名古屋フィル 第351回定演

c0060659_19563831.jpg【2008年10月18日(土)16:00~ 愛知県芸術劇場】
<ツァラトゥストラ6―墓の歌>
●ベルリオーズ:カンタータ《クレオパトラの死》
→加納悦子(MS)
●ハイドン:交響曲第45番嬰へ短調 Hob.I.45 《告別》
●アデス:《…されどすべてはよしとなり》 op.10
●バルトーク:管弦楽のための協奏曲 Sz.116
⇒マーティン・ブラビンス/名古屋フィルハーモニー交響楽団


これまでの「ツァラトゥストラ」シリーズは、プログラムを見た時点でピンと来るか、そうでなくても実際にホールで聴いて納得がいくパターンでしたが、今回の「墓の歌」を貫く一本線は見えず。うーむ。

指揮者ブラビンスの名前は今年のプロムスでも見かけていました。10年以上BBCスコティッシュ響の副指揮者を勤め、その間ほかのBBC系オケも含めて彼がハイペリオンに録音したCDは30枚以上らしく、都響にも来年早々に客演するみたいです。いかにもフィッシャー系の人脈っていう感じですよね。
そのブラビンス、とにかく何でも器用にこなす人だなあという印象。
本定期の4作曲家の様式に関する途方もないギャップをちゃんと振り分けることができるし、ただ事務的に振り分けるんじゃなく、その上で聴衆が喜ぶ「ふりかけ」みたいなものもちゃっかり知っていてパラパラとやる。お客さん喜ぶ。オケメンも喜ぶ。みたいな。

+ + +

最初の《クレオパトラの死》は沈没。ダメだね最近。寝てしまう。

しかしハイドンの《告別》が、これが素敵な演奏だったので飛び起きることができました。
弦の編成は8-6-4-3-2と一気に刈り込む一方、その小編成にも関わらずアーティキュレーションは必ずしも原理主義的ではなく、レガートやヴィブラートも何食わぬ顔で表現パレットの上に乗っています。ブラビンスが作る土台はとろりとして温かい響きであって、そこへピリオド奏法の軽快さを抽出したふりかけをパラパラ(Fgシャシコフ氏が座っている場所は完全に通奏低音部隊だったね)。
これまでの「ツァラ」シリーズに3度練り込まれていたハイドンの中では、この日のブラビンスのスタイルがもっとも明解に成功していたと思われる。愛知県芸の豊かな残響も考慮に入れて、爽快かつふわとろな演奏でありました。

日本にいてフツーのクラヲタをやっているかぎり、アデスをライヴで聴くのは人生にそう何度もないことと思われます。今回の《…されどすべてはよしとなり》は、いやー可愛い曲だ。
打楽器群が重層構造になったリズムを叩く→トゥッティに飛び火する→いつの間にかごく簡単な山型のメロディが一本流れるようになる→リズムが落ち着いて静かに解決する、というのが大まかな流れですが、バルトークのオケコンとほぼ同じ大きさの巨大な編成なのに響きは省エネな感じ。ショスタコが交響曲第15番の最後でやった「チャカポコチャカポコ…」と同じ線上に位置する、「無邪気な」音の遊びです。
こういう無目的的な音楽って、定期演奏会なんかではまだまだ受けないのかもしれない。拍手の薄いことといったら!熱狂してる自分が恥ずかしくなるくらい!

最後にバルトークの管弦楽のための協奏曲
これはブラビンスとオケの共同作業が非常に上手くいっていた感アリです。ブラビンスはここにきて聴衆大喜びのガハガハ系バルトーク像を持ち出し、濃ゆい味つけを施すんですが、(多少の破綻もあったけども)基本的にはそれがスムーズに再現されるあたり、もう馬力だけの名フィルではないのだなあと。
もちろん第1楽章第3楽章の濃厚な静けさもよかったけども、第2楽章第4楽章のスパイシーな凹凸が実に刺激的でした。ああいう豊かな抑揚は日本人指揮者+日本のオケだとあんまり現れないですよね。面白かった。

ここまで書いて、今回の「墓の歌」は、ニューヨークのバルトークが葬った、しかし絶えず憧れてやまなかったヨーロッパ的な過去を並べたのかなあという気がしてきた(ニーチェの「墓の歌」ってそういう感じじゃなかったっけ?)。ベルリオーズもハイドンもアデスも、病身のバルトークが懐かしく思い描いた非合理性を背負っているものね。
by Sonnenfleck | 2008-10-19 08:18 | 演奏会聴き語り
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