏吉次郎(太郎冠者) 榎本元(主) 宮本昇(通行人) ●能「半蔀」 →関根知孝(前シテ/里女|後シテ/夕顔女) 福王茂十郎(ワキ/僧) 大藏教義(アイ/所ノ者) →松田弘之(笛) 亀井俊一(小鼓) 柿原弘和(大鼓) ●仕舞「高砂」 →木月孚行 ●仕舞「通盛」 →上田公威 ●仕舞「桜川」クセ →野村四郎 ●仕舞「阿漕」 →片山九郎右衛門 ●能「鵺」 →武田尚浩(前シテ/舟人|後シテ/鵺) 則久英志(ワキ/旅僧) 大藏千太郎(アイ/里人) →内潟慶三(笛) 森澤勇司(小鼓) 亀井広忠(大鼓) 小寺真佐人(太鼓) ●附祝言 梅雨明けの朝の渋谷を歩けば、松濤の山上に観世能楽堂あり。開店した109に雪崩込むギャルたち、パチンコ屋の入店を待つ長い行列、至近に狂乱の円山町、、これはいとも不思議のことなり。 観世流の総本山である観世能楽堂を訪ねたのはこれが初めてです。水回りを見るにつけても建物自体は結構古いようですが、内部はきれいに保たれてる。 お客さんは宝飾品をじゃらじゃら付けた威風堂々たるマダム率が(国立能楽堂に比べるとかなり)高くて、今の世のパトロンたちを垣間見る思い。彼女たちの「上品な下品」こそ、本物のお金持ちの証だろう。 この日は、というかこれが普通なんだろうけど、能三本に狂言一本、仕舞が四本というたっぷりスタイル。国立能楽堂の公演が安いのは公立ということもあるだろうが、そもそも番組が小さいからというのもあるんだろうなあ。 + + + ◆1 ラモーまたはワーグナーとしての観世流 一曲目「景清(かげきよ)」。 これは平家の猛将・悪七兵衛景清こと伊藤景清をシテとした作品です。景清は大河清盛には出てきませんでしたが、伊藤忠清の七男。 ここではまずオーケストラによる前奏曲と、ご宗家が中に入った地謡が、いずれも荘重かつ重厚でびっくりしてしまった。2ヶ月間、自分が観能から離れていたせいだけではなくて、観世流の劇的な性格が強く観測されたと考えるのが自然のように思う。はっきりとしたキアロスクーロに、音楽的豊満さ。ものの本などに書いてある観世流の特長が徐々にわかるようになってきた。 その特長を踏まえたうえで、シテ・片山幽雪氏の、老いと悔いが滲んだレチタティーヴォが印象に残っている。手元に詞章がなくて半分くらいは聞き取れなかったのだけど、意味があるかどうかはあまり関係ないんだろうな。 かつての傲然とした武者姿の残像をこちらに放ちつつ、盲目となって手に持つ杖の震えにこもる執心。これは亡霊のなりかけとしての盲目なのだ。 ◆2 ラモーとリュリのちがい 二曲目は「半蔀(はじとみ)」。 前半で若い女、後半で「源氏物語」の夕顔の亡霊が登場する複式夢幻能です。第五帖「若紫」で与謝野源氏をいったん断念した僕でも知っている(苦笑)第四帖「夕顔」の主人公が、源氏との思い出を語り舞う美しい時間。 今回の正味5時間のなかで僕がもっとも能の恐ろしさを感じたのは、実はこの作品の後半、夕顔の亡霊が、夕顔の蔓這う半蔀の奥からこちらを真っ直ぐにじっと見ていた数分なのだった(こちらに参考画像のリンクを貼りますが、ゾワッとくるので注意)。 露わになっていても人の顔と紛うことの多い能面が、蔓や花弁や瓢箪でまだらに隠れれば、それはもう明らかに人である。声も体格も普通のおじさんのはずなのに、そこにいたのは若い女の亡霊であった。舞台に風が吹き抜けて、夕顔の花が揺れる。まことに幽冥の藝術である。 オーケストラの面では、小鼓の亀井老人の、擦るような呻くような柔らかいアーティキュレーションが舞台を涼やかにしていたし、「景清」とは明らかに発声メソッドを変えた地謡もしっとりした趣があった(または、あれが地謡の「楽譜」の違いのせいなのだとしたら、わかったことが大きい)。 でももしかしたら、先に述べた観世の特長は「景清」や「鵺」でこそパーフェクトに達成されるのかもしれない。曖昧に消えかかる輪郭よりも。これはリュリやシューベルトが担当すべき世界だ。 ◆3 豊麗の奥に潜む何か 三曲目は「鵺」。 能の上演の最後はこういう異形が登場する五番目物によるんだよね。五番目物一曲だけで上演されるときよりも、今回のように巨大な序破急のなかで取り上げられるときの効果は無類なのだろう。スペクタクル。と、知識ではいったん理解している。 ところが、実際に見てみれば、前シテで岸辺に漕ぎ寄せてくる「異形の水夫」のほうが、後シテの鵺本体よりもよほど恐ろしかったのが興味深い。舞台に青臭い水辺のにおいが立ち込めたが、それはシテ武田尚浩氏の持つたった一本の竿のせいである。 ◆4 身体のためのエチュード 実は、今回の比較的暗く静かな番組のなかで、身体性の発露をもっとも強烈に感じさせたのが四曲の仕舞であった。 仕舞というのはマスクも装束も着けず、オーケストラもなく、コロスだけを従えて任意の能の場面を舞う形式。上演のときにはたぶん流派の実力者たちがこのかたちで登場する。 上田公威氏の「通盛」と片山九郎右衛門氏の「阿漕」は男ざかりの身体の勁さを、木月孚行氏の「高砂」は優雅な身体の運びとはこういうものだということを、それぞれに教えてくれる。5分の時間の重いこと!特に片山九郎右衛門氏の身体から立ち上る整頓された熱気に、4月に近美で見たベーコン展の残像が重なってしまった! そして2月の「砧」以来となる野村四郎氏は、「桜川」で脂の抜けた澄明な身体を見所に見せる。扇を持つ手は老いによる震えが無視できないほどではあるけれど、シテの狂乱と一体化して、しかもその周囲にはらはらと散る桜花を幻視させるくらい美しい。 + + + 能楽堂を出ればいつの間にか夏の日は傾き、遠くに積乱雲が見える。夏なのだ。
by Sonnenfleck
| 2013-07-13 08:49
| 演奏会聴き語り
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