大江健三郎『﨟たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』、2007年、新潮社
この大江健三郎の最新作に関しては、いつも楽しみに拝見している「横浜逍遙亭」さんの
08年1月24日のエントリにおいて、すべてが語られているように思います。
僕にはまったく「大江リテラシー」が備わっていないので、大江作品に典型的な(とされる)グロテスクな人物たちに対して嫌悪感を抱き、極めて読み辛い大江文体に強い違和感を覚え、フィクションとノンフィクションのアワイで遭難し、要するに今回の旅路を走破するのに3ヶ月もかかってしまった。そうして最後のページを閉じた後に何とも言えない不思議な感覚を味わったことで、これから自分はどのようにこの作家に当たったらよいのか一層わからなくなったのです。
まさか最後にグルダが登場して、ベートーヴェンの最後のソナタの第2楽章が鳴り響くなどとは夢にも思わなかったものだから、そのフィナーレが訪れるまで、僕の音楽的な印象はショスタコーヴィチでありました。
叙情的に、あるいは甘く慎重に積み重ねられたものが、とびきり俗悪なメロディとリズムによって叩き潰されるんだけども、最後には幽かな希望を残して響きが止むという、そういう構造が(なぜだかわからないですが)ショスタコを想起させる。それも、登場するモチーフが多すぎるので何か特定の作品1曲ではなく、たとえば第8交響曲の第1楽章が、ジャズ組曲や《鼻》の中の決定的にチープなナンバーで完全に否定されて、しかし《バービィ・ヤール》の第5楽章〈出世〉で最後は救済される、というような。
しばらく再読したいとは思いませんが、Amazonのレヴューでしたたかに貶されているほどには悪くはなく、むしろ独特の「音楽的な」匙加減が意識されます。
でも、ベートーヴェンの最後のソナタをあそこで出してきたことによって、作者自身が音楽的な何かを目指した結果としてそのような印象を与えるのではないということが(皮肉なことに)証明されてしまったようでした。