想像力、または鏡に向かってキレるショートコント

キレる客対策、業界本腰 クラシック演奏会でトラブル急増(asahi.com/3月16日)

c0060659_835489.jpgこの記事について、すでに16日夜からネット上ではいくつかコメントが出ているようです。
その中で匿名でないものは「何でそんなに怒ってんの?もっと肩の力抜こうよ?」という論調が多く、いっぽう匿名のものは「上から目線のヲタがキレてるだけ」「いや俺はキレる」が半々というところ。記事がもともとそういう雰囲気なのもあってか、全体としてはキレる側が叩かれている割合が高めかなという感じがします。

ここで見栄張っても仕方ないですから書いちゃいますけど、僕はキレる側のクラヲタに同調しつつ親記事を読みました。したがって最高にナイスな気分ではありません。時間を作って出かけるコンサートがひたすら楽しみである人間としては、まずはどうしてマナー違反がそんなに擁護されるの?どうして「マナー違反対策」じゃなく「キレる客対策」なの?という素朴な悲しみしかないんですよ。業界および朝日新聞的にはヲタ客なんてどうでもいいのかなって。

しかしここから先は「マナーの範疇」のレベル設定をしなくちゃいけませんね。
どこまでをマナーだと思うかが、この話では重要な点だからです。
僕が「日本のコンサートホールでのマナー」だと思っているのは、想像力の有無
我慢できない咳とかくしゃみとか、生理的な現象は正直仕方ないと思う。しかし鈴・飴の包み紙・ビニル袋といった「音が出るもの」について配慮がないのは…やっぱりどうしても許容できません。「これを気にする人間が、もしかしたらいるのかも」というほんの少しの想像力が、どうして働かないのかなあといつも思う。
以下はこのコンフィグを前提に。一般化するつもりなんかまったくないので、「鈴の音なんて別にいいじゃん」とか「パリじゃこんなの誰も気にしないよ?」とか言われても困ります。。

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もちろん親記事で引かれているような暴力・恫喝に肩入れするつもりは全くありませんし、上から目線とか偉そうとか我慢が足りないとか、そういう非難も甘んじて受けます。「心が狭い人間が書く文章なんか読みたくない」とか思われても文句は言えません。しかし「マナーを知らないこと」がどうして優位を持っているのか、その点は解せない。

注意事項やアナウンスが増えると、雰囲気が堅苦しくなる……」という主催者の「配慮」が、他を圧倒するくらい為されすぎるのは誤っていると思うのです。主催者としても商売でやってる限り新規顧客の獲得は至上の命題でしょうから、門戸をオープンにしようと努めるのは当然でしょう。そこはわかります。でも自分が飛び込む文化圏にどういう考え方があるか、下準備さえしない、学ぼうとする気がない、もしくは臆病さを持ち合わせない者に対して、こちら側からの過剰な歩み寄りは果たして有効なのでしょうか。
ここで「ググれ」と言い放つのは悪なのでしょうか。
これから客になろうとしている人たち、悪意はないがそれを考えたこともない人たち、あるいは決定的に想像力の欠如した人たちに対して、「鈴の音を気にする人間も客の中にいくらかは混じっているのだ」ということを知らせるのが、そんなにまずいとは思えないのです。一旦「へえーそうなんだー」と思わせるだけで、かなり違うんじゃないかという気がするのだけど。

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ただし一度「マナーの範疇」の環境設定をリセットしてしまうと、「想像力の欠如」はそのままのパワーでこちら、ヲタ客側にも跳ね返ってくるわけですね。
「公の場には鈴を何とも思わない人がいるかもしれない」ということ、「音楽は娯楽であると捉える人がいるかもしれない」ということ、「落ち着きのないあの人は体調が悪いのかもしれない」ということ、「怒った素振りを見せる自分を見て気分を悪くする人がいるかもしれない」ということ、そして「自分のヲタ尺度が絶対ではない」ということを、その時点で想像できていないんですから。
相手の考えを想像して、汲み取って、思い遣る、なんていうのは全方向的に滅んだのでしょう。とりあえずここまで書いて強烈な自己嫌悪です。引きこもるしかないな。
だって究極的には、「オレが我慢してんだからオマエも我慢しろ」ってことでしょう。うわ。。
by Sonnenfleck | 2007-03-21 09:01 | 演奏会聴き語り
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