今日は朝からストラヴィンスキー(18)

c0060659_6205392.jpg【DISC19…ORATORIO-MELODRAMA VOL.2】
●メロドラマ《ペルセフォーヌ》(1934/1949) ※
→ヴェラ・ゾリーナ(ペルセフォーヌ)
  ミシェル・モルス(T/神官)
  イサカ大学コンサート合唱団
  テキサス・フォートワース少年合唱団
  グレッグ・スミス・シンガーズ
●《頌歌》-クーセヴィツキーの思い出に(1943) +
●《ジェズアルド・ディ・ヴェノーサ400年祭のための記念碑》(1960) ※
⇒イーゴリ・ストラヴィンスキー/コロンビア交響楽団(※)、クリーヴランド管弦楽団(+)

年内に終わるかストラヴィンスキー・マラソン。あと3枚ッス。
19枚目は「メロドラマ集」の括りではあるけれど、語りが入っているのはジッドのテキストによるメロドラマ《ペルセフォーヌ》だけ。これが頗る官能的な音楽でありました。もし大全集を買わなかったら、この、ストラヴィンスキー随一の甘くてぬるぬるした音楽を一度も耳にすることなくクラヲタ人生を無為に送ってしまうところだった。
フランス語がさっぱりわからないことが、これほど幸せと感じたことはないかもしれない。
テキストが綿々と続く柔らかい音の連なりにしか聴こえないこの悦び!意味なんてわかってたまるかというもの!つまり、意味がわかったらきっと音楽の邪魔をする。

これまでに経過してきた18枚を振り返ると、スタイルとしては《ミューズの神を率いるアポロ》にどことなく似てはいるものの、ときどき指に刺さる棘のダイナミックさは、もうちょっと後に作曲される2つの「交響曲」を先取りしてるかなあとも思う。行き過ぎた先取り、または逸る心にアルカイック・パッチを当てました、という感じ。それでこんなに甘くなっちゃうんだから、何か化学変化的な印象は否めません。

ゼウスとデメテルの娘ペルセポネは、冥界に連れ去られてハデスの妃となる。
暗い冥界でハデスが差し出したザクロを食べてしまうペルセポネ。
ペルセポネが地上に帰ることを許されるのは1年の3分の2の間だけ。
地上へ戻ったそのとき、春が来て、冥界へ戻るそのとき、冬が来る。

というストーリーらしい。wikiで調べたところでは。
3部構成のうち中間の冥界の描写まで、演奏者ストラヴィンスキーにしては考えられないくらい、コロンビア響が見事に溶け合って美しい音を滴らせているのです。そうなると、3つめのペルセフォーヌの帰還があれだけ艶やかな音で描かれるのも頷けますね。出そうと思えばこんな音まで出せんじゃんコロンビア響。

ペルセフォーヌ役のヴェラ・ゾリーナは、僕が知らないだけで有名な方なんだろうなあ。
こちらのブログの情報によると、バランシンの元妻で、オネゲル《火刑台上のジャンヌ・ダルク》アメリカ初演でジャンヌ役を演じ、同曲をオーマンディの指揮で録音までしているスペシャリストであるようです。
ところでバランシンは《アゴン》の振付をやっていたり、《火刑台上のジャンヌ・ダルク》は先週取り上げた《エディプス王》につながっていそうだったり、おまけにペルセポネは《放蕩児の遍歴》第3幕でアドニス(トム)をアン(ヴィーナス)から奪う破壊の女神であるわけで…事項の複雑な絡み合いにはドキドキしますが、ミスリード沼地へ我々を誘う鬼火なのかもしれません。

+ + +

《頌歌》はクーセヴィツキーに捧げられた3つの「Elegiacal Chant」ということらしいです。
第1曲の灰色に曇った響きは、竹を割ったような40年代のストラヴィンスキーらしからぬ湿り気をまとっていますが、第2曲だけはクリーヴランド管(なぜここで登場??)の明るい音に後押しされて、いつものヤンキーイーゴリに戻る。第3曲はまたわざとらしい憂鬱質。

《ジェズアルド・ディ・ヴェノーサ400年祭のための記念碑》(長い!)は、ジェズアルドのマドリガーレの編曲作品ですね。これはジェズアルドを全く聴いていない自分の不明が悔やまれる。あちこちに聴こえる物凄い半音階って、ストラヴィンスキー由来ではないんですね?
by Sonnenfleck | 2007-12-17 06:23 | パンケーキ(20)
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