ジャン=ギアン・ケラス 無伴奏Vcリサイタル@しらかわホール

c0060659_6593360.jpg【2007年9月30日(日)15:00~ しらかわホール】
●バッハ:無伴奏Vc組曲第1番ト長調 BWV1007
●コダーイ:無伴奏Vcソナタ op.8
●ブリテン:無伴奏Vc組曲第1番 op.72
●バッハ:無伴奏Vc組曲第3番ハ長調 BWV1009
  ○アンコール バッハ:同第4番変ホ長調 BWV1010
     ~プレリュード、アルマンド
  ○アンコール クルターク:《影》
⇒ジャン=ギアン・ケラス(Vc)


起床→ブログ書き→再びうたた寝、というのが天気の悪い休日によくあるスタイルなのですが、この日は昼寝から覚めてもまだ寒い秋雨が降り続いていて、実に気が滅入る。ケラス兄さんには申し訳ないけど、比較的強い面倒くささを覚えながらしらかわホールへ。。これで風邪を引いた気がする。
さて名古屋にもよく来ているらしいケラス兄さん。
彼のブリテンを愛してやまない僕にとって、この機会は大変な幸運です。バッハ3曲、アンコールに《愛の挨拶》、以上!みたいな「地方向け」のプログラムじゃなくて本当によかった。

まずコダーイから、と思ったけど、完璧すぎて特に感想がない。感想文殺し。困る。
これまでに生で接したチェリストの中でも、難しそうにしている様子をここまで感じさせない人は初めてな気がします。コダーイのあのささくれ立った響きが、技巧によって調教されていく様子、、ちょっと残酷だったな―。文句のつけようがない演奏、それをひけらかさないチェリストのカドの立たない甘めの音が、余計に空しさを呼び起こさないではない。
続いてブリテン。
CDで聴いてきたケラスの演奏というのは、表現しようとする意志が音の圧力だけでなく行間においてもなお強く滲み出る、いわば「喋りたがりなブリテン」でありまして、このへんがモルクやコーエンと違うところかなと(ロストロポーヴィチとウィスペルウェイは聴いたことがない。彼らのバッハから予想すると、もしかしたら彼らも「喋りたがりブリテン」かもしれない)。

で、問題はバッハです。
秀美氏のは「踊るバッハ」、ウィスペルウェイのは「遊ぶバッハ」、リンデンのは「語るバッハ」で、ロストロのは「宣言するバッハ」。僕が好きな演奏はこんな感じで、何らかの形で外向きに整理されてるんですが、、ケラスの演奏は世にも珍しい「出るバッハ」「出すバッハ」じゃないのが新しい。お客にこれを提示して喜ばせてやろう、驚かせてやろう、とかいう狙いや衒いがほとんど感じられない代わりに、呼吸のように音符が吸い込まれて音が出てくるという自然な流れが根底にあるようです。

ただこの「自然な流れ」というのは、「自然に流れ出る」ということであって、「流れてくるもの自体が自然」という意味ではない―。
アーティキュレーションに注意して聴いていても、右手からは古楽っぽいテイストがほとんど感じられません。どーうも…これをやってるケラス兄さん…全部センスに任せてるような気がしてならない。フランソワのラヴェルかケラスのバッハかというくらい、センスを煮詰めたような大胆な演奏じゃないだろうか。
急速な舞曲、クーラントやジーグで、パッセージが潰れるくらいの大胆な緩急をつけていたりする彼のセンス(音符が聴き取れない!)…僕は断じて受け入れられません。ナルシシズムさえ感じる。ただし全面的に「嫌い」のひとことで片づけることもできない。第3番のサラバンドの流麗な調子はこれまで聴いたこともないし、第4番のプレリュードはほんのり桜色だし、、要するに甚だ面白い局面もまた多い。。受け入れられるか受け入れられないかといったら、たぶん受け入れられないのですが(ケラス兄さんの新譜は買わない)。

でもアンコールのクルタークは感激。
by Sonnenfleck | 2007-10-05 07:01 | 演奏会聴き語り
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