マリス・ヤンソンス/バイエルン放送交響楽団:理想を受け止めること

【2005年11月23日(水・祝日)14:00〜 来日公演/横浜みなとみらいホール】
●チャイコフスキー:Pf協奏曲第1番変ロ短調 Op. 23
 ○アンコール ブラームス:Pfソナタ第3番から第3楽章スケルツォ
 ○      スカルラッティ:ソナタハ短調
→イェフィム・ブロンフマン(Pf)
●ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調 Op. 47
 ○アンコール グリーグ:組曲《ペール・ギュント》から〈ソルヴェイグの歌〉
 ○      ストラヴィンスキー:組曲《火の鳥》から〈カスチェイ王の魔の踊り〉


前半はブロンフマンをソロに迎えて、チャイコフスキーの協奏曲。
あの有名すぎるイントロ、あの冒頭だけで、ご飯三杯いっときますかという感じです。オケ、ソロともども肉厚で重く、しかも引き締まった響き。モダンの大オーケストラを聴く快楽がここに極まっている。何一つ考えることなく豪華な響きに身を浸す…そんな経験も久しぶりです。
(*さもないような常套句が並んでいますが、それ以上でもそれ以下でもないのでお許しください。でも「聴衆に聴かせること(なんて普通のことだろう!)」を第一義とする音楽をここまで高いレベルで達成する演奏というのは、信じられないくらい稀少だと思うのです。聴衆が頭の中でイメージするある種の理想に添う演奏(この理想は絶対で、現実の演奏は永遠に敵わない)と、その理想を裏切ることで聴衆を飽きさせない演奏と、いまどちらが流行りかといったら後者でしょう。それに、率直に断言してしまえば、たぶん後者はより楽なのです。)

ただし留意すべきなのは、これまでCDで聴いてきたヤンソンスという指揮者は、えてして後者の道を選択することが多かったということ。後者のほうが恐らくはっきりと聴衆に受けるのだろうし、彼自身が聴かせどころを見抜く確かな目を持っていることも災いしてか、、少なくとも、僕はこの人が録音したショスタコーヴィチがまったく好きになれなかった。過度にドラマティック、あざとい急発進や急加速、小賢しい表情づけだらけで、なんて趣味の悪い人だと思っておったのです。事実今回も、休憩時間までは、前半の得も言われぬような気持ちよさは全面的にソリストに合わせたからに過ぎぬと考えていた。彼はあのとおり悠然として鷹揚なピアノを弾く人だし。…でも。

今回の第5は、なんともごく自然な演奏でした。
第5はショスタコ作品の中でももっともいろいろな小細工を入れやすい、言ってしまえば隙間の多い曲だと思います。また聴衆も(単に慣れの問題だろうが)小細工入りの演奏をイメージしやすい。しかも一度きりのライヴでは、ミクロに入り込んでも非難されにくい。甘い罠です。
でも、この日の演奏はインテンポで厳しく自己を律したスリムなもの。短絡的な演出過剰もほとんど鼻につかず、聴衆の期待とがっぷり四つに組んだすばらしい演奏だったと思います。しかも極度の集中と脱力(むしろ慣性、かな)を巧く使い分けて、緩急のはっきりした高密度の音響を作りだしていました。特に第3楽章での充実感は、これ以上望めないほどのもの。安心しきって大きな流れに身を任すことができるなんて、贅沢な話です。
バイエルン放送響はいわゆる「やりすぎ」を自ら戒める力を持ったオケなのだろうし(凡百のオケが嬉しくて興奮しちゃう箇所でも我を忘れないこと。たぶんこれはかなり難しい)、ヤンソンス自身も堂々と正攻法のアプローチを選んだ。結果が悪かろうはずはない。こういう演奏にこそ「感動的」という形容詞がふさわしいと思います。
(*「これがヤンソンスの深化だべ?んだすべ?」と簡単に言い切ることはしません。この人は、今回のように正攻法を取ることができるレパートリーを実はそれほど多く持たない指揮者なんじゃないかという気がする。いまやヨーロッパの新「帝王」はどう見てもヤンソンスですが、これからこの人がどうなっていくか、そして聴衆によって彼がどのように評価されていくのか、興味深く見守っていきたいところ。)
by Sonnenfleck | 2005-11-25 19:14 | 演奏会聴き語り
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