同じフランスものでも、リュリの音楽にはラモーのように入れ込むことができないんですよね。両者の領域を重ね合わせるとかなり近しいところがあるのだとは思うのだけど、リュリ御大の音楽はやっぱり17世紀のもので、彼が受け継いでいる簡潔で翳りのある響きとラモーからはみ出した華美な部分とは水と油のように相容れない。目下のところ油の誘惑に囚われている僕にとっては、高潔な水の世界はいまだ難解であります。
しかし、長いこと探していたスキップ・センペ/カプリッチョ・ストラヴァガンテによる
リュリのディヴェルティスマン集が渋谷のタワレコに入荷していたので、えいやっと買ってみました。
センペがカプリッチョ・ストラヴァガンテを結成してからまだ4年目の1990年録音。(*音場が極端に左右に狭いのが玉に瑕です。モノラルかっての。)
まず初めにその禁欲的で薄い響きに驚きます。太鼓もリュートもおらず、演奏者は各パート1人ずつでたったの6人。ライナーをざっと読んだ感じでは、これは当時のリュリ受容のスタイルに即した編成であるとのこと。しかし一音々々のぎゅっと締まった粋な響きはすでにしっかりと形成されていて、彼らの特性が物理的な音量だけでコントロールされているのではないことがはっきりとわかる。
多幸症的な切ない高揚感を伴う
《アマディス》のシャコンヌ、
《アルミード》のパッサカーユなど、その「主張する楚々」には惚れ惚れとするほかない。また
《プシシェ》序曲の後半、フーガになったところで
最高にライトでクールなイネガルを聴かせてくれるのですが、これにて自分の「ギスギス大袈裟イネガル好き」に終止符かもです。ああーカッコいいなあー。
水、然れどもレモンの数滴。