*AK* the piano duo concert 003@電気文化会館

c0060659_781046.jpg【2007年10月23日(火)19:00~ 電気文化会館】
●ムソルグスキー:《禿山の一夜》(1台4手 ※+)
●メトネル:《忘れられた調べ》第2集 op.39~ ※
  〈春〉、〈朝の歌〉、〈悲劇的ソナタ〉
●グリンカ/バラキレフ:《ひばり》 +
●プロコフィエフ:《4つの小品》op.4~ +
  〈絶望〉、〈悪魔的暗示〉
●ストラヴィンスキー:《春の祭典》(2台4手 ※+)
  ○アンコール ラフマニノフ:《ヴォカリーズ》(2台4手 ※+)
⇒愛知とし子(Pf※)&加藤希央(Pf+)


禍々しいロシア風味もさることながら、チラシのデザインに惚れた。ジャケ買い。
結果的に内容もよくて、平日の夜に無理をして出かけた甲斐のあるコンサートでした。

2人のきれいなお姉様方の入場、、華やいだ空気、、をどん底に突き落とす、どんより不吉な《禿山...》でスタート。ぐーねぐねととぐろを巻いたような妖しい表情が付き、きれいにまとまっちゃうのかなという先入観は思いっきり覆されて、最後の鐘まで一気呵成に聴かせる。
2人とも「ピアノっぽさ・楽音ぽさ」への拘りを見事に捨て去っており、ピアノの文脈では突拍子もないであろう(たとえば打楽器のような)音を遠慮なく投げつけてくるので、まるでオケを聴いているようでした。これはお世辞抜きです。

いっぽう、愛知さんソロのメトネルではそれが裏目に出たのかなあ。。
〈朝〉なんかはもっと素直にロマンティックに歌っちゃえばいいのに…という瞬間が多かったし(ペダル離してスンドメ!にがっかりすること多数)、逆に〈悲劇的ソナタ〉はちょっとヒステリックにぶっ叩きすぎではないかと思われました。この辺は単に好みの問題かもしれない。

加藤さんのソロで聴くグリンカとプロコフィエフ、この方は怜悧な感じがする鋭い音の持ち主で、それに適合する作品をうまく持ってきたなあという感じ。プロコの〈悪魔的暗示〉はいかにもの選曲で、楽音らしさを捨てた強烈な打鍵にたじろぎます。。

で、《春の祭典》ですけれども。
4手版編曲というとファジル・サイの売れに売れまくった録音が思い浮かびますが、あれがサイ・フィルタを通った異形のハルサイだったことに本日改めて思い至りました。
当夜の*AK* the piano duoの演奏は実に「正統的」というか、オケのスコアを十分に連想させる丁寧な演奏で、感心することしきり(プログラムによれば、当夜の使用楽譜は、作曲者とニコラス・レーリヒによる1台4手編曲版を、さらに*AK* the piano duoが2台4手版に編曲したものらしい。ストラヴィンスキー・マラソンからすると、作曲者にとってどの部分がどれだけ重要だったかが想像できる貴重な時間でした。)

それにしても面白いくらいオケの楽器が目の前に浮かぶんですよ。これはスコアに完璧に目を通していないと絶対に表現できない味だろうし、ピアノだけ聴いてピアノだけ弾いていては到達不可能な地点だと思う。厖大な音が飛び交う〈大地の踊り〉や〈生贄の踊り〉はさすがに指20本でも足りないかなという限界が見え隠れしたけれど、弦のフラジオ、Tpの咆哮、Fgのつぶやき、「芯のある」休符、どれも丁寧に移植されていて非常に好感を持ったです。〈生贄の踊り〉のブレスは物凄い迫力だったなあ。
by Sonnenfleck | 2007-10-24 07:11 | 演奏会聴き語り
<< 忘れがたい1962年 頼ったっていいじゃないか 現代... >>