秋田から帰還。名古屋はどえれぁ暖かいがね(←正しい用法?)
さて2007年がアニヴァーサリーな作曲家ですが、今年のクラシック界の主役になるであろう
シベリウス(没後50年)、
グリーグ(没後100年)、
エルガー(生誕150年)といったロマン派の人々に僕自身ほとんど関心がない、というか有体に言って彼らの音楽が非常に苦手なので…。当ブログの記念年的な関心は
D. スカルラッティ(没後250年)と、
ブクステフーデ(没後300年)へ限定的に注がれることになります。
ブクステフーデの《7つのソナタ》作品1が出版されたのは1694年、奇しくもコレッリの《12のトリオ・ソナタ》作品4と同じ年なんですけど、聴いた感じコレッリとは全然違う。ブクステフーデが器楽アンサンブルのために作曲を行なうときの土台は、どうやら
コレッリが綺麗に整理してしまう前のイタリアの作曲家たちに求めることができるんですな(マリーニとかウッチェッリーニとか)。
普段ぼんやりと聴いているヘンデルやテレマンのトリオ・ソナタって、基本的にまずはコレッリの影響下なんですよね。バロック音楽が嫌いな方はこの
清潔なレディ・メイド感が気に入らないのだと思うんですが、ブクステフーデのトリオ・ソナタは、「コレッリ以前」の集大成、アルプス以北で生き残って進化を遂げたゾウガメのような偉大さを内に秘めた作品なんですよ。…「野生の偉大」は結局「清潔な形式」に駆逐されてしまったけど。
この作品1には、
ホロウェイ+リンデン+モーテンセンという豪華な組み合わせの名盤が君臨しているのですが、ここではもう一世代若い
クレーマー+クィンターナと仲間たちによる
ラテンの熱いパフォーマンスを強くオススメ。
クレーマーはコンセール・デ・ナシオンでコンマスを務めたヴァイオリニスト、クィンターナ兄さんはパンドルフォの弟子、ということで激しい演奏が予想されますが、さにあらず。尖った音でフォルムを破壊していくのではなく、内側から情熱的な渋みをじんわりと効かせるんですね。ホロウェイたちの演奏と違い通奏低音にヴィオローネがいるのも関係しているだろう。
クレーマーのノーブルな音と(カルミニョーラ系?)、クィンターナの頼りがいのある太い音が対話していく様子は萌えというか、、あるいは萌えを超えた禁断の世界かもしれないな(笑)