パリ国立オペラ 《トリスタンとイゾルデ》 その1

c0060659_6303781.jpg【2008年7月27日(日)14:00~ オーチャードホール】
●ワーグナー:楽劇《トリスタンとイゾルデ》
⇒ピーター・セラーズ(演出)
⇒ビル・ヴィオラ(映像)
→クリフトン・フォービス(T/トリスタン)
  フランツ=ヨーゼフ・セリグ(Bs/マルケ王)
  ヴィオレッタ・ウルマーナ(S/イゾルデ)
  ボアズ・ダニエル(Br/クルヴェナール)
  エカテリーナ・グバノヴァ(S/ブランゲーネ)
  サムエル・ユン(Br/メロート)
  アレス・ブリシャイン(T/牧童・若い水夫・船乗り)
  ユリ・キッシン(Bs/舵手)
→アレッサンドロ・ディステファノ/パリ国立オペラ合唱団
→セミョン・ビシュコフ/パリ国立オペラ管弦楽団


何から書いていいのかわかんないや。。整理しきれないのでそのまま字にしてしまいます。
今回ばっかりは自分のための記録を書くので、乱文ゴメンナサイ。

ずぶずぶぐずぐずに泣かされたという意味では、今回を上回る体験はこれまでない。
第3幕の最後の10分間はハンカチで口を押さえて嗚咽が漏れないようにするのに必死だったです。それは今回が人生初の生トリスタンだったせいもあるし、壮絶に美しいビル・ヴィオラの映像に酔ったせいもあるし、オケが色気のある音を放出していたせいでもあるし、ヴィオレッタ・ウルマーナのマジなイゾルデに動転したせいもあるだろう。

+ + +

■演出(セラーズ+ヴィオラ)
まさしくビル・ヴィオラによるトリスタン解釈のために用意された演出でした。

「舞台」と書くのが妥当なのかわからないくらい簡素な仕えで、キングサイズのベッド程度の黒い台がひとつふたつ存在するだけです。衣裳も黒い地味な作り、イゾルデが黒いドレスを着ているくらいで、トリスタンはそこらのおっさんのような化繊のジッパー付きコート(第3幕では病院着のような白装束)、クルヴェナールに至っては灰色のTシャツ+ジャージ。
演技なんかもごくあっさりしたもので、心情吐露は基本的に棒立ちなんですよ。魔酒の杯を飲み干すときも愛を為すときも剣で敵を刺すときも、やれやれどっこいしょ…ってな感じで最小限の仕草しかしない。

そのかわり、、後景を占有する巨大なスクリーンが世界のすべてを映し出すのです。

◆第1幕
1.前奏曲が終わって幕が上がると、荒れ狂う海、灰色の波しぶき。
2.同じ大きさの2つの額縁(中にはいかにも制作された広大無辺な空間が広がっているが、地平線に明かりを受けた点がそれぞれ見える)。
3.徐々に点が大きくなってゆき、それがこちらへゆっくりと歩いてくる男女だとわかる。
彼らは接近しきって額縁から飛び出す。
4.男女は別々の部屋に入り、東洋風のゆったりした服を脱ぎ始める。
それぞれの部屋には老人と老婆がいて、それを手伝う。
5.一糸まとわぬ全裸になると、彼らは流れ落ちる二本の水を手で結び、あるいは盥に張った水に顔を浸し、老人と老婆によって甕の水を頭から掛けられたり―要するに浄められる。
6.イゾルデがブランゲーネに薬酒の企みを明かすあたりから映像が一旦消える。
しかし2人が媚薬を飲み干した箇所のトリスタン和音に合わせてスクリーンが光り、男女が一緒に水へ飛び込む映像が「水底から捉えられる」。
7.コーンウォールへの到着とともに再びホワイトアウト。1階客席の最後列に合唱が一直線で並び、マルケ王が1階中央扉から入場、舞台のトリスタンとイゾルデを一瞥。暗転。
⇒当然だけど、音楽は映像に合わせて展開するのじゃなく、誰かが音楽の展開を耳にしてその場で映像を切り替えているようでした。スコアも台本も完璧に読み込まないとこんな映像は作れないし操れないだろう。
愛の薬酒が体を巡って、トリスタン和音が鳴った瞬間に男女が水へ飛び込む。ぞっとさせられる。これ以降は暗い水中のお話なのだ!ただし秘教的な浄めの映像については少し疑問が残ります。「水中」を予感させる仕立てにしては具象的すぎて、音楽の領域を侵していたようにも思えました。
◆第2幕
1.黄昏の森。日はすぐに落ち、森は幾本ものサーチライトで探索される。
2.燃え盛る巨大な火柱。
3.暗い背景からゆっくりと近づく男。やがて火柱に辿り着き、薪を蹴飛ばしながら通過。
4.無数に並ぶ燭台のひとつひとつへ火を点す女。
5.見つめ合う男女。そこで赤外線カメラのような粗い映像へ切り替わり、ぼやけ、曖昧にされ、きっと音楽と同じものが映像でも展開される。
6.浜辺から入水する男女。
7.月明かりと夜の森
8.クルヴェナールの叫びとともに不気味な暁闇の森の遠景へ。メロートの告発とマルケ王の独白とともに夜は白々と明けてゆき、朝焼けに巨樹が黒く浮かび上がる。
9.明るすぎる陽光の下で刺されるトリスタン。暗転。
⇒当初、火に対する男と女の違い(3. 4.)。
トリスタンは「今」激しい衝動に駆られていたし、イゾルデは「これから」どうしていけばいいのかという点に関して心を整理しようと試みていたと思うのです。しかし音楽の昂ぶりとともに男女の考えは融合し、映像でも身体と空間が溶け合って「水中のように」判別がつかず、時間の反復や省略が起こる(5. 6.)。そして夜明けにより現実が侵入してくると、太陽の昇り方からして、この時間は収縮することなく流れる(8. 9.)。
◆第3幕
1.これまで横長だったスクリーンが縦長に。
2.灰色の海、冬枯れの木立、ぼやけて曖昧な城や領地。
3.前二幕ではなかった赤い水の映像が頻繁に流れる。藻、着衣のまま泳ぐ女の姿。
4.陽炎の立つ、明るく暑い大地の向こうから、だんだんと近づくヴェールの女。女はイゾルデの到着とともに高い火柱を背にして鮮明に立ちはだかり、そして倒れる。
5.トリスタンが事切れると、黒い台座に横たわる男の映像に切り替わる。メロートの死も、クルヴェナールの死も、映像はついぞ関知しない。
6.「愛の死」とともにもはや何もないはずの男の体から水泡が立ち昇り、それは徐々に流れとなって上昇を始める(ここは水中だったのだ!)。呆然とスクリーンを見上げるしかないマルケ王とブランゲーネ。イゾルデのクライマックスとともに激しい水流が男の体を持ち上げ、遥かに高いところまで持ち上げていく。水面を抜け、夜空まで。暗転。
「みなさんには見えないのですか」というイゾルデの言葉、これが楽劇《トリスタンとイゾルデ》を、最後の最後で額縁から解放するわけです。
(ここで初めて、それまでスクリーンの存在を完全に無視してきたマルケ王とブランゲーネが映像を凝視する。でも、ここで言う「みなさん」が彼ら登場人物だけを示しているのではないというのは、愛の死を歌うイゾルデをまっすぐ客席の方を向かせて直立不動にしたことからも十分に窺い知れる。)
ものがたりの額縁から音楽がするりと抜け出てくる瞬間を、ビル・ヴィオラはあえて見えるようにした。「野蛮な」視覚を経由してもなお美しい音楽。

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続く、かなあ。
by Sonnenfleck | 2008-07-29 07:06 | 演奏会聴き語り
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