ボッセ教授の大バッハⅣ

c0060659_2264572.gif【2008年5月25日(日)16:00~ しらかわホール】
<ボッセ教授の大バッハⅣ>
●ブランデンブルク協奏曲第4番ト長調 BWV1049 *
●2つのVnのための協奏曲ニ短調 BWV1043 **
●カンタータ第82番《われは満ち足れり》 BWV82 +
●同第209番《悲しみを知らぬ者》 BWV209 ++
●ブランデンブルク協奏曲第2番ヘ長調 BWV1047 ***
  ○アンコール 同曲~第3楽章
→太田光子(Bf *,***)、宇治川朝政(Bf *)、
  高橋敦(Tp ***)、富久田治彦(Fl ++,+++)
  平松英子(S ++,+++)、
  日比浩一(Vn *,**,***)、矢口十詩子(Vn **)、山本直人(Ob ***)
⇒ゲルハルト・ボッセ/名古屋フィルハーモニー交響楽団


「ボッセ教授の大バッハⅡ」は2年前に聴いているんだけど、昨年行なわれたはずの「Ⅲ」は記憶がない。たぶん何かあって行けなかったんでしょう。

1922年生まれの御大は今年で86歳になられるはずなんですが、2年ぶりに目にした姿にはまったく変化がない。袖から出てくるときはいかにもふらついているとはいえ、2時間いっぱい立ったまま指揮台の上にいるし、長い腕を下から掬い上げたり、指先で鋭い矢印を作って地面へ叩きつけたり、時には赤ん坊を揺らすように空気を抱え込んで左右にスライドさせたり、指揮棒を持たない独特の柔軟な動き(しかし必要最小限の動き!)も相変わらず。

そしてやはり変わらないのが…その音楽の構築性。
特に両端のブランデンブルクは、あれ?!っというくらいアグレッシヴなリズムがいまだに耳に残るのですよ。やっぱり「老人性枯れ」はボッセには無縁なんだ。それに加えて拍を自在に伸縮させるのが19世紀生まれの指揮者やピリオド派のやり口なんでしょうけど、ボッセの音楽がそれらと決定的に異なるのが(必要がない限り)フォルムを絶対に崩さないという点です。ここにモダニズムの厳格な側面をしっかり垣間見せるところなんか、ヴァントの古典派演奏によく似ているなあと思う。
そのためオケはボッセのそっけない打点の一撃々々に必死で食いついていかざるを得ず、表面的な速度以上に、音楽の奥底を貫く熱いビートが伝わってくる格好。ブラ4の第3楽章のフーガやブラ2の第1楽章および第3楽章は、それぞれの享楽的な旋律に反して燃えるような厳密さを纏っていて、この演奏会の白眉であったと言えます。

「Ⅱ」のときと同じように、各パートのトップおよびトップサイドを中心にした極薄編成の名フィル。今回は最大でも4-3-2-1-1とさらにダイエットして強いやる気を感じさせましたが、そのわりには妙に音程が揃わない。。ボッセの目指すのが色とりどりの和声美ではないから、そこは第一に重要ではないけど、、もうちょっと頑張ってほしかったというのが正直なところ。特に真ん中のカンタータ2曲は練度がガクンと落ちていたような。。
(BWV209の終曲の大詰めで事故ってしまったのは返す返す残念。)

その2曲のカンタータ、上で述べたようなボッセらしさがあんまり聴かれず、妙に甘くて汁っぽい。ソロで可憐な声質を誇示する平松さんも、ディクションは(ホールの音響のせいなのか知らないが)明瞭とは言い切れず、一緒にプログラムに並んだ器楽アンサンブル曲の明快な演奏とはかけ離れたモヤモヤが残ってしまったかな。雰囲気としては「平松さんに合わせました」っていう感じだったんですが、もしかするとボッセの中にカンタータについて確たるイメージがあるのかもしれないし、真相は不明です。

さてこの演奏会、NHK-FMの収録が入っておって、6月22日夜の「オーケストラの夕べ」で放送されるみたいなんですよ。
実はドッペルコンツェルトの第2楽章終盤で、2ndソロの矢口さんのVnの弦が思い切り緩むか切れるかして演奏がストップするというハプニングがあり、ボッセがそこを巧く収めて再開させるというエピソード付きなんです。…果たしてそのまま放送されるかしらん?
加えて、放送では(上で述べたように)必ずしも名フィルのいいところだけが伝わるわけではないと思うんですが、ボッセの中にあると思われる「アンチ浪漫性」がストレートに析出する場面も多いので、他地域の皆さんお楽しみに。
by Sonnenfleck | 2008-05-26 06:51 | 演奏会聴き語り
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