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レオナール・フジタ展@北海道立近代美術館

レオナール・フジタ展@北海道立近代美術館_c0060659_6285819.jpg夏の北海道旅行の合間に。寝台特急「まりも」の発車まではずいぶん時間があるので、ちょうど金曜日に夜間開館していた北海道立近代美術館を訪ねました。風が冷たーい。

このエントリを書くにあたって、自分の中のフジタ像と世間の評価がずいぶん食い違っていることを知りました。
僕はせいぜい「細い線で白く美しい肌を描く人」という程度の認識でしかなかったんだけど、世間においては「巨大な戦争画を描いた『大家』、戦前も戦後もシラネ」とする評価が今でも見られる。
そんなもんなのか。描いた絵ではないところで画家が評価されるのか。
※たとえば、wikiからは「はっきり言って、藤田は戦後には大した作品を残していません。」と書かれた暴論へリンクが張られています。ぜひご覧下さい。アホか(でも戦争画に関して詳細な情報が読めるので、価値のある文章だとは思う)。

1 初期、そしてスタイルの確立へ
パリに渡ってすぐの頃、モディリアーニの影響を強烈に受けたヴィヴィッドな作品がいくつか展示されていて興味深い。赤い服の母、緑の服の父、人形のような赤ん坊を示した《家族》(1917年)に、モディリアーニの《カリアティード》を見るのは簡単だと思う。
しかしその直後、僕の知っているフジタが現れます。
《二人の女》(1918年)、これが最初期の「grands fonds blancs」だろうか。いくつも描かれた裸婦画における「陰翳が沈滞した肉」の表現が、これがフジタの根底にあるんだろうなあ。その翌日にオンネトー湖畔で見た白樺の肌が、弱い陽光を浴びてフジタの描いた肉と同じように光っているのを見て、慄然とした。

2 群像表現への挑戦
本展の目玉である4つの巨大壁画、《争闘Ⅰ》《争闘Ⅱ》《ライオンのいる構図》《犬のいる構図》がこのセクションに展示されています。
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充実しきっていたフジタによって1928年に制作されて以来、《争闘》はパリで、《構図》は東京で一度ずつ展示されながら、フジタ未亡人が借りていた家具倉庫から発見される1990年まで、この4作品は日の目を見ることがなかったのでした。
これは圧巻。圧巻としか言いようがない。
3メートル四方の正方形の中に、ミケランジェロと北斎漫画が合一しているんですね。肉付きは多少デフォルメが強まっているけども、肌の風合いは間違いなくフジタ。しかしポージングと奇妙な平板さには北斎漫画の流れ込みが感じられるし、裸体がこけつまろびつしている様子にはミケランジェロの群像表現が見て取れるような気がする。
それから《猫》(1940年)。猫版《争闘》とも言える猫の群像表現ですが、猫の顔が可笑しくて吹き出したら隣のおっさんに睨まれてしまった。おっさんごめん。
第二次世界大戦中にフジタが日本で描いた群像による戦争画に関して、この展覧会では完璧に隠蔽されている。それもアリかもしれない。本展は「藤田嗣治展」ではないから。

3 ラ・メゾン=アトリエ・フジタ
《アージュ・メカニック》(1959年)と《フランスの富》(1961年)に描かれた人形のような子どもたちに、フジタの稚気とその裏の残忍な子どもっぽさを感じ取る。その脇にはフジタのアトリエが実物大に再現され、僕たちはその中を縫って歩くのです。
フジタは手許の裁縫箱やじょうろ食器、衝立にも彼一流の装飾を施し、また《私のアトリエ》(1953年)というドールハウスも手がけていました。こうなると食べるための画家というよりも偉大な趣味人といったほうが的確かもしれない。

4 シャペル・フジタ
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カトリックに改宗してからのフジタは、華やかで時間の停止したような画面を作り出すようになったようです。上にUPした《礼拝》(1963年)には、よく知られているとおりフジタ自身が画面に入り込んでいますが、にもかかわらずその実体感のなさには唖然とする。フジタ以外はみな蝋人形のようでもあり、遠景の鳥群と中央の聖母が遠近感を狂わせて、これをさらに不思議な空間にしている。
さて、フジタは人生の最後に「平和の聖母礼拝堂」という建築物を遺しています。
本展ではこの礼拝堂の構造をそのまま生かしたような形で、壁画の下絵やステンドグラスの展示が行なわれているんですね。アトリエの再現といい、こうした体験型展覧会からは得るものが本当に多い(…のと同時に、あるべき空間から捥ぎ取られてきた絵を飾る「美術館」の寒々しさも感じてしまうんだけど)。
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礼拝堂のフレスコ画のための習作、洗礼や磔刑のイエスの裸体からは、喧騒のパリで白い肌の人物を描いていたころの「肉」の表現が確かに伝わってくるのでした。

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実は、僕の郷里には、幅20メートル・高さ3メートルを超すフジタの大作《秋田の行事》(1937年)がこっそりと展示されています。秋田県民は皆そのことを忘れているけども(僕も忘れていた)、今になって考えてみると、あれは《争闘》と《構図》における群像表現がさらに煮凝って、濃密な味わいに発展した凄まじい作品なのだろうなと思う。冬に帰省したら見てこようっと。
by Sonnenfleck | 2008-09-12 06:34 | 展覧会探検隊 | Comments(2)
Commented by iustitia at 2008-09-13 12:43 x
藤田嗣治を論じるには、戦争画の文脈は不可欠なんですが、Léonard Foujitaの展覧会ならこういうのも良さそうですね。
戦争画に関しては、針生一郎・椹木野衣ほか『戦争と美術 1937-1945』(国書刊行会)が、現時点では質量ともに最も優れていると思います。
Commented by Sonnenfleck at 2008-09-13 23:50
>iustitiaさん
あの展覧会で初めてフジタに触れた人は(というか自分もそんなものですが)、フジタが戦争画を描いたことを知らないまま図録を買って美術館を後にすると思います。それがいいのかどうかは判断が分かれるかもしれません。
戦争に関わってしまった藝術…絵画の状況に比べれば、簡単にプロパガンダ作品が聴ける音楽はまだ幸せかもしれませんね。マヌケなノンポリブロガーとしては、戦争画の実物を目にする機会が少ないのは単純に残念だなあとしか思わないんですが。
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