名古屋フィル 第333回定演

【2007年2月9日(金)18:45~ 第333回定演/愛知県芸術劇場】
●マーラー:交響曲第6番イ短調《悲劇的》
⇒沼尻竜典/名古屋フィルハーモニー交響楽団


沼尻氏は日本人指揮者の中でもとりわけ知的で、極限まで理詰めで考えられた音楽をやる人だと思うんです。でも滑らか冷静一辺倒ではないのが面白いところで、必要であれば古楽味なりフルトヴェングラー風なり、色々なアプローチを完璧にパッチワークするんですね。したがって、検討されていない楽句が存在せず、どの音符も丁寧に鍛えられた形跡がある。フレーズの区切りを聴き手に理解させることや、「感覚的な陶酔」を人工的に合成するのがべらぼうに巧い。…ラトルに似てると思うんですよ。

それでこの日は、非常に興味深い演奏ができあがっていました。
沼尻氏は今回バーンスタイン風を選択したようで、とにかく緩急と強弱を拡張する。第1楽章8小節目の1stVnにどぎついポルタメントを指示していたり、《アルマの主題》への移行をずいぶん感傷的に描いたり、オーケストラの隅々にまで「フレーズを熱っぽく奏すること」を徹底させます。ひとつ残らずすべての楽器に自分の旋律の役割を意識させるのって凄いことだと思うし、オケの側でも指揮者への敬意がないと実現され得ないアプローチだろう。
第1楽章で特に感心したのは、提示部の繰り返し。
1回目の第2主題の終結部分では、第1主題の斥候であるスネアドラムにより陶酔から引き剥がされるわけですが、そのスネアをほとんど気づかせないくらいの遠い音で第2主題に忍ばせる処理。気がつくと人数が一人増えてる...的な恐怖を演出させてました。うーむ。
展開部でのHrソロ(野々口氏)とVnソロ(後藤氏)なんかはどちらも抉りが効いていて、グロテスクな身振り。
再現部であえてリズムを後ろ倒しにしてじっくりと動かさないのが、沼尻氏らしい冷静さの表れかなと。逆に怒涛で突っ込むコーダの荒れ方と好対照です。

続く楽章の順番は、「旧全集版」のスケルツォ→アンダンテ。
この日は8人のHr隊の調子が頗るよくて、スケルツォをはじめフィナーレも大活躍でした。
第1楽章と変わらずぎっしりと詰まった音でトゥッティが鳴っていますが、トリオになった途端、テンポもObも何もかもが緩んで白痴的テキトー空間になったのが面白かったなあ。全部計算づくなんだろうけど、いきなり引き技を食らったような衝撃でしたよ。

アンダンテはやはり予想どおり「スッキリ」でした。
ここはバーンスタイン風ではなく、ギーレンかというくらい薄く、思い入れなく、しかし絶大に丁寧に。師匠の小澤のように「全部適当にやったら偶然薄くなりました」ではなく、「丁寧に検討したら薄くなりました」なのが、この人のいいところです。コーラングレを突拍子もなく強めに吹かせて、安っぽい文学性を破綻させたのがよかった。苦々しくて。

フィナーレは前3つの楽章に比べてずいぶんアンサンブルが粗く、ミスも頻発していた。
これは沼尻氏が怒涛の緩急を要求したからだと思うんですが、その緩急というのは興奮に我を忘れるような種類のものではなく、抑制するところはしっかり律して走らせないものだったので、さすがに興奮したトゥッティ全員の手綱を握るのは難しかったのかもしれません。
でも、スタジオ録音ですら突っ走って混乱している演奏が多い楽章なのに、ハンマー周辺など高揚の中でも響きが整理されていたのが素晴らしかった。最後のモットー絶叫も意外なほど濁りがない美しさを保っていて、沼尻氏の表現したいことがよく伝わる演奏でした。

本公演のスターは、ひとりでシロフォン、グロッケンシュピール、ベル、カウベル、そしてハンマーをこなしたいつもの方(お名前がわかりません)。ブラヴォ。
そして本公演のS級戦犯は、いつものように演奏中に平然と唾抜きをするClの老人。ffの時なら客が聴いてないとでも思ってるのだろうか?自分のソロさえよければ音楽の邪魔をしてもいいのか?それって音楽家としてはお仕舞いじゃないか?信じられないな。頭にくる。

+ + +

ともかく。沼尻氏、この4月からびわ湖ホール芸術監督に就任されるんですよね。
どうもあそこはヴェルディばっかりやって保守的なイメージがあるので、尖がったレパートリーの持ち主である彼には大いに期待。駆けつけますよ!
by Sonnenfleck | 2007-02-12 08:50 | 演奏会聴き語り
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