名フィル定期の前の時間調整。
雪が降ったせいか(何でも雪のせいだ)観覧者がほとんどおらず、とっぷりと見入ることができました。構成も素直だったし、愛知県美術館で初めて満足が行った。
名古屋の
木村定三という人は、おそらく大変な素封家であり、同時に美術品の蒐集にその人生を賭けた人でした。今世紀初頭、最晩年を迎えた彼がその3000点を超す厖大なコレクションを託したのが愛知県美術館であり、以後この美術館は、日本画・陶磁器・仏教美術を始めとする木村の蒐集品を保管し公開する責任を負ったらしい。
◆中国遺物、仏教美術
ニヤリとさせられるフォルム(天を突くミニチュア
《青銅鍍金仏塔》)、あるいはそれ自体が発する厳粛なオーラ…(埋葬時に死者の口に詰めた
《玻璃蝉》)。
「法悦感」と
「厳粛感」という独自のものの見方で蒐集対象を決めていた木村の感性がわかるものが多いです。
◆江戸絵画
第4章<近世絵画の諸相>は
「法悦感」が勝り、第6章<南画の系譜>は
小川芋銭のユーモラスすぎる
《水虎と其眷属》と
《若葉に蒸さるる木精》以外はほぼ
「厳粛感」の勝ち。後者では
平福百穂の
《秋風吟》という作品があまりにも素晴らしくて呆然としてしまいました。平福百穂は我が郷土の偉人ですが、これほど北東北の鋭利な秋を描写した作品があるとは思っていなかった。不明を恥じるほかなし。ネット上に画像がないのでご紹介できませんが。
◆茶碗
自分用メモ→鑑賞の糸口発見?
◆熊谷守一
のパトロンとして多くの作品を描かせたのが、木村定三でした。
上に画像をUPした
《白仔猫》がいちばん有名な作品なのかな。ともかくどっしり構えた心の動きがストレートに伝わる作品ばかりで、この作風を愛してしまった木村の心情もよくわかるというもの。第5章<茶の湯の美術>に展示された
《北冥魚化而爲鯤》の書、および
《鯤》と
《大鵬》は、荘子に出てくるでかい魚のエピソードですよね。自由な線にとぼけた色づかいで、和まないわけにはいかない。
ひとりの男の審美眼によって構築されたコレクションです。
7世紀の朝鮮の瓦から室町の茶碗、20世紀絵画に至るまであれだけ雑駁な内容ながらどこか品物に統一感があるのが、木村が持っていたブレない軸の証拠でしょう。後期展示も行ってみたいッス。