フェドセーエフ/東京フィル:世界一真面目なソッツ・アート

c0060659_0405675.jpg【2006年1月19日(木)19:00~ 第18回オペラシティ定期】
●カリンニコフ:交響曲第1番ト短調
●ショスタコーヴィチ:オラトリオ《森の歌》Op. 81 (フェドセーエフ版)
→福井敬(T)、牧野正人(Br)
→東京オペラシンガーズ、東京少年少女合唱隊


まずはプログラムの物々しさに唸らされましたが、フェドセーエフの指揮とあらば聴きに行かないはずがない。しかし当日券狙いで行ったため席は指揮台のほぼ真下…直接音しか聞こえない場所なので響きのバランス等はまったく判断できませんでしたが、そのかわりフェドセーエフがオケに要求している細やかなニュアンスの一端を垣間見ることができましたです。

初めはカリンニコフ。最近はすっかり市民権を得て、ロシア音楽ファンの間では人気の曲になりましたね。(あ、僕はソヴィエト音楽ファンなんで。)
んん…しかし不覚にも、第1楽章の甘~い第2主題で胸が熱くなってしまいました。こんなにベタベタなロマン派に引き込まれるなんて悔しい限りですが、フェドセーエフこだわりの弱音、そしてあくまで羽目を外さないダンディな歌い口にはしてやられましたね。この指揮者はスヴェトラーノフ亡き後のロシア音楽ファンの願望を一手に引き受けているような感じだし、鳴らすときはずいぶん派手に豪快に鳴らすけど、実際のところただの浪花節・爆演とは一線を画した節度を感じるんだよなあ。

休憩後、《森の歌》。
僕は、歌詞のある社会主義リアリズム作品はただの歴史的メモリアルだと思ってます。それに対してはソッツ・アート(興味のある方はこちらへ。笑えるのが山ほど揃ってます)の作家と似たような気持ちで、つまり、ああご大層なスローガンだな、大真面目にやっとるな、とニヤニヤしながら臨んでいるわけです。同じショスタコの《わが祖国に太陽は輝く》(←なんと麗しい題名!)、プロコフィエフの《十月革命二十周年のためのカンタータ》《平和の守り》なんか、一度ぜひとも生で聴いてみたい。「こうこうこういうイデオロギーだから、音楽として問題があって、楽しむことができない」っていう意見には全然同調できません。

その意味では、今日の演奏はこれ以上望めないほど立派で堂々としていて、本当に最高でした(まあ…そもそも演奏解釈を許すような厚みのある曲でもないでしょうが)。モスクワ大学のメインタワーが建築のスターリン様式ならば、今日の《森の歌》は音楽のスターリン様式でありましょう。フェドセーエフの引き締まったテンポ設定が気持ちいい。Hrがやや不安定でしたが、オケは総じて大健闘。弦の皆さんは弓の毛を切りまくりでした。
東京オペラシンガーズの巧さは噂以上で、、非常に壮麗で力強く、しかし透明な響きを作り出していました。「喜ばしい」旋律に咆哮するオケを貫いて立ち上る合唱…10月に聴いた岩城宏之/都響&晋友会合唱団と比べると、正直、段違いでした。(なんで今年の東京は二ヶ月にいっぺん《森の歌》があるんでしょうね。)

なお「フェドセーエフ版」というのは、スターリン賛美の部分を書き換えた1962年改訂版を元に、フェドセーエフが独自の判断で1949年原典版から歌詞を引っ張ってきたバージョンのことらしいです。ただどうもプログラムに掲載された歌詞を見た感じ、第1曲の最初の行「Kogda okonchila's vojna 戦争が終わって」が1949年版の「Pobedoj konchilas' vojna 戦争が勝利のうちに終わり」に差し替えられてるだけなんですよね。同じ歌詞の差し替えだったら、10月の岩城/都響が終曲でやった「Partii murdroj slava! 叡智あふるる党に栄光あれ!」のほうがよっぽど大胆だったと思いますが。。
(*ただこの部分は、1949年原典版では「叡智あふるるスターリンに栄光あれ!」だったので、1962年改訂版では岩城/都響が用いた「叡智あふるる党...」に替えられてます。でも現在一般的に歌われているバージョンでは、さらにそこから「人民に栄光あれ!」へと替えられてるんですね(今回の「フェドセーエフ版」でもこの部分は「人民に...」でした)。メンドクサイ…いっそのこと1949年原典版でやってください。)
by Sonnenfleck | 2006-01-20 01:36 | 演奏会聴き語り
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