アファナシエフ Pfリサイタル@しらかわホール

c0060659_732135.jpg【2007年12月1日(土)15:00~ しらかわホール】
<オール・シューマン>
●《子供の情景》 op.15
●《3つの幻想的小曲》ハ短調 op.111
●《交響的練習曲》 op.13
⇒ヴァレリー・アファナシエフ(Pf)


「ベートーヴェンと向き合ううちに、お互いに誤解があることが分かってくる。誤解を克服することに喜びがあり、誤解そのものを面白がったりもできる。しかし、シューマンには、そんな誤解は全くない(アファナシエフ)

もしオール・ショパンだったり、オール・ベートーヴェンだったりしたら、たぶん出かけなかったと思います。上記の内容からもひしひしと伝わってきますが、シューマンへの異常な愛情、シューマンへの極端なシンクロが聴けるだろうなあと思って、足を運びました。
会場の入りはよくて6割5分くらいかなというところ。特に2階はスカスカ。。

冒頭、《子供の情景》は、まったく予想に反して「軽快に」「いつも明解な表情で」「溌剌と」進み行きます。いつものように立ち止まって読点をいくつもタイピングしたり、、、、、重く濁った和音を引き伸ばしたり―することもない。唯一〈トロイメライ〉だけは読点3割増な雰囲気だったけど、蛍光灯のように明るいのはなぜ?
その謎解きは終曲〈詩人は語る〉で提示された、のかな。
この終曲だけが、我に返ったように(「軽快」「明解」こそが幻想!)とろんとした灰色一色の世界に染まっていました。ここまでの十数分間、「鮮やか」に「ストーリー」を練り上げてきた楽句は内部からバラバラになって意味を成さず、最後は突き放すような減衰が残るだけ。

プログラムノートには「美しいすべてのものは本当に空っぽの世界であった」「彼は『子供の情景』の最後に、ここまであった音楽は全くナンセンスだと声を上げているのです」というアファナシエフの言葉が引用されてるんだけど、「軽快」「明解」で表される「空っぽ」を無闇に陳列して、なおかつ「ナンセンス」から喜劇的な要素をすべて取り除くとこういう音楽になるのかなあという感じ。

続く《3つの幻想的小曲》ハ短調は初めて聴く作品なんですが、大変烈しい曲調…の裏にこのピアニストが好むような停滞・沈降がしばしば認められます。
3曲ともアタッカで演奏されたのは仕様なんですかね。いまいち曲の構成がわからなかったんですが、恐らく第2曲にあたる部分でまたも放心したようにパッセージが崩壊していく様子が観測されまして、ぞうっとしました。

で、休憩時間につい気が緩んで久しぶりにワインを飲んでしまい、後半の《交響的練習曲》は爆睡^^;;; 真ん中あたりの変奏までは起きていたのですが、どうもヴィルトゥオジティに傾きすぎているというか、これがそれ自身へのパロディなのですと主張されてしまうと反駁は難しいのだけど、受け取る側がパロディとして感じるにしてはあまりにも真剣すぎるかなと思いました。こんなのアファナシエフらしくないよう。
それでも終曲手前で目が覚めて、ぼんやりしながら最後を迎えたわけです。。最後に放り出された和音が相変わらずとろーんと伸びて行くのを聴いて、やっぱりこういう「ウケる」曲でも最後を聴き手に任せちゃうのね、、とちょっと安心して微笑。

カーテンコールで客席から花束を受け取っても全然嬉しそうじゃないアファナシエフ。
by Sonnenfleck | 2007-12-02 08:48 | 演奏会聴き語り
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