バッハ・コレギウム・ジャパン《マタイ受難曲》@名古屋

c0060659_9522714.gif【2006年4月9日(日)16:00~ しらかわホール】
●バッハ:マタイ受難曲 BWV. 244b(初期稿)
→ゲルト・テュルク(T、福音史家)
 クリスティーナ・ランズハーマー(S)
 藤崎美苗(S)
 ロビン・ブレイズ(A)
 上杉清仁(A)
 ヨハネス・クリューザー(T)
 ペーター・コーイ(Bs、イエス)
 浦野智行(Bs)
→鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン


かなり時間が経ちましたが、感想文を。
BCJの名古屋公演を聴きに伏見のしらかわホールへ行ってきました。ビルの谷間にあってロケーションは実になんということもないのですが(ロビーからの眺めなどは萎える)、シューボックス型の美しい内装と適度に親密な空間づくりが素敵です。紀尾井ホールに似てる。

今年の受難節、BCJは8日(@ミューザ川崎)から16日(@神戸松蔭女子学院大学)まで計5回の《マタイ》公演を連続で開催してるんですよね。。いやー大変だ。
しかも今回の《マタイ》演奏は、バッハ自身がこの作品を現在よく知られてるバージョンに改訂する前に、バッハの弟子の弟子が書き写したものによるとのこと。つまり《マタイ》の原型がよりはっきりと確認できる版なわけです。

座席は正面に向かって右側のサイドバルコニー。位置的には第2合唱・第2オケの真上であり、《マタイ》の特徴である「2群の音響体のぶつかり/融合」を聴くにはまったく適さない席でしたが、しかしとにかく、無理をして行ってよかった。まず全体的な感想がふたつ。

マタイ全曲を生で聴くのはこれが二度目なのですが、やはり一定時間を完璧に拘束されて通しで聴かされるところに意味が設定されているのだなと改めて気づく(CDはあんまり意味がない…?)。ちょうど弟子たちと同じように(!)イエスがゲッセマネの園で瞑想してるあたりで睡魔に襲われた以外、三時間しっかりと引き込まれましたね。その理由としてもっとも大きいのは、やはりレチタティーヴォの緊迫感・推進力でしょう。少し前「招き猫」で「マタイのレチタティーヴォは退屈だから抜かして聴くのがよい」と断言した某常連さんがいましたが、よほど通奏低音がつまらない演奏しか知らないんだろうなあと気の毒になる。今回ももちろん秀美氏の強力なリードの下、山本氏のVc(OLC聴きに行きたい...)、今野さんのKb、今井さんのOrg、今村氏のリュートが複雑に絡み合い、非常に劇的な(文字通りオペラを聴いているような)興奮がもたらされました。

もうひとつはBCJの「重さ」であります。考えてみるとオペラシティ以外のホールでこの団体を聴いたことがなかったんですが、しらかわホールのような小さな会場で聴いてようやくBCJの「時には相当粘っこく重い一面」を確認できました(もちろん音量の大小ではなく)。正直な話、いつもBCJを聴いて「薄い響き…これも持味?」と思ってましたが、、やはりオペラシティのキャパは広すぎるのかな。

あとは印象深いところを箇条書きでいくつか。

◆エヴァンゲリストのテュルク、イエスのコーイはさすがの貫禄。第二部終盤「エリ、エリ、ラマアザプタニ」での二人の様子には鳥肌が立つ。
◆アルトのブレイズ。自分はこの人が作る人工的な科が非常に苦手なのですが、この日は流れを無視せず、あまりオカマっぽくならなくてよかった。。上杉氏の歌う第2部頂点の第39曲、アリア「憐れみたまえ、主よ」(線は細いが絶品!)が気になるようで、横目でチラチラ見つつ口パクしてたのが目に焼きついてますが(笑)
◆やはりこの曲で一番恐い局面は、合唱が「群衆」になったとき。BCJの皆さんは本当にすばらしい。「バラバを!」「十字架につけろ!」の残忍さには正直、恐怖を感じましたよ。
◆前のエントリでもちょろっと書きましたが、第59・60曲、アルトのレチタティーヴォ「呪われた十字架」とアリア「広げられた御腕に」には二本のオーボエ・ダ・カッチャが絡み付きますが、今回はどう考えてもアルトサックスのようであり、やたらjazzyなKbのPizzも手伝って、少なからず困惑です。全曲中この一瞬がもっとも官能的な、粘り気の強い演奏だったように思う。「呪われしゴルゴタよ!」なんて歌ってるそばで、不思議な感じ。
◆「初期稿」がはっきりと確認できるのは
  1、通奏低音が2群に分かれていない(これは視覚的にデカイ)
  2、第1部の終わり、第29曲が素朴なコラール「私はイエスを離しません」である
  3、第57曲、バスのアリア「来たれ、甘き十字架よ」の伴奏がリュート
  くらいだったと思います。
→特にリュートの活躍は全曲を通して非常に光りました。曲中に何度かあるトゥッティの爆発、BCJのフォルテはあえて悪く言えば「ヨゴレを最後まで回避する」ようなところがありますが(それが魅力なんですがね)、そうした中で激しい破裂系の金属音を響かせながら今村氏のリュートが立ち上がってくる様子には生理的な興奮を覚える。
→しかし第63曲、「地震」の描写はけっこう表現主義的で衝撃(通奏低音...)。

* * * * * *

演奏の究極として、「聴衆の呼吸を支配してしまう」という状況があるかと思います。
確かに長丁場なのでチラシを落としたり咳をしたりと客席ノイズは目立ったけど、各アリア/レチタティーヴォの最後があれほど緊迫して静まり返って、指揮者が棒を下ろすのと同時に客席はようやく息をつく、っていう緊張状態はそうたびたび現れるものではない。僕自身、真下で演奏してる秀美氏と同じタイミングでブレスをしておったですよ。このようにして演奏行為の内側に入ってしまうと感想文の客観性が怪しくなりますが、そんなことはどうでもよくなるような体験でありました。最終的には涙と鼻水でズルズル。
by Sonnenfleck | 2006-04-30 09:53 | 演奏会聴き語り
<< 楽しいときは疾く過ぎ去る 対iPod戦争の前夜 >>