Love and Soul of Toru Takemitsu_1

【2006年8月27日(日)19:00~ 愛知県芸術劇場・中リハーサル室】
“QUOTATION OF DREAM”c0060659_19331.gif
→武満徹の映画音楽を、ジャズ・アレンジで。
●《Over the Rainbow》(*)
●《死んだ男の残したものは》(*)
●ブランドン・ロス&ツトム・タケイシ:デュオ×3(**)
●猿谷紀郎:《虹のあしおと》(***)    
●《素晴らしき悪女》(****)
<休憩>...
→鈴木大介(Gt; *, ***, ****)
  ブランドン・ロス(Gt, Vo; **, ****)
  ツトム・タケイシ(B; **, ****)
  後藤龍伸(Vn; ***, ****)


「ジャズ」も知らないし、「映画」もわからない。
ほんの少しだけ知っている「武満」だけを手がかりに出かけてみました。
(*名古屋に来てから鈴木大介氏の追っかけと化していますが。)
会場は栄の愛知県芸術センターB2F「中リハーサル室」。普段は名フィルが使っているであろう、ありがちで殺風景な練習室です(あの細かく孔の開いた壁がいかにも)。東京公演@Hakujuホールがうらやましいですが、、それでも開演前から並んで最前列を押さえますよ。

最初の2曲は、鈴木氏のソロで武満の編/作曲作品。
武満の切ないメロディを、リリカルで控えめな鈴木氏の音を通して浴びる幸福。。特に《Over the Rainbow》は、最後の主題回帰で甘酸っぱいようなくすぐったいような装飾が入って身悶え(CDにはない装飾です)。萌えすぎる。

◆さて「ジャズ」。
昨日の「ジャズ」がジャズのメインストリームなのかどうかは知りません。ブランドン・ロスというギタリストのことも、ツトム・タケイシというベーシストのことも、僕は何一つ知らない。ただ、彼ら二人の作る音楽はほとんど点描的というか、ウェーベルンのようで辛口、旋律らしい旋律がない。もしかしたらクラシックを初めて聴く人が最初にウェーベルンの《交響曲》を選んでしまったような、そんな非主流派的体験なのかもしれません。
…でも…音がないところへの執拗な拘り荒々しくも理性的で清潔な響き惻惻とした情を掻き立てながら、どうしてもメロディになりきれずにこぼれ落ちるメロディ「のようなもの」、、同じ「クラシック売り場」に並んでいるドニゼッティより、テレマンより、伊福部より、このとき聴いた「ジャズ」のほうがずっと武満のコアに近い気がする。
そして、「即興」。
互いのやりたいことを敏感に感じ合って、それを尊重しつつもそこに自分の音楽をぶつけていく、そんな空気感がとにかく新鮮でした。。今ここで音楽が生まれているという実感は、クラシックの演奏会よりずっと生々しく感じられます。楽譜を真剣に読み込んでかっちりとアンサンブルを作るという段階よりももっと高度なセンスが要求されているような気がして、正直ショックでした。ジャズ・アーティストって凄いんだ…。

⇒その文脈で言うと、5曲目の《素晴らしき悪女》の演奏は実に印象的。名フィルコンマスとして活躍する後藤氏のVnは、他の3人の「高度なアンサンブル」に溶け込むことができていなかったように感じられました。たぶんリハーサルで経験済みの、たぶん武満が楽譜に書いた箇所では力強く前に出て歌うのだけど、その他の地の部分では明らかに自分が何をすべきなのか戸惑っている様子が見えるんです。というか、「聴きながらどうすべきか考えている」のがわかる。ナチュラルじゃない。

僕はこの人のVnが好きだし(5月の演奏会は非常によかった)、9月に名フィルでソロを張るショスタコの協奏曲は今から楽しみにしているし、クラシックのヴァイオリニストの中では最も即興的なセンスに秀でた人のひとりだと思っているけれど、残念ながら「自発性」あるいは「表現欲」というところでのクラシックの限界が見えてしまったのは事実ですかねえ。。たとえばセンペやフィゲイレドやパンドルフォのライヴを聴いたら、クラシックに対するイメージはまた覆されるかもしれないし、そもそもクラとジャズを比べるのはおかしいのかもしれないですが、自分の中では何やらそういう清々しい敗北感があったみたいでしたよ。

…長くなりました。残りはまた明日。
by Sonnenfleck | 2006-08-29 20:38 | 演奏会聴き語り
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