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新国立劇場《アンドレア・シェニエ》最終日

新国立劇場《アンドレア・シェニエ》最終日_c0060659_2314272.gif【2005年12月5日(月)14:00~ 新国立劇場】
●ジョルダーノ:歌劇《アンドレア・シェニエ》
→カール・タナー(T、アンドレア・シェニエ)
  出来田三智子(S、マッダレーナ)
  セルゲイ・レイフェルクス(Br、ジェラール)
  青戸知(Br、ルーシェ)
  大野光彦(T、密偵)
  竹本節子(MS、コワニー伯爵夫人/マデロン)
  坂本朱(S、ベルシ)
  大久保眞(Br、マテュー)
  石崎秀和(Br、フレヴィル)
  加茂下稔(T、修道院長)
  小林由樹(Br、フーキエ・タンヴィル)
  大森一英(Br、デュマ)
  大澤建(Br、家令/シュミット)
  三澤洋史/新国立劇場合唱団
フィリップ・アルロー(演出)
→ミゲル・ゴメス=マルティネス/東京フィルハーモニー交響楽団


運よく時間が空き、アルロー新演出ということで気になっていた《アンドレア・シェニエ》の最終公演を観ることができました。しかし平日のマチネーってのはじつに後ろめたい気分になりますね((((^_^;)
ところが入場してみると、ロビーに張り出されていたのは「マッダレーナのゲオルギーナ・ルカーチが今朝風邪ひいちゃったよゴメンネ」の告知…。代役にコワニー伯爵夫人役の出来田三智子さんがスライドし、それにともなってマデロン役の竹本節子さんが二役を演じるとのこと。期待と不安が混じる微妙な空気のなか、幕が開きます。

...といっても、すべてのイタリア・オペラと完全に断絶した音楽生活をずっと続けてきたため、恥ずかしながら《アンドレア・シェニエ》という作品を観るのも聴くのも実はこれがまったくの初めて。ジョルダーノがこれを作曲したのは1896年で、ヴェリズモで、扱うのはフランス革命に飲み込まれる詩人と元貴族との悲恋…なるほど。→みたいな感じでありますから、感想はごく簡単な印象批評で。(以下ネタバレ注意)

配布された冊子によると、アルローは
第1幕:革命直前のコワニー伯爵邸→ブーシェ、フラゴナール⇒貴族がまとう白い服
第2幕:恐怖政治下のパリ→ドラクロア⇒あちこちで氾濫するトリコロール
第3幕:革命裁判所→ゴヤ⇒猥雑・凶暴でどことなく暗い民衆
第4幕:サン・ラザール牢獄→フリードリヒ⇒意思を持つような白い絶壁
というふうに絵画的に捉えたそうで、なるほど観ているこちらとしては、太字で書いたような素材がしっかりと脳裏に焼きつきます。事前の解説文も手伝ってか、初見の僕でも理解できるような非常にわかりやすい舞台づくり。もちろん、なんとなくそれらの画家を匂わせるカナ?、くらいの使い方なので安易さはない。かゆいところに手が届くような、こまごまとした美術の美しさがこの演出家の真骨頂のようです。

ひとつ、というか唯一、非っ常に驚かされたのは、第4幕の結末であります。
台本ではシェニエとヒロインのマッダレーナが手を取り合って処刑場に向かう場面でおしまいらしいんですが、アルローの演出では舞台上の白い絶壁がぱっくりと横に開き、幕切れの劇的な二重唱を歌った主役二人のほうへ向かって奥のほうから群集たちが歩いてくる。《ホフマン物語》の幕切れと同じく、その群集はそれまでの幕で登場したすべての群集を同じ服装で表現しているようです。
どうもこのへん既視感が…と思っていると、突然主役二人を含めたすべての群集がいっせいに地面に倒れ伏します!そしてよく見ると、数人の子どもたちだけが「生き残って」呆然としつつ、彼らだけで集まってどこかへ歩いてゆこうとしている。。これはええと…クプファーのリングの幕切れにそっくり、じゃないですか?あれはヴァルハラ炎上を映すテレビに見入る大人たち/そこから立ち去る一組の少年少女、というかたちだったかと思いますが、未来を「子ども」で表現するという点では同じ視点に立っているのじゃないかと。そして、、ああやっぱりうまく出来すぎ、という印象も残すのであります。
(*他の方の感想はまだひとつも読んでませんので、ただの勘違いのような気もします。)

* * * * * *

曲のことをよく知らないので歌唱・演奏についてあれこれ言える立場にはないんですが、この作品の(たぶん)要であるジェラールを「人間らしい弱さ」をもって歌いこんだセルゲイ・レイフェルクスと、オケを見事にドライブして山猫のようにしなやかで凶暴な響きを引き出した指揮者のミゲル・ゴメス=マルティネスには盛大なブラヴォーが飛んでいました。僕も大いに賛同するところです。
わずか数時間で代役を歌いこんだ(と思われる)出来田三智子は、こちらもどうしてもそういう目で見ちゃうからなんでしょうか、最後までぎこちなさ・線の細さを払拭しきれなかったような気がします。ただ最高の絶唱とまではいかなかったものの、幕切れの切ない二重唱がこちらの涙を誘ったのは間違いありません。(プロンプター氏にも盛大な拍手を。)
タイトルロールのカール・タナーは能天気で楽天的すぎるように感じましたが、盛んに拍手が送られていました。...これがあるからイタオペは得意でありません。
by Sonnenfleck | 2005-12-07 23:06 | 演奏会聴き語り | Comments(2)
Commented by Sonnenfleck at 2005-12-08 23:52
>pfaelzerweinさん
そうでしたか!こちらのプログラムによると、彼が新国立劇場に登場するのは昨年のマクベスに続いて二度目だそうです。緊迫した厳しい響きを作っていて好感が持てました◎(できたら次はエレクトラなどを^^;)

N響の実力について公平に考えるのは苦手ですが、昔はそれこそシュタインやスウィトナー、いまはサンティのようなオペラを得意にしていた人が好んで客演するところを見ると、ああいう顔のないオケっていうのは人気があるのかもしれません。(それにしてもオペラとコンサートというのは違いが多すぎますよね。。両方を振る指揮者はどう折り合いをつけているのか昔から不思議です。)
Commented by pfaelzerwein at 2005-12-18 23:47 x
すみません。訂正です。ベルリンで昔聞いたのはデ・ブルゴスのファルスタッフでした。どちらでも良い事ですが、気になったので。
原文:
ミゲル・ゴメス=マルティネス氏はマンハイムの劇場の指揮で御馴染でした。その昔は、20年近く前にベルリンのドイツェオパーでも聞きました。経歴からすると年齢よりもベテランの域に入るのでしょう。ホルスト・シュタイン氏にしろジュン・メルクル氏にしろマンハイムナショナル劇場はNHKSO指揮者への登竜門のようです。フルトヴェングラー氏はフォン・カラヤン氏14回と違い一度も新交響楽団(N饗)を振りませんでしたが。
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