旅のお供として東京から持ってきたCDのなかに、若き日のポリーニが録音したシューベルトの後期三大ソナタ集があります。僕にとってシューベルトのピアノ・ソナタの基準はポリーニの演奏。ケンプでも内田でもブレンデルでもなく、ポリーニなんです。19番と20番は、彼の煌めくような音とギリシア彫刻のようにマッシヴな構成感に魅了されてかなり聴き込みました(
宇野功芳なんかはそういった彼の特徴そのものが生理的に好きでないようなので、こりゃもう永遠に平行線ですなとイエヨウ。薬ニシタクモナイ)。でも…第21番変ロ長調 D. 960 だけは、どうしても作品そのものに近寄りがたい。というより、怖い。
まず、第1楽章冒頭主題の虚ろな旋律の裏の、
執拗な低音トレモロが怖い。それから第2楽章の
不気味な清潔感が怖い。そしてなにより
楽章構成の脈絡のなさが怖い。あれだけ第1楽章で沈降した気分が、第4楽章でむりやり、なかばやけくそ気味に明るくぽーんとほっぽり出される。ぼんやりしていると、曲についていけないままいつの間にか演奏は終わって、時間表示は'00''00に戻っているわけです。
この作品、ソナタという箱の外側も脆弱そうだし、いざ蓋を開けてみても中に空虚さが充満しているばかり。果たして実態がつかめない。前に本か何かで「自分は精神的な危機のとき、幾度となくこの曲に救われたのだ」という重々しい吐露を見かけたことがありますけど、僕の幼稚な耳ではよくわかりませんです。