名古屋フィル 第348回定演

【2008年6月7日(土)16:00~ 第348回定期/愛知県芸術劇場】
<ツァラトゥストラ3―大いなる憧れ>
●ワーグナー:舞台神聖祝典劇《パルジファル》 第1幕への前奏曲
●デュティユー:Vn協奏曲《夢の木》
→堀米ゆず子(Vn)
●ブルックナー:交響曲第9番ニ短調(コールス校訂版)
⇒マイケル・クリスティ/名古屋フィルハーモニー交響楽団


《パルジファル》の4時間半を100分に凝縮してみせたのかもしれない。このプログラム。

指揮のマイケル・クリスティは1974年生まれのアメリカ人で、04年までオーストラリアのクインズランド管の首席指揮者をやり、現在はアリゾナのフェニックス響とニューヨークのブルックリン・フィルの音楽監督を務めているらしい。02年のアジア・オーケストラ・ウィークでクイーンズランド管と来日してるみたいだけど、それ以外は日本語でググってもほぼまったく情報の見つからない指揮者なので、ドキドキします。

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《パルジファル》第1幕への前奏曲は朴訥とした大きな流れが作られている一方で、叙情味のある楽句への繊細なこだわりも聴かれ、コンサート前の現実と音楽を隔てるには十分合格点。定期に訪れる聴衆のマナーがここ数ヶ月で飛躍的に向上してきていることもあり、ホールの残響を聴き取ったナチュラルなゲネラルパウゼがいい感じ。

さても「前奏曲」からデュティユー《夢の木》への遷移は見事なものでありました。前回前々回のようにアタッカでこそなかったけれども、こうした食前酒と前菜の不思議な対置/融合によって、それこそ毎月毎月新しい発見が得られていますもの。幸せだ。
聖にも俗にも傾かない浮遊感のある曲調。各所に心地よい旋律の残り香があるし、快速な部分では打楽器が拍子を彩るのでミヨーやルーセルの残像が見える。しかし冒頭、堀米さんが奏でる甘い旋律が、どうしてかわからないのだけど《パルジファル》の〈聖餐の動機〉を髣髴とさせるんですよ。これにはまったく驚いた。分析したら理由がわかるのかなあ。

堀米さんの音を生で聴いたのはこれが初めてですが、温かく包み込まれるようでいて、妖艶な湿り気もある。冒頭書いたようにこれが《パルジファル》仕立てだとしたら、クンドリの誘惑と嘆きをイメージせずにはおれないのです。左肩故障で来日できなくなった当初のソロ、ペッカ・クーシストで聴いていたら、同じ印象を受けただろうか?
クリスティの指示は非常に的確に見えました。全体を大づかみで捉えながら要所ではその要所たる部分をはっきりとオケに示しているので、オケはやり易いと思われます。おどけたパッセージが真面目君になっちゃうのは2月のブラッハーとか4月のツィンマーマンとかでも見られた傾向ですが、コバケンに毒された鍛えられた名フィルであれば、表現する潜在能力は備わっていると思うので、もっとぶつかってきてほしいな。

さてブル9。「コールス校訂版」って最新のクリティカル版のことみたいです。
第1・第2楽章は、、それぞれ音価を切り詰めてたいそう速い。びっくり。
前者は冒頭のホルン隊、後者は43小節目(?)に変わったアクセントを置いてオケがコケるアクシデントがあったんですが、特に第2楽章は聴いたことがないくらいダンサブルな仕上げになってて…うきうきしてしまったのでした。マリオが(ルイージでもいいけど)等間隔に並ぶブロックをぽーんぽーんぽーんっと飛んでいくように、拍がぽーんぽーんと後ろに遠ざかっていく。荒削りだったけどやりたいことやってるなあという感じで、僕は積極的に評価したいです。朝比奈隆みたいなブル9を期待した人は噴飯ものだったかもしれないが。

第3楽章はしっとり。ここは名フィルの健闘を讃えたいです。
冒頭短9度の跳躍、よく合わせたなあ。下品にならないちょっとしたポルタメントを付けて、なかなか厚みのある響きで統一されている。コラールの中のTpがちょっと弱々しくて心残りだったけど、<ツァラトゥストラ>シリーズに入ってから続いていた「メインでスタミナ尽きました」という傾向が、今回についてはほとんど当てはまらなかったのが嬉しい点です。
コーダはもっともっと音量を落としてもよかったけど、聴き手に爽快な疲労感と達成感をもたらして、クリスティが手を下ろしきるまで拍手をさせなかったのは、最後まで持続したオケの緊張感に因るところ大でありましょう。アンフォルタスもクンドリも救済された。かな。
by Sonnenfleck | 2008-06-09 06:46 | 演奏会聴き語り
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