長田雅人/オーケストラ・ダスビダーニャ 第13回定期演奏会

c0060659_2105425.jpg【2006年2月19日(日)13:45~ 第13回定演/東京芸術劇場】
●ショスタコーヴィチ:劇音楽《ハムレット》Op. 32a
●同:Pf協奏曲第2番ヘ長調 Op. 102
  ○アンコール 同:《24の前奏曲とフーガ》Op. 87
   ~第17番変イ長調
→ミハイル・カンディンスキー(Pf)
●同:交響曲第8番ハ短調 Op. 65


年に一度のショスタコファンの祭典、オーケストラ・ダスビダーニャ(以下ダスビ)の定期演奏会に行ってきました♪

どんなオケの演奏会でも、「俺はこの曲、嫌いだね」っていう団員が必ずいると思うんですが、ショスタコだけを演奏するために結成されたダスビは、団員が全員ショスタコを愛している(はずの)奇跡的なオケなのであります。
僕はこれまで、三年前の第10回定演(モソロフの《鉄工場》と《レニングラード》)と、一昨年の第11回定演(《馬あぶ》組曲と第5)を聴きましたが、彼らの特異な演奏スタイル、すなわち、ソヴィエト国立文化省オケの忠実なる弟分的な驚異の豪快さ・放埓さ・ヨゴレ・毒気・泥に毎度々々笑わされ感動させられてきました(レニングラード・フィル的なクールさの対極)。「やりすぎ」ってのは彼らの演奏を最高に褒め称えるのにうってつけの形容詞でありましょう。

1曲目は、《マクベス夫人》と同じころに作曲された《ハムレット》組曲。
ダスビは今年も好調。ひたすらうるさい打楽器と金管(Tb!)、およびギスギスと硬い弦の音が、初期のショスタコらしい陽気で破壊的な響きを見事に出してみせますよ。いい。

続く二曲目は、Pfソロにミハイル・カンディンスキーを迎えて第2協奏曲。
ソリストは苗字のとおり、画家のヴァシーリィ・カンディンスキーの遠縁らしい(どうでもいいですが)。しかしどうでもよくないのはこのピアニストの作る音楽が非常に変わっているということ。
第1楽章冒頭のFgが超絶的に遅くて思わず仰け反っていると、MIDIのように頑固な低速+オルゴールのように単純で明るい音色+レガートでソロが入ってくる。ははぁこれは面白くなるぞ、、とニヤニヤしながら聴いていると、やっぱりピアノが頑としてテンポを上げない。どうみてもダスビの常のスタイルとは違う音楽づくりで、オケの皆さん的には辛かったんじゃないでしょうか。互いに合わせる気があまりない様子でしたが、久しぶりに「競争曲」らしいものが聴けて楽しかったですよ?
アンコールの《前奏曲とフーガ》変イ長調はソリストの澄んだ明るい音色が作品のリリカルな側面とマッチして、美演と言うべき出来。

後半はいよいよ第8。
第1楽章は冒頭の低弦(増量してたのかな?)からして、ああ...いかにも...という濃さ。中間部で耳を聾するような絶叫(比喩でなく、本当にキーンとなるこういう経験はなかなかできないっすよ)。コーラングレ・ソロは十分によかったです。
したがって聴く前から第2・3楽章の喧騒はある程度予想していましたが、まさかここまでとは…。スネアとTpとTbであの巨大な編成のトゥッティを掻き消すことができるんですね(笑) 耳を劈く(この漢字のとおり、暴力的な、引き裂かれるような)大音量。あーここまでやりすぎたのは他に聴いたことないわーという畏怖の念がふつふつと湧きましたよ。打楽器さんたちが腕を振り上げるたびに、「ああっ来るっ」と身構えるM。
ところが今回、第2・3楽章以上によかったのが、(失礼ながら意外にも)第4・5楽章なのでした。奏者たちの個々のポテンシャルは残念ながらプロオケにはかなわないし、そのことで生まれるミスや傷は確かに散見されましたが、この静かな二つの楽章を丁寧に美しく演奏するダスビの皆さんの集中力には、こちらも飲まれました。美しく揃うピツィカートや繊細な強弱は、全員が作品への共感を持たなければ成し遂げるのが難しい(いかにもすぎる物言いですけど、ある場合においては確かにそうなのだと僕は思います)。
この曲は見通しのない演奏だと派手な第2・3楽章に頂点が来てしまって、その結果静かな終末がただの尻すぼみになってはなはだ格好悪いのです。しかし、ただでさえ第2・3楽章「やりすぎ」のダスビが、第4・5楽章の静かな頂点を見据えた、奇を衒わないハイレベルな演奏を繰り広げていたのには大いに感心しましたです。最後のハ長調の和音は、数十分前に地獄の大音響を出していたのと同じオケとは思えないほど、澄み切って美しかった。

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祭が終わって、春まであと少し。
by Sonnenfleck | 2006-02-19 21:13 | 演奏会聴き語り
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