びわ湖の夏・オペラ・ビエンナーレ 《フィガロの結婚》

恥ずかしながら生まれて初めて琵琶湖を見た。でかい。
湖畔に突き出したびわ湖ホールですが、ロケーションは最高でありました。オペラが日常からの脱出だとしたらこれほど素敵な環境はないでしょう(ホワイエから見渡すかぎり盛夏の太陽に輝く湖面!)。拙宅の玄関から歩き出して、およそ120分でここの座席に辿り着ける。

c0060659_19352187.jpg【2008年7月19日(土)14:00~ びわ湖ホール 中ホール】
●モーツァルト:《フィガロの結婚》 K492
→津國直樹(Br/伯爵)
  老田裕子(S/伯爵夫人)
  端山梨奈(S/スザンナ)
  柴山昌宣(Bs/フィガロ)
  白根亜紀(MS/ケルビーノ)
  小林久美子(MS/マルチェリーナ)
  北村敏則(T/バジリオ)
  古瀬まきを(S/バルバリーナ)
  清原邦仁(T/クルツィオ)
  中野嘉章(Bs/バルトロ)
  石原祐介(Bs/アントニオ) 他
→オペラ ビエンナーレ合唱団、ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団
→岩田達宗(演出)
⇒キンボー・イシイ=エトウ/大阪センチュリー交響楽団


さて今回の《フィガロ》は、びわ湖ホールのビエンナーレの演目として自主制作されたプロダクション。ソロは全国からオーディションで募ったらしく知らない方ばかりで、不安がまったくなかったと言えば嘘になるんですけど、実際は…よく練られ充実し切っておりました。
感動の本質は金に立脚してるわけじゃないと思いつつも、パリ国立の10分の1の値段でこれが聴けたのは幸運でした。行ってよかったっ。

■演技と演出
この公演、演技の質がずいぶん高水準だったと思うのです。
今回1階席の前から2列目に座ることができたので、歌手たちの動き一挙手一投足が窺われたのですが、よくありがちな「面白く見せなきゃ、頑張らなきゃ、、」という悲愴な(しかも半端な)雰囲気がないんですね。おそらく「自然」に見えるよう考えられ、また非常に努力された結果として、表情、腕の組み方、視線の方向から振り返るタイミングに至るまでいかにも血が通っている。どの役者さんも。
「行列ができる演出家」こと岩田達宗氏の咀嚼も、シンプルの極み。
細部はマニアックな小物に溢れて箱庭的な完成度を誇るくせに、大筋は青白い優等生のようでつまらない、っていうのが「若手」の日本人演出家に対する僕の印象ですが、岩田氏は違った。
前景に傾斜のある四角いお皿、後景にその幕を象徴する事物を紐で雁字搦めにして吊るす、簡単な構造。珍奇な読み替えも興醒めな暗示も使わず、人物には18世紀90%/今日10%くらいの保守的な衣装を着せ(配色も基本的にモノトーン)、それでも活き活きとした<演劇>になっていたのはなぜか?
聴衆に感じさせ考えさせる余白の部分が絶妙なバランスで残されてたのが、そのひとつの要因ではないかと思うんです。ところどころでバジリオを黙役の(舌足らずな!)狂言回しに使ったのも余白に罫線を引くくらいの意味だろうし、《フィガロ》に限らず、音楽もストーリーも構成要素が多い作品だと、こうやって「何から何まで説明し切らない、紐付けしすぎない、踏み止まる」センスがとても重要になってくるんでしょう。
(※ビエンナーレの公式ブログ。舞台写真も多く掲載されてるのでご覧ください。)

■ソリスト
第一にスザンナ役の端山梨奈さんにブラヴァを飛ばしたいッス。
声量がそんなに豊富ではない点を除けば、芯のはっきりとしたディクション、コケティッシュかつ堂々とした態度、冒頭の新居から最後の庭園まで、完全に魅了されました(この感情は萌えだな)。これでこの日がスザンナ初舞台なんだからたまらないですわ。第2幕でケルビーノに伴奏をつけてやったり、衣裳部屋に隠れて立ち回るとこなんかホントによかったなあ。繊細さと機知を声と演技の両方に兼ね備えた美貌のソプラノというわけで、、もし中央に進出したら(って書かざるを得ないのはムカつくが)、たとえば森麻季の牙城を崩しつつガンガン有名になってく人かもしれない。舞台を明るくするオーラがあるもん。
スター誕生の瞬間に立ち合ったようだ。

次にケルビーノ役の白根亜紀さん。清浄かつキレのいい声質の持ち主で、ズボン役もピタリ。おまけに大変きれいな方で演技も巧いものですから、そういう方がわざと不良ぶったりガサツぶったり、あげく「女装」したりすると、恋せるアンドロギュヌス・ケルビーノの妖しさが全開。スザンナや伯爵夫人と並んでいると何かドキドキさせられる。
熱っぽい戸惑いを絡める〈恋とはどんなものかしら〉がよかったのは当然のことながら、第1幕の最後でフィガロに追い立てられてるところ、そして第4幕で伯爵夫人からキスされるところ…演技だけでクラッと来た、ってのは小さい声で書いときます。

伯爵役の津國直樹氏も堂々たる貫禄(北村一輝似)。
始めのうちはエンジンがなかなか掛からず声も埋もれていたのだけども、第3幕になって伯爵の一人称が語られるようになると一気に畳み掛けてきます。豪快な〈私がため息をついている間に〉のあと拍手が特に大きかったのも納得。第4幕のフィナーレで「許してくれ」と絞り出された声の真実味に思わずホロリ。。

いっぽう伯爵夫人の老田裕子さんは安定していたけどもあまりにも落ち着きすぎているように思われたし(哀切を追求した結果かも)、逆にフィガロの柴山昌宣氏はあまりよくない意味で現実感があって、地声が想像できるような上ずりがしょっちゅう聴こえてくるので、ちょいと苦手でした。早口のディクションとか貫禄があったけどね。
クルツィオの清原邦仁氏とバルトロの中野嘉章氏はドリフのような強烈なメイクも手伝って、怪演としか言いようがない。

■オケ
最近よく名前を目にするキンボー・イシイ=エトウですが、懐疑を差し挟む余地がないくらいスピーディな横方向重視、しかも盛り上げどころを効率よく突いてくる音楽づくりで、なるほどこういうのを叩き上げカペルマイスター型っていうのかもしれない(しばらく横顔を観察してみたんですが、やっぱり歌詞を全部歌いながら指揮していた)。
ベルリン・コーミッシェオーパー仕込みの起伏の大きな指揮に、大阪センチュリー響は可能な限り応えていた。ホルンソロがずっこけたりするのを責めるべきではないだろうし、逆に、第2幕フィナーレの豪放な盛り上がりや、第4幕フィナーレの抑制された美しい響きは、ただ一定の水準を満たすだけではないのだというのを主張していたと思うのです。

+ + +

本公演はすべてにおいて手堅く、総括すると「いい時間を過ごさせてもらった」と言うしかありません。フィガロってそういうオペラだよな。たぶん。
今日明日の公演に行ける方はぜひとも、と書こうと思ったら…チケット完売。
by Sonnenfleck | 2008-07-20 08:28 | 演奏会聴き語り
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