シンポジウム「マウリツィオ・ポリーニ ノーノを語る」

c0060659_2328256.jpg【2005年11月1日(火)19:00〜 東京オペラシティ】
●第1部 シンポジウム
→マウリツィオ・ポリーニ、アンドレ・リヒャルト、岡部真一郎(司会)、岡本和子(通訳)
●第2部 上映会:ドキュメンタリー・フィルム《海の航跡》

もともと今秋のポリーニ来日公演のセット券購入者への特典企画だったらしいですが、一般枠にはがきで応募したらありがたいことに当選しました。入場者は全部で200〜300人といったところ。
今回の来日では、ベートーヴェンプロ・ショパンプロのほかに「ポリーニ・プロジェクトⅡ」としてルイジ・ノーノの《森は若々しく生命に満ちている》日本初演を中心に据えた現代曲プロが予定されてます(11月3日@オペラシティ)。その前提として本シンポジウムでは、作曲家と生涯熱い友情を保ち続けたポリーニ、そして晩年の作曲家の片腕として多くの作品でサウンド・プロジェクションを担当していたリヒャルトをパネリストに、ノーノ作品の特性についてレクチャーが行われました(およびポリーニのミニ演奏つき!)。以下、メモをもとに箇条書きで軽くまとめてみます。

ポリーニ
・現代の音楽言語は多様化しているが、そのどれも間違いではない。演奏家は作曲家が拠った音楽言語に従うべきである。
・「点の連なり」:シュトックハウゼンのクラヴィーアシュトゥック Op. 7 、一部演奏
・「広い音域中でのメロディ移動」:《エロイカ》第2楽章冒頭主題、一部演奏
・66年、ヴェネツィアでのノーノとの出会い→《森は若々しく...》の初演で衝撃を受ける。
・それまでノーノ作品に興味はなかったが、このときノーノにピアノ曲の作曲を依頼する→《…苦悩に満ちながらも晴朗な波…》の誕生へ。
・《森は若々しく...》は学生・労働者・ゲリラの声をテキストとし、強い左派的メッセージ性をはらむが、これは現代にも通用する→自分はその政治的価値ではなく、芸術的価値によってこの作品を演奏する
・《…苦悩に満ちながらも...》のテープなしバージョン(!)一部演奏。

リヒャルト
・最晩年のノーノは音響・空間の役割について強い関心を持っていた→《プロメテオ》、弦楽四重奏曲(→ポリーニ「ヴェネツィアの作曲家たち、特にガブリエリなんかもそうだよね」)→スピーカーやテープを用いて「音の方向を操る」
・ノーノと一緒にヴェネツィアを歩いていると「あちらからあんな音が、こっちはこんな音がしてくる」とのコメントがよくあった→ノーノは「役者なしの音芝居」を人工的に創造しようとした。
・芸術ジャンルの総合としての《プロメテオ》。なかでも「視覚の束縛からの解放」* を目指したレンゾ・ピアノ設計の演奏会場(巨大なヴァイオリンの内部)。
(* これと同じ理念で磯崎新が設計したのが秋吉台国際芸術村のホール)
しかし作曲家において「芸術>テクノロジー」は明らかなことである

後半の映画は、ノーノの人生と芸術信条を扱ったドキュメンタリー。
作曲家の古い友人だったポリーニとアバド、作曲家の妻でシェーンベルクの娘であるノリアが証言する形で進んでいきます。映し出される映像はヴェネツィアの風景なのですが、どれも曇って薄ら寒く、静か。バックを流れるノーノ作品、マーラーの9番、マレンツィオなどとあいまってずいぶん詩的な様子でした。でもできたら英語の字幕はほしかった((((^_^;)
11月3日の「ポリーニ・プロジェクトⅡ」、出かける予定です。楽しみ。
by Sonnenfleck | 2005-11-02 23:29 | 演奏会聴き語り
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