ロジェストヴェンスキー/読響:西行−グラズノフ大綱引

c0060659_19274122.jpg【2005年9月9日(金)19:00〜 第120回名曲シリーズ/東京芸術劇場】
●グラズノフ:交響曲第4番変ホ長調 Op. 48
●同:《四季》Op. 67 [西行短歌の朗詠付き]
→栗原小巻、滝田栄(短歌詠み人)


どうしてロジェヴェン大先生が毎年来日してくれるのか、理由はよくわからんですが、本当に嬉しいかぎり。もっと彼をありがたがろうじゃありませんか。昨年はストラヴィンスキー・ツィクルスでしたが、今年のメインはなんとグラズノフ!生誕140年だから、かしら。「ロシアのブラームス」とか言われてるらしいですが、グラズノフはグラズノフ。帝政ロシア・アカデミズム最後にして最高の作曲家っすよ。その文脈から言えば、チャイコも5人組もこの人のための布石にすぎないと思います。

前半の第4交響曲は1893年の作。グラズノフの美点がたっぷり盛られた上質の作品であります。リリカルで上品な旋律が並行的重層的にこれでもかと置いてあるのですが、ひとつひとつの旋律は決して行き過ぎることなく、派手に結実することなく、重なり合いながらいつのまにかすぅ…と消えてしまう。哀しみも歓びも微糖の美徳のうちに抑制されます。というわけで、鈍感な演奏だと飽きが来てしまう可能性がないではないけれど、やっぱりロジェヴェンは巧いのでした。彼の美麗な指揮(本当に美しいのです)は、その瞬間なにに焦点を合わせているのかが非常にわかりやすいんですが、Vaの強調、木管を歌わせること、一方で1stVnの抑制、直後トゥッティのクレッシェンド、ところどころワーグナー、というように、彼は凄まじい集中力で微細な焦点移動をおこなうことにより「グラズノフの美徳」を感覚的なものから理詰めのところへと見事に引き上げて提示してくれる。初めのうちただ漠然と旋律に身を任せていた聴衆も、最後はすっかりロジェヴェンマジックに引き込まれて熱狂です。

後半はなんと、バレエ音楽《四季》に西行の短歌を挟むという奇怪なプログラム。発案は指揮者の由。
和服姿の詠み人栗原小巻と滝田栄が、先日の《叙情交響曲》のように指揮者の両脇にソリストとして配されます。栗原は劇的な節を付けて、滝田は朗読調に淡々と「冬」の歌から詠み始める。弦のフラジョレットが印象的な冷たい曲調のグラズノフの「冬」は、直前の西行との破綻をなすことなく、厳しい輪郭で提示されます。
ところが「春」以降は、曲調と西行との間の差異が著しく目立つのであります。実に喜ばしげなペテルブルクの春と、いま絶え入らんとするかのような西行のペシミズムとが本当に全然相容れないので、思わず笑ってしまう^^;; さらにペテルブルク人にとっての「夏」は避暑地ヤルタだったりするわけで、開放的で豊穣な南国ムード満点でグラズノフはノリノリでナンパ…かたやそぼ降る五月雨を凝と見つめる西行、、みたいな。おまけにグラズノフの「秋」はバッカナールでして、遠くの鐘の音に無常を聴く西行とは金輪際交わらぬ平行線ですな。異質な両者を並べることで互いを引き立たせるっていう狙いはうまく的中したと思います。ただし「夏」あたりで席を立つ人もちらほら見られたのは事実で…この遊びがキッチュじゃないと断言することはできないですね。僕は素直に楽しみましたけれど。
演奏は実に上質。バレエ音楽らしい小股の切れ上がった軽快なリズムを大事にしつつ、グラズノフらしい仄かな甘みから外れることなく、「行き過ぎない」愉しみにあふれていました。
by Sonnenfleck | 2005-09-10 19:29 | 演奏会聴き語り
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