アシュケナージ/N響 スクリャービン:《プロメテウス》

c0060659_23423256.gif【2006年2月24日(土)18:00~ 第1562回定演/NHKホール】
●スクリャービン:交響曲第1番ホ長調 Op. 26
→マリーナ・プルデンスカヤ(MS)、
  セルゲイ・ラーリン(T)
  国立音楽大学合唱団
●同:交響曲第5番《プロメテウス》 Op. 60
→ペーテル・ヤブロンスキー(Pf)
  井口真由子(色光ピアノ)
  国立音楽大学合唱団
→プロデューサー:川口義晴
  照明:成瀬一裕
  演出:今井伸昭
  装置:鈴木俊明
  衣装デザイン:小野寺佐恵
  監修:野原泰子
  他


読響の公演があったのは昨年の7月ですが、それからたったの7ヶ月でまた《プロメテウス》に接することができるとは。スクリャービン没後90年目のシーズンとしては上々か。

まずは、井上道義/読響のときの感想文をお読みいただけたらと思います。
あのときサントリーホールでは、舞台の直上にグランドピアノ型の枠に白鍵のように細く白い紙を下げたものを吊るし、それへ照明を当てることで色光ピアノの概念を表現していたようです。しかし実際のところ光を当てていたのは実際には照明の演出に基づいた照明係であり、「打鍵によって光を発する楽器」というスクリャービンの考えとはズレがある。
でも今回のアシュケナージ/N響の公演では、そのズレを力技でねじ伏せた。つまり、本当に色光ピアノを作ってしまったというわけです。
配布されたプログラムには「色光ピアノシステム図」として詳細な機器の説明が書かれているのですが、簡略化して転載すると以下のような感じ。

■1.キーボード(音階に対応したCG)、フットペダル(CGの明るさ)、フェーダー(CGの再生速度)から得られた情報をMIDI情報としてPCへ出力する。(*「色光ピアニスト」がスコアに書かれた「色光ピアノのパート」を演奏する。)
■2.MIDI情報からCGを合成し、再生する。
■3.LEDのスクリーン(7.2m×5.4m)にCGを表示させる。

プログラムによると、色光ピアノのパートは以下のように塗られているらしい。N響公演では技術を駆使してそれを素直に表現したわけですな。

■長いスパンで入れ替わる色(全曲を通して、精神界の青物質界の赤昇華の黄青へ回帰というふうに変化する)
■それぞれの調に反応して短いスパンで入れ替わる色(ライラック色、紫、緑、etc.)

LEDスクリーンはオケのさらに奥に吊るされており、そこに表示される映像は流れる水のような模様であったり、泡であったり、燃えさかる炎であったり、稲妻だったりし、多様な色が頻繁に入れ替わる。

また色光ピアノ装置のほかに、そこでは表わしきれないさらに細かな書き込み指示に対応しているのであろう照明演出も同時になされました。
NHKホールの空間の広さと紅白歌合戦で鍛えられた照明設備を褒め称えるのは、これが最初で最後だろうなあ。自在なスポットライトと、それが広い空間を突っ切ることによって生まれる鮮やかな効果はかなり刺激的。こりゃあサントリーホールじゃムリだべ。

ところで、読響公演での指揮者の解説では、
スコアには、光は、どこに、どのような強さで、どうやって射すのか。前後の関係も、全部消えるのか、一部残るのか、全く書かれていない
とされていましたが、今日のN響公演での野原泰子氏の解説では、
彼(作曲者)は1913年に、色光に関する詳細な指示を初版譜に書き込んでいる。それは光の明度や色彩のニュアンスのみならず、稲妻や閃光など多種多様な光を含む。
となっていて、、さてさてどちらが正しいのか^^??

ともかく、最後は高潮する音楽に対応してLEDスクリーン(メッシュ生地なので透けて見える)の向こう側から白いローブの集団(合唱団?)が進み出てきて、オケ+ピアノ+オルガンの大絶叫とともに暗転。お疲れさまでした。

* * * * * *

「至高なる一者」との合一!なんて言われてもはぁ?という感じですが、聴衆にスクリャービンの共感覚を追体験させるという単純なエンタメ企画としてとらえれば、読響公演よりもハイレベルだったと言わなければならない。(というか、色光ピアノをマジメに再現しようと試みた時点でエンターテインメント以外の道は閉ざされると思う。/あるいはこうした照明の芸術を娯楽として分類してしまう、ディズニーランド的に貧しい自分の精神に愕然。)
とにかく、この公演でいちばん面白かったのは、スクリャービンの頭の中において確かに色彩と音楽が同期しているっていうことがはっきりと伝わってきた点。なんかやけに当たり前すぎますが、読響公演ではどこまでがもとの指示でどこからがミッチーの演出なのかイマイチ掴めなかったし(まあ...今回も「元ネタ」であるスコアが聴衆に示されてない点でフェアじゃないけど;;)、あまり音楽と光線がシンクロしているようには見えなかったんですよね。とりあえず、どうやら本当にスクリャービンは色彩を作曲してたらしい、ということが確認できただけでも今回は大満足。
首都圏にお住まいで明日時間のある方は出かけてみてはいかがでしょう。(でも...これはTV用に編集された映像のほうが理解しやすそうだなあ。←この一言に集約?)

それと、今日もうひとつよくわかったこと。
凡人は、共感覚の産物である二種類の情報のシンクロを体験しても、どちらか一方に集中するだけで精一杯。演奏のほうがまるで記憶にないのでした。ヤブロンスキーがどんなピアノを弾いていたか、巨大な編成のN響がどんな演奏をしていたか、はっきりと思い出すことができない。。ダメだこりゃ。

* * * * * *

■追記(2月26日)
定期公演二日目の様子をNHK-FMの中継で聴きました。
音だけに集中できるのって幸せです。
いつもより豪放に鳴っているオケ。後半はヤブロンスキーの、粒立ちがよく「カッコいい」音がその響きの中から立ち上がってくる。ミキシングの魔力もあるだろうけど(NHKホールではこううまくは聴こえない)、非常に聴き応えがあります。あちこちに《火の鳥》のような旋律やリズムが埋もれていて、初期ストラヴィンスキーにおけるスクリャービンからの影響がわかるのも「音だけ」ならでは。(《プロメテウス》初演は聴いてるのかな?)
クラヲタの皆さんは指揮者アシュケナージを馬鹿にするのが好きですが、メロディを滑らかに品よく歌わせることに対するこの人の執着は並ならぬものがあり、そうしたアプローチが価値を持つ作品では彼の指揮は成功していると思う(《プロメテウス》も、こうやって音だけを聴くとやはりあんまりサイケじゃなく、穏便でキレイな感じにまとまっているのがわかる)。
by Sonnenfleck | 2006-02-26 00:06 | 演奏会聴き語り
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