今年の1月に東京都現代美術館で見た中村宏展が名古屋に巡回してきました。
15時半くらいに行ったら、案の定観覧者はほぼゼロ。したがってあの異常な密室快楽的世界を独り占め!…まあ…東京で見たときと印象は変わらず、直接の体験すらしていない時代の標本を眺める博物館的な冷静さが常に自分の中にあったのは事実でして。ねえ。中村宏のグロテスクな挿絵とともに「闘争!」とか書いてある大学新聞と、平安密教の貴重な五鈷杵と、自分から遠いという意味では同列じゃないでしょうか。見聞を広める感じです。
いっぽう「少女を器物として捉える嗜好」については、やっぱり現代のヲタク保守本流の人々の趣味と一見そんなに違わないなあと再確認したところ。ただし中村宏の場合は(独眼に変容してたり、機械と融合してたりしても)対象を敬い奉る気持ちが強いように感じるんですよね。密室快楽的と言っても、その辺は「萌えとして消費するため」のアキハバラ文化とは違うし、対象を上から見下ろしているような村上隆一派とも違う。。
で、常設展を見に行ったらシャガールの版画
《死せる魂》の何枚かが展示されてて、興奮してしまいました。ちょうどゴーゴリのほうを読み進めている最中ですので。チチコフとマニーロフが互いに先を譲ってとうとう二人同時に扉に入ってしまうくだり…シャガールはあんなに小さなお笑いシーンもダイナミックに描いてしまうんですね。
監視員のお姉さんが欠伸をする。閉館間際の館内にはほとんど誰もいない。地下ロビーのソファに腰掛ける。吹き抜けではボロフスキーの
《ハングリングマン》がすくと立って永続的に手を動かしている。その後ろに入道雲と夏空が見える。