宮下誠『20世紀音楽 クラシックの運命』、2006年、光文社
のっぴきならない私事で東京に行っておったのですが。 土曜の朝に名古屋駅の本屋で何気なくこの新書を買ったんですよ。新幹線の中で読もうと思って。しかし素っ気ないタイトルとは裏腹に中身はあまりにも濃く、すばらしく、すっかり興奮しながら読み終えました。 一般に「わからない」とされている現代音楽という概念を含む20世紀音楽について、ワーグナーからリームまで、全84人の作曲家を各論的に記した入門書。まず、「わからない」作曲家だけが20世紀音楽ではない、ということをはっきりと明言しているのが本書の肝であると言えましょう。筆者は「わかる」ほうの20世紀音楽=ルーセルとかハルトマンなんかについても前衛と区別することなく、優劣をつけることなく並行的に扱っている。しかし最近多い「不当に前衛を陥しめる系」ではない。これが実にすばらしいと思います。前衛と保守、どちらの側にも立たず、クールな距離感を保ったまま淡々と描写しているので、中にはこれを物足りないと感じる向きもあるでしょう(でも物足りなければ専門書に進めば済む事です)。それにしてもこの優れたバランス感覚は、、筆者が音楽学畑の学者ではないということに起因しているのだろうか…実に新鮮で潔い印象を与えますね。 そしてここで貫かれているのは(これが最も重要なのだけど)、読者に対する徹底的に誠実な姿勢なんですよ。 これは自分も含めて、20世紀音楽を語るあらゆるレベルの文字情報について言えることなんですが、「おたく、セリーとか偶然性とか退廃音楽とかちゃんと知ってるでしょ?忙しいボクはいちいち教えてらんないし、細かいことは辞典でも読んで調べといてよね」という、ある種の傲慢(あるいは無知を素直に認めたくない故のごまかし)がほとんど必ずそこに付いて回っているのが実情だと思うんです。しかしちょっとした疑問を調べるには、20世紀音楽について書かれた本の大部分は難解すぎ、入手が難しすぎ、またある種のものは極度にごまかされている。入門者に対しては、ブーレーズも許光俊もその意味で等しく親切ではないと言えましょう。(*たとえばブゾーニがどんな作風なのか知りたいとき、あなたはいちいち長木誠司の『フェッルッチョ・ブゾーニ―オペラの未来』を買いに走りますか?または図書館に行ってニューグローヴ音楽辞典を参照したりしますか?) しかし本書には、そういった居丈高な学問的ごまかしも、ヲタク的見栄によるごまかしも、両方存在しない。20世紀音楽を俯瞰的に捉えることに対してここまでストレートに、しかも誠実な態度で臨んだ著作を僕は他に挙げることができません。 筆者の前著『迷走する音楽』が、あえてクラヲタを擬装することで音楽学的アプローチの諸問題を浮かび上がらせていたのに対し、本書の平明な文体には一瞬戸惑います。しかしその中に広がっている、いささか素朴ながら力強い使命感はやはりこの人ならではなんですよね。ポスト・ポストモダンっぽい感じで。 兎も角、これ一冊でクラシック音楽の20世紀がほぼ見渡せ、しかも新書という簡潔な形態…きわめて模範的な入門書ですよ。「ソラブジ」や「サテュリコン」という文字が印刷された新書が全国津々浦々の本屋に並ぶのかと思うとゾクゾクしますね。。熱烈推薦。
by Sonnenfleck
| 2006-09-17 17:33
| 晴読雨読
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Comments(8)
まだ読んでないのですけど、昨年の「20世紀絵画 モダニズム美術史を問い直す」と対称を為す書籍なんでしょうか。この本もとても良い本だったので、とても楽しみです。
宮下氏の著作は、いずれも「芸術」が「世界」を開くドアであること、そしてそのドアに対するオーソドックスな信頼と、そのドアに潜む「謎」への敬意が明確にこめられているように思うのです。 渡辺裕的なポストモダン的な路線をどうしても捨てきれない私からすると、ある種の素朴さを感じざるを得ないのですが、それはそれで魅力的なんですよね。と、へんなコメントすみません。、、、
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Sonnenfleck at 2006-09-17 22:52
>marutaさん
たぶんそうなんですよね。『20世紀絵画』のほうは本書を読み終え、裏の折り返しを見てやっと発見したんですが、こちらもさっそく買って読んでみようと思います。 宮下氏の「ある種の素朴さ」は確かに私も認めるところですが。。しかしそれを意識しながらやっているのが実に勇敢だと思うのです。「おたく、これご存知でしょう?」「おたくこそ…」の連鎖では、私のような堪え性のない読み手は耐えられないんですよねえ。何かを信じて拠り所にするのは、ポストモダン的には姑息なんですが、シンプルな安心感があるのも事実で、こういう迷いが自分の中に現れるのがまた面白いのですけど…って私のほうも意味不明なコメントですみません^^;
本のご紹介ありがとうございます。「20世紀絵画」を読んで、音楽の方も新書で書いてくれると嬉しいなと思っていたところです。
>「...いちいち教えてらんないし、細かいことは辞典でも読んで調べといてよね」という、ある種の傲慢(あるいは無知を素直に認めたくない故のごまかし)がほとんど必ずそこに付いて回っているのが実情だと思うんです。 いやあ、ドキッとしました。このくだり。 サイトに基本的な情報を書くと、いかにももの知りそうに見える反面、どうにも借り物めいた内容になりそうで、躊躇していたんです。 ぼちぼち書いていこうとは思っているんですが...
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Sonnenfleck at 2006-09-18 16:14
>SfHさん
いえいえ~。とんでもないです。やはり『20世紀絵画』のほうも必読なんですね。。早く買わないと。 本文に赤字で記した箇所、強い自戒の念を込めております…。偉そうなことを書いていても、自分はただの愛好家にすぎないので、どこか別のところに書いてある情報の継ぎ接ぎのようになってしまう。そしてそれを隠そうとする虚栄…そうした視点で自分の文章を省みると、このままブログを閉じてしまおうかという気分に苛まれます。。ごまかしも見栄もない宮下氏のスタンスは本当に潔くて、見習わなければなあと思いますね。
こんばんは。
20世紀の絵画では、あまり日本で紹介されることのない、 旧東独美術に言及してまとめていたのが印象に残りました。 同じような語り口でお書きになられているのなら、 きっとこの音楽の方も面白いと思います。 早速購入しないと! >並行的に扱っている こういった要素は大切ですよね。 一方に肩入れするのは良いのですが、 あまり度が過ぎると結局は優劣論争のようになってしまい白けてしまいます。 音楽を含めた芸術関連の本はそういう類いものが多いので…。
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Sonnenfleck at 2006-09-20 22:43
>はろるどさん
ううむ。。本当に皆さん『20世紀絵画』を読んでおられるんですね…。ものすごく乗り遅れた感が^^; 実はこの『20世紀音楽』でも、東独の作曲家についてかなりのページが割かれているんですね。アイスラーやデッサウのことをわかり易い日本語の文章でちゃんと読んだのはこれが初めてですが、そのへんも読者に対するごまかしがなくて本当に好感が持てます。 クラシック音楽のようなある意味で狭い世界では、吉松某のように筆の上手い人が露骨な偏向を見せると、「アンチ前衛」に激しく偏った彼の思想があっという間に大勢を占めてしまうなんていうことが起こりかねないんですよね(もうそうなっているのか…)。それに一石投じるかと思って眺めているところです。
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宮下誠
at 2006-12-03 00:10
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前略 『20世紀音楽 クラシックの運命』について大変素晴らしい批評をお書き下さり、心から感謝しております。そちら様のブログは以前から存じ上げており、折々拝見させていただいておりました。大変充実した内
容でいつも感嘆しながら拝読しておりました。さて、著者からいきなりコメントが書かれて驚かれていると思います。大変申し訳ございません。実はこのたび、『20世紀音楽』の続編、と言うより、そちら様のブログをはじめとした幾つかのブログの批評に答える一書を光文社ではない別の出版社から出したいと思い、就いてはそちら様のブログの文章を拙著にそのまま転載させていただけないかと思いコメントを書かせていただきました。小さな出版社でお礼は現物(できあがった本)で、としか申し上げられないのが心苦しいのですが如何でしょうか?お許しいただけるでしょうか?もちろん、著作権のあることですから掲載時にはそちら様のお望みのお名前で掲載させていただきます。それを含めてもし、掲載を許可してくださるなら上記メールアドレスにお返事いただけないでしょうか?貴ブログのますますの発展を祈りつつ。宮下誠拝 stolze@tbd.t-com.ne.jp
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Sonnenfleck at 2006-12-03 18:20
>宮下誠さん
はじめまして!著者様のご降臨ということで大変恐縮しております。。なにぶん無責任な匿名素人ゆえ、好き放題に書き散らかしてしまいましたが、もし当エントリの内容でご気分を害されましたらお許しください。 拙ブログ記事からの転載の件につきましては、大変興味深く拝読いたしました。私のような一介の素人にとっては分不相応なお話で、文字通り恐懼感激しておりますが、ご提案は前向きにお聴きしたく思いますので、電子メールでお返事を送らせていただきます。宜しくお願いいたします。
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