名古屋フィル 第331回定演

【2006年12月16日(土)16:00~ 第331回定演/愛知県芸術劇場】
●ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調(原典版)
⇒下野竜也/名古屋フィルハーモニー交響楽団


アーノンクール体験の直後でコンサートへ行く情熱を完全に無くしていたために、前回の定演はパス、名フィルは2ヶ月ぶりです。そしておそらく2006年の演奏会納め。
いつも開場まで時間をつぶす近くのドトールへ向かって歩いていたら、、どう考えても今日の指揮者・下野氏にしか見えない人が向こうからやってくる。すれ違いざまに見事に目が合いまして(笑) もしかしたら「今日の客だな」とか思われたでしょうかっ(←自意識過剰)

下野氏の指揮を聴くのはこれが初めてなのですが、そんな感じがしないのは彼のブログ「たつの雑談」を愛読していたからなんでしょう。惜しまれつつも2006年2月をもって休止となったこのブログ、ここで目にした下野氏の真摯な人柄はおそらく彼の音楽にも現れているのだろうなあと思って今日のコンサートに臨んだわけですが、予想は裏切られなかった。

1stVnと2ndVnが対向、ティンパニが下手奥に移動し、さらにCb軍団が舞台最奥に横一列でどどんと並ぶ「ノリントン配置」。今日の演奏は細かなニュアンス表現のためにテンポを頻繁に動かすアプローチでしたが、にもかかわらず終始感じた物凄い安定感は、おそらくこの配置から生み出される響きの肌触りに因るところが大きかったのだと思います。フーガになったときの対向配置、そしてCb8台のf字孔=計16個が全て真正面を向いていることがどれだけ大きな意味を持つか、今日は改めて身体で感じることができました。

第1楽章冒頭、8人のCb奏者が、何もない空間に決然とピツィカートを打ち込みます。それは古典的にブルックナーらしさとされてきた模糊たる響きとは一線を画す、即物的な音。ブルックナーの5番は「まるでオルガン」な交響曲なので、こうした即物性が根底にあると実に聴き映えがする。でも続く金管群のコラールが、なんだかとっても人間くさい。音の濁りを排除しない「優しさ」が、ザッハリヒなテクスチュアにやんわりと浸み込みますよ。
第5の第2楽章はブルックナーの作品でもっとも好きな瞬間ですが、、果たしてこの男っぽさ、この力強さ。ほとんど強引なくらいのドライヴ感で引っ張りますが、強引に引っ張られることがこうして時に聴衆に心地よさを与えることを、下野氏は巧く捉えているようです。。ティーレマン/ミュンヘンpoの雰囲気によく似ている。
それにしても第3楽章のトリオには驚いた!たくさんのきれいな羽虫が飛び交っているような幻惑感に襲われましたよ。激しく前のめりにテンポアップした第1スケルツォとは対照的な、メンデルスゾーンのような軽い木管たちを非常に巧く処理していたと思います。もちろんオケにもブラヴォ。
そして第4楽章。序奏でClがフィナーレの主題動機で前楽章のエピソードたちを区切りますが、この場面転換の鮮やかさに仰天。バレエ音楽のようといったら失礼だろうか、、でも空気を素早く入れ替える手際のよさが実に見事。そしてフーガだらけのこの楽章で、いよいよ「ノリントン配置」が牙を剥くんですね。非常に立体的な、それこそ読響での下野氏の師匠にあたるスクロヴァチェフスキを髣髴とさせるような立派なフーガが構築される。素晴らしい―

拍手と歓声の中で立ち上がる名フィルの面々は、明らかに疲労困憊の体。下野氏もふらつきながら、最後は指揮台からブルックナーのスコアを高々と掲げて聴衆に応える。何かを抉る、聴衆を懐疑に沈ませる演奏もいいけれど、後味も素敵な、素直にいいと感じる演奏もまた格別なのです。下野氏の肯定的な音楽づくり、僕は非常に好きです。了。
by Sonnenfleck | 2006-12-16 22:54 | 演奏会聴き語り
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