【2013年7月25日(木) 18:30~ 国立能楽堂】
●狂言「瓜盗人」(大藏流) →茂山千三郎(シテ/男) 茂山正邦(アド/畑主) ●能「熊坂」(宝生流) →朝倉俊樹(前シテ/僧|後シテ/熊坂長範) 宝生欣哉(ワキ/旅僧) 茂山逸平(アイ/所ノ者) →一噌幸弘(笛) 鵜澤洋太郎(小鼓) 柿原弘和(大鼓) 金春國和(太鼓) 国立能楽堂・7月企画公演「蝋燭の灯りによる」に行ってきたのだ。時間的に狂言には間に合わなかったが、観能7回目にして初の蝋燭能であるよ。蛍光灯の下に亡霊や死霊は現れにくいのであるから。 当日はこのように、舞台の周りにぐるりと蝋燭が灯されている。席に座っていると小さな炎は和紙の外側には露出しない。そのぶん、その影を紙に落として炎は何倍にも膨れあがる。 僕はこの公演がどうしても見たくて、発売日当日に電話をして正面席一列目真ん中を押さえていた(世が世なら御殿様が座る席ですね)。でもこの選択は失敗だったかもしれないなあと、はじめは思ったのよ。炎との物理的な距離が近いと、視界に入る周囲の闇の量が少なくなってしまうのね。 ともあれ、仕手の真ん前で身体を観察するにはもってこいの場所だ…と割り切って舞台に目を移した僕を、だんだん闇が浸食してゆく。 なんということはない。僕の目の前で、たかが23メートルのあの至近距離ですら、シテの身体性が薄まって消えてしまったのだ。闇が濃い。闇が重い。もったりと澱んだ闇があちこちを覆っている! + + + ◆1 盗賊と僧侶 「熊坂」のお話は次のとおり(公演パンフより一部抜粋)。 都の僧が東国へと下る途中、美濃国・青野が原にやってくる。すると一人の僧体の者が旅の僧を呼び止め、今日はあるひとの命日なので回向をしてほしいと、街道筋からはずれた古塚へと案内して供養を頼む。 ◆2 面と装束と蝋燭 この「熊坂」では、長霊癋見(ちょうれいべしみ)と呼ばれる、熊坂長範が登場する能でしか用いられない独特のマスクが用意される(画像はこちら※ちょっと怖いので夜中などご注意)。 個々でも再三書いてきたが、舞台上で能面は明らかにひとの顔を志向する。ひとの顔になりたがる。蛍光灯の下ですらこのような幻視を体験するのだから、いわんや蝋燭の灯りにおいてをや…である。 斜め下から蝋燭の光に照らされた長霊癋見は、シテの朝倉氏の人格を喰い破って身体を支配し、しかし亡霊であるからその操る身体の境界を曖昧にし、ついには浮遊するかのような舞いを舞わせる。この浮遊する感覚は、現実的には朝倉氏の身体能力の高さのゆえだろうし、夢幻的には蝋燭のせいであろうと思う。 牛若との一騎打ちを再現する舞いで、シテの振り回す薙刀の切っ先は正面に座る僕のほうを捉えている。斬られる。マスクのうつろな眼窩だけが炯炯と実在する。 そして能装束である。あの蠱惑的な蝋燭光の反射、朱暗い黄金色は、装束が持っている真実のエネルギーが放出されていた証ではないかと思う。もう本当に心の底から震えるように美しいのだよ。蛍光灯の平たい光はこのエネルギーを放射させないための拘束具なのか。。 ◆3 ピリオドアプローチとしての蝋燭能 それが産み落とされた時代の様式で実践するという姿勢が、古楽と蝋燭能の明確な共通項である。 ガット弦を張ることによる音色の豊かな幅と、蝋燭を灯すことによって導かれる舞いや謡いの陰翳とは、同質の「訪れ」。能における空間のキアロスクーロは、たとえばバッハやモーツァルトに不可欠なガット弦の用意やボウイングやフレージングと何ら変わらないどころか、それにも増してさらに重要な因子である可能性が高い。これがわかったのは本当に大きいです。 蝋燭のぼんやりとした灯りの下では、囃子方も地謡も、ワキですら木像のように静かで、人格を喪っている。シテが見ている幻が観衆にも逆流して、孤独な一人芝居としての能の性格を際立たせるのだよね。そういえば古楽も密室の愉楽なのであった。
by Sonnenfleck
| 2013-07-29 06:23
| 演奏会聴き語り
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