エルンスト・バルラハ展@東京藝術大学大学美術館

c0060659_2241409.jpgGW美術館巡り第二弾。ロダンとカリエール展@西洋美術館を出たその足で上野公園を縦断し、藝大美術館のエルンスト・バルラハ展へハシゴ。(*個人的にはめっちゃ「バルラッハ」なんですけど、展覧会の表記に従って「バルラハ」表記にします。)
実はおととしハンブルクへ行ったのですが、中心部から離れたイェーニシュ公園にあるエルンスト・バルラハ・ハウスまで足を伸ばそうかさんざ迷った挙句、ビビリの僕は結局行けなかった。…しかし、藝大美術館のバルラハ展を見て大後悔。どうやら何を措いてでもそこに行かなければならなかったようでした。うーん。

エルンスト・バルラハ(1870-1938)は言うまでもなく、ドイツ表現主義を代表する彫刻家であります。簡単な線で構成されたその作品は、聖書の逸話や貧しい人々に遠慮なく正面から向き合い、まったく他にはない独特な美を放っている。…正直なところ、ロダン展に出品されてた彫刻が自分の中に寒い印象しか残していないのは、その直後にバルラハの作品を見てしまったからだと思います。

だいたいGWさなかなのに閑散としてる会場がいい。

まずはハンブルクとドレスデンでの修行時代に描かれた絵画、というかイラスト。しかしこれがどうも全然面白くないのです。ロマンティシズムやシニスムを気取って見せてるけど乗り切れてないというか、、のちに制作されることになる彫刻とは根源的に違う。
本人もそれに気づいたのかもしれません。
1906年、ロシアへの旅行によってバルラハは自分の進むべき方向を発見します。明晰な直線を武器に対象の内面にまで鋭く切り込んでいく彼のスタイルは《ロシアの恋人たち》(1908年)で開花。シニカルな視線を許さないような絶対的幸福感がそこにあります。
でもそれは例外で、バルラハ彫刻のほとんどは貧困や醜悪、苦悩など負の方向に厳しく傾いている。正確なタイトルを失念してしまったのですが、フードを目深にかぶった物乞いの老女の木彫り。下から覗き込んでもフードの中に顔は彫られておらず、ただ外套から伸びる二本の細い腕が残酷に描写されている(浮き出た腱の質感!)。

ダイナミックな一瞬の動きをあえてデフォルメ的に切り取るのも彼が得意としたこと。《ベルゼルケル(戦士)》(1910年)の一見コミカルな捻りは、実は強烈な力感のフリーズドライなのでありましょう。

宗教的な主題も彼の十八番。特に衝撃的だったのは《使徒》と題された作品であります。
全方位からの鑑賞が可能な作品がほとんどを占める中、この《使徒》だけはフレーム状の浮き彫り。横を向いて固まる「使徒」が誰なのか、ヒントになるような描写は一切ないのですが、その表情は軽薄・卑俗、あるいは驚愕。。鶏の声を聞いてしまったペテロか、銀貨を受け取ってしまったユダか、さもなくば哲人を刺し殺そうとする哀れなレヴィ・マトヴェイかといった趣でありますが、特定は不可能。十二使徒ですらないかもしれない。ただどうしようもなくちっぽけで愚かな一瞬が、嘘偽りなくとらえられている(彫刻を見て涙が出るというのは初めての体験であります)。虚飾に満ちたナチスの文化政策によってバルラハの作品が退廃芸術とされ、その多くが撤去・破壊されたのは…皮肉としか思えない。
バルラハはナチスによる迫害が続くなか、1938年に死去。《読書する修道院生徒》(1930年)など後期作品はいよいよ不気味なほど静まり返り、いかなる感情も読み取ることができません。戦後まで活動していたらいったいどれほどの作品を残していたかと思うと、、恐ろしくなります。飾らない木彫りが、しかし中に静かな力感を秘めている。強烈な体験でした。

5月28日までです。東京近郊にお住まいの方は是非。(公式サイトはこちら
by Sonnenfleck | 2006-05-13 22:44 | 展覧会探検隊
<< イッテルビウムはイッてない 名古屋フィル 第325回定期 >>