狂気のない狂気

幻想交響曲がメインに据えられた、ティエリー・フィッシャー登板の次回名フィル定期。
行けないことが正式に決定いたしました。ががーん。
悔しいからドホナーニ聴いたる。

c0060659_865376.jpg【DECCA/POCL5166】
●ベルリオーズ:《幻想交響曲》 op.14
●ウェーバー/ベルリオーズ:《舞踏への勧誘》
⇒クリストフ・フォン・ドホナーニ/クリーヴランド管弦楽団

ドホナーニならなんでも誉めるんかよ?な感じを皆さんに与えているかもしれませんが、それはいいなと思ったものしかここには書いてないからです。この前聴いたバルトークのオケコン+弦チェレはキレイすぎてちっとも面白くなかった。バルトークにはある種の凄惨な色使いが必要だと思うんですけど、それから巧妙に逃げてましたもん。スマートだけどずるいよな。

さて幻想交響曲ではそのキレイさが思いっきりプラスに働いてます。
第1、第2楽章は本当にキレイで嘘くさい。よくあるじゃないですか、猟奇殺人の真犯人がスマートで人当たりのいいナイスガイだった、ってやつ。あれです。しかも犯人と誤解されるべき狂気に燃える芸術家青年がここにはいません。いないのが気持ち悪いのです。
第1楽章では冒頭の主題で弦を抑制させるかわりに木管の爽やかなアンサンブルが前面に出して、イデーフィクスの扱いなんか手馴れたもの、そのまま白い歯を見せて苦悩することなく連れて行ってしまいそうです。第2楽章では弛緩しない誠実なテンポを設定し、上手なコルネットが舞踏会の美女を惹きつけて、最後の固定楽想は蕩けるようで、、、嫌だ、、完璧すぎる。比較的似ていると思われるデュトワですら、ここまで嫌味なく善人を演じることはない。。

この演奏で最も面白いのは第3楽章。ここでキレイさが古典的な佇まいと結びつく。
最初の<羊飼いの対話>は誰がやってもあんな感じですが、中間部の古風な折り目正しさからシューベルトを連想しました。中間部の頂点である金管とティンパニの咆哮もあっさりした「ポーズ」として軽く流されちゃうし、この後ベルリオーズが標題性の方向へ進まなかったら、こんなアダージョが据えられた交響曲第2番を書いていたのかもしれません。この曲を聴いてこんな思いに至ったのはこれが初めてだなあ。遠雷の2丁ティンパニもとことん明晰に鳴っていて、何かを描写しているとは到底思えない。

さて虫も殺さぬような顔をした好青年が(そのままの顔で)いよいよ破局に向かって走り出します。第4楽章の行進曲ではクリーヴランド管の圧倒的なアンサンブル能力が全開になって、スマートなイケメンマスクに狂気がじわりと染み出してくる(いくらなんでも揃いすぎ)。第5楽章では「サバトで変容した」イデーフィクスがまさかのノンリタルダンド!変な表情がついたりということもなく、全然グロテスクじゃないのが逆に物凄くグロテスク。あえて期待のハシゴを外すのって、ドホナーニがけっこうよくやる企みですね。
でも「怒りの日」の鐘以降、にわかにトゥッティが粘ついてくる様子が鮮やかです。
それでも小節線が溶けたりはしないので、好青年ついに正体を現して最後の大悪事、という感じ。華麗な最期を迎えるも―アンサンブルは腹立たしいくらい秩序立ったまま。。
by Sonnenfleck | 2008-06-29 08:12 | パンケーキ(19)
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