名古屋フィル 第342回定演

【2007年12月14日(金)18:45~ 第342回定期/中京大学文化市民会館】
●サティ:バレエ音楽《パラード》
●プーランク:バレエ組曲《牝鹿》
●R. シュトラウス:《ブルレスケ》ニ短調 AV.85
→若林顕(Pf)
●ストラヴィンスキー:バレエ音楽《ペトルーシュカ》(1947年版全曲)
⇒矢崎彦太郎/名古屋フィルハーモニー交響楽団


ぱっと見「フランス音楽の彩と翳」としか思えません(笑) 東京シティ・フィルのあのシリーズに雰囲気がソックリです。このプログラムも矢崎彦太郎 presente、なのかな。
矢崎さん久しぶりに見たらおかっぱからポニテになっていたよ。

惜しむらくはなあ…華やかで豊かに鳴るはずのこのプログラムを、どうしてあのように超デッドなホールでやってしまったのかという点に尽きると思う。今年からネーミングライツを導入して名前が変わったらしい旧「名古屋市民会館」で音楽を聴いたのは初めてだったんですが、《パラード》の最初の音を聴いた瞬間、残響がほとんどないヒリヒリした空気感に絶望しました。よりによってなんでこの回だけ愛知県芸じゃないの?!
残響がないホールで音楽を聴くと、届いてこなくてもいいアラまで聴こえてしまうわけで。。

確かに、《パラード》は逆にそのスタイルが際立ち、恐ろしく皮肉っぽい鳴り方をしていたように思う。それは認めざるを得ない。
この曲、ようやく生で聴くことができて大変感激しているのであります。しかし「普通の」ホールでやったならば、サイレンやタイプライター、ピストルは多少なりとも楽音のように角が丸められるはずですが、このホールでは闖入してきた非楽音としか認知できなかった。乾いた響きにこちらの耳が慣れず、また演奏のほうも1曲目ということでどうにも生真面目…サティの変態的な狙いはここで見事に実現されたのではないかしらん。

《牝鹿》は生き生きしてたなあ。もともとそんなに複雑に入り組んだテクスチュアではないと思うし(スコア見たわけじゃないからわかりませんけどね)、ストレートな軽いリズムの応酬は矢崎さんが得意とするところのひとつでありましょう。Vcの音(特に身振りも大きい太田氏の音!)がビンと張った輪郭線になってよく届いてくる。
途中、ストラヴィンスキー《11楽器のためのラグタイム》(1918年)の本歌取りのような部分が多数あることに気がつきました。以前この作品を聴いていたときは特に何も感じなかったので、「マラソン」のおかげかもしれません。

シュトラウスの《ブルレスケ》についてはノーコメント。この曲は何度聴いてもよくわからない。響きが溢れるホールで聴いても、逆に今回のように線の一本々々が丸裸になるホールで聴いても、やっぱりわからないということがわかった。
どうでもいいけど、シュトラウスとディアギレフのつながりって《ヨゼフ伝説》だけなんじゃないですかね。プログラムに協奏的作品を乗っけるためだとしてもここでいきなり19世紀末の作品を出すのは少し無理があるような気もする。

休憩開けて《ペトルーシュカ》。暗くなったのでプログラムから顔を上げたら、ピアノのところにちゃっかり若林氏が座っててびっくり(笑) 前プロのソロピアニストが「ピアノ」で乗っているのを見たのは初めてッス。ありそうでなかなかない。
演奏はなあ…なんだか妙にモタモタして聴こえました。。
1番Clを吹いたティモシー君の素晴らしい表現意欲とか、確かにきらりと光る瞬間も多かったけど、全体を貫くリズムがのっぺりと均一で、1、2、3、4、と拍を数えられる場面が多すぎる。農耕民族的な安全運転型ペトルーシュカであったなというのが最大の印象。したがって好ましいスリルを感じることがなく、しかし安全運転型のわりには(ホールの音響特性上嫌でも届いてくる)好ましくないスリルにドキドキしなければいけないっていうのが、オケのサポーターとしては実に辛い。
1947年版、そこにお巡りさんが駆けつけてくれない尻切れトンボverのコーダが選ばれてて(個人的にはこの選択にも不満が残る)、あっけなく終了。なので、《ペトルーシュカ》に関するプログラムの表記には適切ではない部分が多少あると思うんですが。

名フィル、日比谷でミッチーに搾られてお疲れ?あんまり練習時間が取れなかったのかしら。
1月も尾高・プーランク・デュリュフレのフランス・プログラムなので、、、期待してます。
by Sonnenfleck | 2007-12-15 13:33 | 演奏会聴き語り
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