名古屋フィル 第350回定演

c0060659_853294.jpg【2008年9月6日(土)16:00~ 愛知県芸術劇場】
<ツァラトゥストラ5―学問の拒絶>
●メシアン:《キリストの昇天》
●武満:《ファンタズマ/カントス》
→亀井良信(Cl)
●ラヴェル:バレエ音楽《ダフニスとクロエ》
→荻野砂和子/グリーン・エコー
⇒ティエリー・フィッシャー/名古屋フィルハーモニー交響楽団


メシアン+武満+ラヴェルによる「学問の拒絶」
いい。たまらなくいい。萌えのポイントを的確に刺激されます。

と言いつつ、実はメシアンと武満はそれぞれ聴いたことのない作品。
メシアン《キリストの昇天》はプログラムによると1932年から33年にかけて作曲されているので、まったくモダンの作品。コンテンポラリーじゃないよね。全4楽章、30分ほどの時間の中に、後々メシアンらしい音組織を形作る各要素たちが、ここではまったく別の形状に擬態して並んでいるような感じでした。ただし学問は拒絶されているから、これは交響曲ではない。

たとえば第1楽章〈みずからの栄光を父なる神に求めるキリストの威厳〉は、これはブルックナーの残り香がふわーっと漂ってくるし、一方で第3楽章〈トランペットとシンバルによるアレルヤ〉の根底にはルーセルのような軽快な運動性が聴こえてくる。
加えて特に第2楽章〈天国を希求する魂の清らかなアレルヤ〉で顕著なんですが、極めて点描的な、ウェーベルンのような感触がこの作品の全面に覆いかぶさっているんですね(頻出する管の大ユニゾンはショスタコーヴィチのお得意パターンだが、これは「管の大ユニゾン」というひとつの選択肢、パレットの中のひとつの色にすぎないようだ)。そのために各パートが裸になってしまう場面がかなり多いので緊張するだろうし、オケプレイヤーたちにとってはなかなか辛い曲かもしれません。
管楽器だけで演奏される第1楽章、そして弦楽合奏だけで演奏される第4楽章〈父のみもとへ帰るキリストの祈り〉、名フィルのメンバーはそれぞれ健闘していたと思います。…思いますが、後者に限っていえばもっとグラマラスな量感を出してほしかった。フィッシャーの指示かもしれないけどとにかくストイックで、ひんやりしてとても美しい音が出ているんだけど、ちょっと食物繊維っぽくて物足りないんですよね。。これは様式に沿った解釈だろうから、肉っぽくなったメシアンしか知らない自分としては何も言えないけどさ。。

続く武満の《ファンタズマ/カントス》
点描的でそんなにメシアンらしくない1曲目のあとに並べて聴くと、90年代の武満作品は余計トロトロでエロティックに聴こえるであります。タケミツトーンとクラリネットの相性は抜群であると思われますが、この日のソロを務めた亀井氏はとても耽美的な音質の持ち主のようで、いつ始まるともいつ終わるともわからない武満時間に溶け込んでいました。
よく練り上げられたこしあんのようにしっとりと光ったり、暗さを秘めたりして、オケの状態はこの曲が最もよかったように思う。この前のショスタコーヴィチもそうだったけど、こんな感じの響きを作るのが得意なフィッシャーのスタイルを僕は強く評価したいし、それを名フィルに導入しようとしている彼の試みもぜひ応援したい。

さて《ダフニスとクロエ》です。
ここで白状しますが、実は金曜と土曜、両方聴きにいったんですよ。

金曜のダフクロはもう本当にアンサンブルがガタガタで、合唱にもいらぬ緊張が走り、そういうときに限って個人のミスも集積し、さらに長いスコアの最初の1小節目で着メロが鳴り響いてしまって、それはそれは悲惨な出来に。。
メシアンと武満は金曜の方が厳しい集中力を感じたので、どうも前後半で力の配分をミスったんじゃないかなあと思うんですが、一方で「ツァラトゥストラ」シリーズにより大量の情報が注ぎ込まれた疲れがここにきて出てきたのかなあという気も。。

仕切り直して土曜日。
フィッシャー親方の意図しているラヴェルは速めのインテンポの中に自由なデュナーミクが効いているために柔らかく、それでいて冷たくツンと澄ましていて、各場面の切れ目には几帳面な句読点が置かれ、とこれまでの名フィルには(たぶん)そんなに馴染みのない要素が多く含まれていたんです。これも金曜のゴタゴタした演奏の原因かもしれない。
しかし…オケは土曜日に一変。
土曜日の午前中(金曜の深夜かも)に何があったか知りませんけど、アンサンブルの練り上げがまったく段違いなのですよ。レベルが違う。あちこちから匂い立つような素晴らしい響きが立ち昇ってきて、眩暈のするような幸福を感じました。

ダフクロはどの部分も欠かすことができないし、連続しているから意味があるわけで、どこかを取り出してああだこうだと書くのはあんまり気が進まないのだけど、特に強く印象に残っているのは〈無言劇〉かなあ。
それまでの仮借ないインテンポの行進がここだけ極端に緩められ、この日大活躍の首席Fl・富久田氏の音がふわふわと漂います。彼の音にはこれまでそんなに注目していなかったけれども、何よりノリとリズム感に優れているようで、これはフィッシャーの音楽づくりに間違いなく適していると思う。元フルーティストの指揮者にしごかれるのはなかなか大変だったでしょうが、フィッシャーがカーテンコールで真っ先に彼を立たせたのはもっともなことです。
(※《クープランの墓》がOb協奏曲なら、《ダフニスとクロエ》はFl協奏曲かも。)

打楽器陣は健闘していたと思う。金曜日はスネアがズレ気味で残念だったけど、土曜にはしっかり補正されていましたし。非楽音的な音が頻出するハープも素晴らしかったです。
ただし、ウインドマシン。
帰りがけに階段を下りていたカポーの男の方が「あれならオレでもできるぜー。ひゅ~ううう~ってやつ。どぁはははは!」って笑っていたけど、意外にそうでもないのだ。滑り出しと止めを円滑に行なわないと、風には聴こえなくなる。

合唱は、、指揮者が必死に口に指を当てて「しーっ!」とやるのに、なかなか声量をコントロールできない。あれだけ人数がいると(これまで何度か聴いてきたグリーン・エコーに比べて多かったような…)ひとりひとりが本当に注意しないと、恐怖の金太郎飴メゾフォルテになってしまうんだよなあ。残念。それでも金曜より土曜のほうがずっとずっとよかった。

+ + +

ステージ上にはマイクがセットしてあったけど、武満のときにソロ用マイクが立ってなかったから、合唱団員頒布用の録音かも。いや、武満はコンチェルトではないから総体の中に聴こえてこそという深謀遠慮に因っているのかもしれないけど。
by Sonnenfleck | 2008-09-07 09:29 | 演奏会聴き語り
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