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晴読雨読:稲垣足穂『一千一秒物語』

晴読雨読:稲垣足穂『一千一秒物語』_c0060659_11265194.jpg稲垣足穂『一千一秒物語』、1964年、新潮文庫。

僕は70年代に青春を過ごしたわけではないので、晩年の足穂がどれほどの社会現象を巻き起こしていたか、知るよしもない。ただその世代の述懐を読むと、いかに多くの若者が足穂の「変な世界」に魅了されていたか、感じ取ることができます。

本書には、1922年の『チョコレット』、23年の『一千一秒物語』に始まり、26年の『天体嗜好症』、40年の『弥勒』、54年の『A感覚とV感覚』にいたる作品が収められていて、足穂作品の道程を俯瞰することができる。
20年代の足穂は、その未来派的な超越性により、文壇のアヴァンギャルドとして注目されていたようです。陰惨な私小説とプロレタリア文学が渦巻いていたこのころに、ストーリーをなかば無視し、人工的イメージだけを連続的に並べる彼の作風がどんなに突飛だったか。文学における《イオニザシオン》みたいな感じですよ。世界を輪切りにしたとき、ああ日本にも「黄金の20年代」があったのかという驚きがあるのは間違いない。ショートショートで月と星と瓦斯燈のイメージを並べ立てる『一千一秒物語』は、大正の最良のエッセンスだろうなあ。

でもこのラヴェル的簡潔だけで終わらないのが足穂の面白いところ。30年代、アルコールとニコチンの中毒にやられた彼は、40年の『弥勒』以降、ニヒリスティックな自伝的告白に打って出ます。…本書では前半に簡素の極みのような初期作品が並んでいるだけに、これと46年の『彼等』は読み進めるのに根気が要りましたです。文章は行きつ戻りつ、主語述語を省略、時間を歪ませ、さらにかつての人工的な美しいイメージをきらきらと纏いながら展開されるので、なんとも読み難い。『弥勒』での、自らの中毒と貧しさを眺める透徹した目、少年への濃密な愛を描く『彼等』。
エッセー『A感覚とV感覚』。男性器/女性器という二大感覚を、anusの裏返し/anusからの分岐として説明づけた…理詰めの熱い中編です。こんなこと言ってる文章は初めて読みましたよ。ところどころ引用される例証の数々はかなり楽しいのですが、全体的な論の展開になんだかしっくりこないのは、僕の理解力不足によるのか、はたまたanus的なるものへの後天的(!)嫌悪のせいか。
by Sonnenfleck | 2005-09-07 13:35 | 晴読雨読 | Comments(0)
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