村上春樹『アフターダーク』、2006年、講談社文庫(2004年、講談社)
単行本が発売されたときに御茶ノ水の丸善で最初の5分の1くらいを立ち読みしたので、今回は軽く再読気分で臨んだのですけれども。 読後一服、まず思うのは、これが素晴らしいポリフォニーであるということでしょうか。バフチンのドストエフスキー理論をそのままここに持ってくるのが妥当なのか、専門家ではないのでよくわからんのですが、「互いに融け合うことのない数多の声」(だったっけ)というバフチンの言葉が浮んだのは確か。ここではたった一晩の出来事が複数の異なるメロディ・異なるリズムでもって織り上げられ、ときどき声部同士が接触することで思いもよらない(でも計算され尽くした)和音が発生する。加えてそれを描写する視点が「ある視点」として明確に示されるので、全体からは物凄くストイックな印象を受けるわけです。音楽を主題にしたフィクションが往々にして装飾過多によって俗に堕するのとは対照的に、この長編の「音楽的な」肌触りには驚かされる。 僕はハルキストではないし、彼らが熱狂的に好む80年代の村上作品はあのどろりとした「不穏さ」が苦手であまり積極的に読んではいないんですけど、90年代以降の作品はその「不穏さ」を自ら意識して記号的に扱ったり茶化したりする傾向があるので、やや楽な気持ちで作品に浸ることができます。 (*『海辺のカフカ』ってほとんどオペラ・ブッファだと思うんですけどどうでしょう。) 技法は上に書いたように実験的と言っても差し支えないような感じですが、筋としてはこの『アフターダーク』もやはり「不穏さ」が「バイクの男」や「マスクの男」、あるいは「白川」として記号化されることで生臭みが消え、軽さを獲得しているように思う。《幻想交響曲》第3楽章のように「不穏さ」が遠くからティンパニのトレモロで聴こえてきてもなお、全体の時間の流れが夜明けに向かうこともあってか、思いもかけず肯定的な雰囲気になってるんです。 ラストの涙は俗っぽいのかもしれないけど、僕は素直にこれでよかったと思う。毎日当然のように朝が来ることの幸運を僕たちはもっと意識してもいいのかもしれない。
by Sonnenfleck
| 2006-11-12 00:06
| 晴読雨読
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Comments(2)
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yuka
at 2006-11-12 01:13
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おひさしぶりです。
私は自他共に認めるハルキストですが(笑)アフターダークの「ある視点」っていうのは、個人的にはずるいな、と思っています。つまり、あれを文字にして、小説として書く意味ってあるのだろうかと。それを明言せずに、それでいてその「ある視点」を読者が各々獲得できるように描写するのが、小説の担う役割なのでは?と思うのです。 「不穏さ」をなくすことで読みやすくなるのは確かで、楽な気持ちで読めるというのも納得がいきます。私も2~3時間程度で読んだので。 とかなんとか、もの申してすみません。とりあえず、思いっきり渋谷、って感じの小説でしたね。 東京の朝は、目を背けたくなるくらい無実で美しいと個人的には思います。
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Sonnenfleck at 2006-11-12 02:12
>yukaさん
んー、、確かにずるいという意見は理解できます。『アクロイド殺人事件』とは正反対のアンフェアを堂々とやられたわけですからね。 でも、このフィクションを構成するたくさんの声部それ自体は個々に見るとどれも取るに足らない、という見方を前提とするなら(僕はそう感じるんですけど)、この押し付けがましい「ある視点」は必要とされてここにあると考えてもいいんじゃないかと思うんです。もしこのストーリーのまま視点が特に定まらず、いつもと同じ三人称だったとしたら、小説としてはちょっと薄弱すぎるんじゃないかと。ポリフォニーとして素晴らしいジョスカン・デ・プレの楽譜を「あなた自分で譜読みしてね」という感じでぽんと渡されたような気分で、、やはり演奏者としての「ある視点」がほしいなと僕は思います。…とまあこの答え方もずるいですが(苦笑) 渋谷をイメージされました?僕は池袋西口を念頭に置いてましたよー。 東京の朝の上澄み、機能的で感情のない美しさが好きです(こんなことだから僕は白川に感情移入してしまうのか -_-;)
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