2010年度のクリスマス中止派は、金→土という最強のカレンダー配置を前にして、戦わずして敗走したようであります。今年は「いつものあれ」が見つからない。中止派の職人は何してるんだよー!
(追記)あ。ごめんちゃんとあった。 + + + 【ARCHIV/UCCA3123】<シャルパンティエ> ●《テ・デウム》 H146 ●クリスマス・オラトリオ《主の御降誕のカンティクム》 H416から〈夜〉 ●4声合唱、リコーダーと弦楽のためのクリスマスのミサ曲《真夜中のミサ》 H9 →アニック・マシス(S)、マグダレーナ・コジェナー(MS) エリック・ヒュエ、パトリック・ヘンケン(T) ラッセル・スミス(Br)、ジャン=ルイ・バンディ(Bs) →ルーヴル宮合唱団 ⇒マルク・ミンコフスキ/ルーヴル宮音楽隊 さて、この季節はシャルパンティエだな。アンリのケーキじゃなく、マルカントワーヌの《真夜中のミサ》。 内気な美少年みたいなシャルパンティエ、僕はわりと好きなのですが、このあいだ買い求めたミンコフスキ盤を聴いてみますと、彼ららしい「愉しませ・面白がらせ」が極めて良い方向に働いているのがよくわかりました。 クリスティ/レザール・フロリサンのディスクを取り出して比べてみる。 声を輪郭線に用いてしっとりとレガート気味の柔らかな響きを形成し、小節線にもそれほど拘らず、明らかにリュリのような流儀で《真夜中のミサ》を捉えているクリスティ(久しぶりに聴いたが、いい演奏だね)。 対するミンコフスキはラモー、までは行かずとも、もっとざっくりとした、通奏低音が拍子を形成するコレッリ流の器楽重視路線でこの作品を演奏する。この拍子はあくまでも厳格であり、声を完全に支配下に置き、それゆえの舞踊的魅力を備えているわけですね。 どちらが優れているかという判断はできないが、今のところはミンコフスキの録音のほうが好きだな。ダンスナンバーだけではない、マイナー曲を量産していた90年代のミンコフスキの美点として、この作品ではたとえば〈クレド〉のように、なで肩の親密な美しさを提供する部分も多いわけだし。 + + + ちなみに《テ・デウム》は、今日のミンコフスキの「愉しませ・面白がらせ」肥大症を予期させる、たいへん豪快愉快な演奏です。ラッパと太鼓がいない場面でもオルガンとリュートを打楽器みたいにして(!)拍を作ってガンガン前に進んでいくのは、聴いていて素直に凄いと思う。
更新を心待ちにしているブログやサイトの数を数えだしてしまうと、両手両足の指を使っても到底足らないわけだが、その中でも特に文章が美しくて好きなのが「Langsamer Satz」、「音のタイル張り舗道。(旧『はた迷惑な微罪』)」、そして「ゴロウ日記」なのであります(敬称略)。文体の傾向は三者三様ながら、この方たちのような文章が書けたら悔いはないなと思いながらの日々。
+ + + 【Virgin/5099923614024】●モンテヴェルディ:『愛の劇場』 →ヌリア・リアル(S) フィリップ・ジャルスキー(C-T) シリル・オーヴィティ(T) ヤン・ファン・エルザッカー(T) ジォアン・フェルナンデス(Bs) ⇒クリスティナ・プルハール/ラルペッジャータ このアルバムは、その「音のタイル張り舗道。(旧『はた迷惑な微罪』)」さんが取り上げていたもの。 そして、僕のモンテヴェルディ観がすっかり変ってしまった記念の一枚。 ラルペッジャータ、というアンサンブルは名前のみ知っていて、エスニックなスタイルを売りにしているようだ、ぐらいの理解でありました。偏狭なクラヲタ精神に蝕まれているせいで、辺境的な演奏に近づくのがなんとなく恥ずかしいナ、という阿呆な想念も、このアンサンブルを見つけるタイミングを遅らせた。 モンテヴェルディはアレッサンドリーニもサヴァールも一応聴きましたが。彼らのような「ヌーヴェル・キュイジーヌ」でさえ、この食材にもってりとクリームソースを掛けて料理していたんだなあ。ラルペッジャータの演奏を聴いてしまって、なんだかそういう気がした。 この、香草というか山菜というか、いずれ古い時代の強い残り香を伴う繊維質の音楽に、厚いクリームを纏わせるのも一つのやり方ではありましょう。しかし自分には、クリームによってその瑞々しい歯ごたえや苦みがスポイルされていたように思われる。むしろスパイスと岩塩だけで味つけするラルペッジャータのやり方は、僕にとってはこれ以上考えられないくらい、モンテヴェルディの本質を浮かび上がらせているように感じられるのです。 + + + たとえば(いきなりアルバムの最後で恐縮だけども)、トラック16の〈西風が戻り〉というナンバーの軽快さ。余白が多いスコアの隙間を乳成分で満たしてしまうのではなく、岩塩の粒々でむしろ隙間を拡げて空気を含ませてしまう。チャッコーナのチャキチャキした軽さをこのように表現するのかあ。すごいなあ。。そしてジャルスキーとリアルの声で決定的に背すじを射抜かれるステレオ。 それから、ああこんな曲があったんだな―トラック3の〈ずっとあなたを見つめ〉。 これは《ポッペアの戴冠》のフィナーレを飾る二重唱とのことで、天国的に美しい音響。僕がラルペッジャータを称賛したいのはまさに、こういうゆったりとしたナンバーにしつこさが微塵もないという点なんだよねえ。擦弦楽器はあってもごく薄く振りかけるくらいに、逆に強く撥弦楽器のスパイスを効かせて(トラック6の〈苦しみが甘美なものならば〉、トラック10の〈安らかにみな忘れ〉などみなそうだ)。 でねでね。トラック2〈ああ、私は倒れてしまう〉の異様な表現は、ぜひご自分の耳で確かめてみてほしいス。セクシーすぎるコルネットの音もあり、、アントネッロのライヴだと瞬間的にこんな感じになってることは珍しくないけどね。。しかしジャルスキーの声はエロいな。。 【ASTREE/E8841】<pavana │ the virgin harpsichord> ●バード、ブル、ギボンズ、ダウランド、モーリー、トムキンズ、ピアソン… ⇒スキップ・センペ(Virg/Cem) オリヴィエ・フォーティン(Cem) ピエール・アンタイ(Cem) 仕事帰りに上司に捕まって中華料理店に連れ込まれて、たらふく紹興酒を飲まされたあげく帰りの電車で寝過ごしてエライ目に遭い、それでもめげずに携帯で山尾さんの「仮テンポ」にアクセスしたら、本当にスキップ・センペがLFJのために来日することがわかりました。 建国記念の日のすみだで階段をダーっと駆け上がる山尾さん(たぶん)を拝見したのは、吉兆だったのかもしれぬ。 いやあマジかよ。ホントに来るのかよ。時に雷鳴のごとく鳴り響き、時に空気が澱みそうなくらいねっっっとりとする彼のチェンバロを、ついに生で体験するときが。不遜ながら当ブログ、日本語圏のブログの中ではセンペのことについて触れた回数が最も多いもののひとつと思っていますので、こうして彼にスポットライトが当たるのは素直に嬉しく思います。 このCDも魔術的な一枚。ヴァージナルってこういう鳴り方のする楽器なの? センペのヴァージナルにフォーティンのフレミッシュ、アンタイ兄さんのイタリアンまで参加したトマス・モーリーの《蛙のガリアルド》、何が何だかわからない幻想世界ですね。 【TROUT RECORDS/H4702】●ヤコブ・ファン・エイク:《笛の楽園》 ⇒花岡和生(Rec) 最近、サントリーが妙にハイボールの宣伝に力を入れているような気がする。その宣伝に根負けして(?)、風呂から上がって寝るまでの間にハイボールを作ることが多くなりました。 たかがハイボールといっても炭酸と氷とウイスキーの微妙なせめぎ合いの上に成り立っているわけですから、その香りと味は時間とともに変化する。ですので、音楽を聴き込むのと同じように、縦の面を瞬間的に輪切りにして味わっていくような楽しみ方も可能であります。 でも、やはり音楽と同じように、変化する横の軸を味わうのだって素敵なことですよね。 あえて印象を上書きしてゆき、変化そのものを楽しむわけですから、時間の流れを念頭に置いて、過去のことは思い出さず、今に身を委ねるという算段。 …というときに、ボタンひとつでこうした音楽を聴くことができるのは、なんという幸せだろうか。ふえ一本による、縦の構造が存在しない音楽。素朴な旋律、素朴な横軸に陶然とするしかない音楽。花岡氏の気儘で感覚的な音運びに、視界も思考もますますぼやけてゆきます。 【PHILIPS/UCCP3467】<エリザベス王朝のヴァージナル音楽> ●バード:パヴァン〈Ph. トレジャン〉とガリヤード ●同:ネヴィル夫人のグラウンド ●ジョンソン:アルマン ●フィリップス:パッサメッゾ・パヴァーナとガリアルダ・パッサメッゾ ●モーリー:ファンタジア ●ブル:ブルンスウィック公爵夫人のトイ * ●同:ブルンスウィック公爵のアルマン * ●同:ラムレー卿のパヴァンとガリヤード ●同:ファンタジア ●ランドル/ダウランド:ガリヤード《わたしの罪をあの女は許してくれる?》 ●ファーナビー:トイ ●ギボンズ:ファンタジア ●トムキンズ:3声部のパヴァンとガリヤード ●ギボンズ:ファンタジア ●ファーナビー:ファンタジア ⇒グスタフ・レオンハルト(Cem&Vrg*) 一旦モンポウまで行ってしまった後に何を聴くか?これは大きな問題。 僕が普段楽しんで聴いているバロック音楽はせいぜい上限がリュリ(とリュリの影響を受けた作曲家たち)くらいなもので、案外狭い範囲なのです。そこを出て遡ると一気に楽しみ方が難しくなって、フローベルガーやフレスコバルディになると震えが走り、3Sになると冷や汗が出て、モンテヴェルディではもうついていけなくなってしまう。完全なる食わず嫌いなので、そのうち開拓していかにゃならんなと思ってはおりますが…。 従ってパーセル以前の、1600年を跨ぐイングランドの作曲家たちのストイックな作品はなかなか馴染めなくて、このディスクも手に入れて一回聴いてから放っておいたのでした。 しかしあのモンポウの後に聴くと、なんと華やかで饒舌なことか! 「何を聴いても同じように聴こえる」というのは、昔まだ後期バロックのよさがわからなかったころと同じ症状で、これは聴き込んでいけばそのうち解消される症状だということもわかってる。当然、まだそれぞれの差異がはっきりと楽しめる段階じゃないけども、レオンハルトの丁寧な加工によって古雅な輝きを得ているんだなというぐらいはわかるようになった気がする。しかし逆に、この禁欲的な作品たちに装飾をジャラジャラぶら下げたらどのように聴こえるのか、それも気になります(作品の様式的にOKなのかわかりませんが)。 バードはなんとなく大人な余裕があって、ギボンズは端麗辛口。 唯一ヴァージナルが使われるジョン・ブルの2作品はどちらも親しみやすいメロディ。 フィリップスのパッサメッゾ・パヴァーナとガリアルダ・パッサメッゾだけは、このアルバムの中では異色のバッハみたいな真面目な曲調で、レオンハルトの端正なタッチが活きます。 【RICERCAR/RIC 202】●デュモン:グラン・モテ集 →ヴァレリー・ガバイユ(S)、カルロス・メーナ(C-T) ジャン=フランソワ・ノヴェッリ(T) アルノー・マルゾラティ(Br)、ステファン・マクレオー(Bs) ⇒フィリップ・ピエルロ/ リチェルカーレ・コンソート、ナミュール室内合唱団 リチェルカーレ・コンソートとナミュール室内合唱団が、こんなに端正で柔らかい響きを出す団体だと知っていれば、もっと早くから追いかけていたことでしょう。 このデュモンはまったく絶品と言うほかありません。。 僕は通奏低音で古楽に入ったから、声楽作品を聴き始めると最初はどうしても耳の焦点が鍵盤や低音の擦弦楽器に合いがちなのです。続いて高音擦弦楽器にむりやり耳を傾け、そしてようやく、あー声も響いているなあ…ということに気がついて俯瞰体勢へ移行していく。 そんなことがわかっているから、親しんでいない作品を聴くときは用心する。 ところがこの演奏では、冒頭から全体がすぅーっと頭に飛び込んでくるのでした。声楽と器楽が自然に深いところで宥和して、絶妙の柔らかさで響いてくる。トラック1の《マニフィカト》冒頭の深々とした器楽合奏と、そこへふんわりと覆いかぶさって地声ライクな詠嘆を聴かせるバリトンとは、実はこれ以上ないバランスなのだろう。 ラテン語の子音がいい意味で生っぽいのも面白い。着飾って大袈裟に縁取りされた子音は、デュモンのように落ち着き払った音楽には似合わないもんなあ。さらにここでピエルロが指示しているであろう器楽の「ガチャガチャしなさ」は実に見事。 円いバロックには円いなりの佳さがあるというわけ。 【HMF/HMT 7907035】<パーセル 歌曲集> →ドリュー・ミンター(C-T) ミッツィ・メイヤーソン(Cem, Org) マリー・スプリングフェルス(Vl) ポール・オデット(Lt) 大江健三郎の『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』をお正月に買って読んでいるんですけど、進み行きは芳しくない。ひとつひとつの文章構造を考えながらでないと内容が理解しにくいのです。省略された主語を予想し、目的語を補い、時間と空間を自在に乗り越えるOeのイメージについていかなければ。… さて大学生のころ、英語の選択授業で「英詩と音楽を扱う」と謳われたものがあって、一も二もなく履修したのでありました。 「アナベル・リイ」というポーの遺作を知ったのはこの講義が最初であって、昼食後の気だるい雰囲気と、教壇に立つ長身の教授のヒゲとメガネと、何よりもその、日が高いうちに語ることが憚られるような異常な内容のことをよく覚えています。 今になってググってみると「アナベル・リイ」をテキストにした歌曲作品っていくつかあるみたいなんですが(アイアランド?)、それをこの講義で聴いたのか、記憶が定かでない。 他にはJSB《ヨハネ受難曲》の英語版を聴いたか。。 あのときに聴いたものとして深く刻み付けられているのは、パーセルの《おお孤独よ》 Z.406 という絶望的な歌曲であります。憂鬱なオスティナート・バスが静かに延々と流れる上で、孤独を愛する人間の暗鬱な心持ちを述べる声の持ち主。ドリュー・ミンターというカウンターテナーのことは寡聞にして知らないですが、マット処理されたというか、ずいぶん抑制的な声質の持ち主で(はっきり言えば地味)、けっして輝かしいということのないパーセルの音楽によく合っているように思います。 そこへ、夜毎にアナベル・リイの墓の傍へ身を横たえる「ぼく」のイメージが混線してしまって、とにかく自分の中ではパーセルのこの歌曲と「アナベル・リイ」とは切り離せない一個の塊になっている。パーセルのもの悲しい旋律から、「アナベル・リイ」へつながる。 そして、僕に悪くない評定を付けてくれた英米文学の教授は、その年の春に病気で亡くなったのです。飄々として不思議な人だった。 このエントリで書いたように、最近レオンハルトのPHILIPS録音がまとまって再発売されたんですが、同じころ発売されていたもののなかでもなぜか覆刻されることのなかった謎のCDがありまして。それが―クラウディオ・モンテヴェルディの《洗礼者聖ヨハネの晩課》。といっても現存する作品ではなくて、どうやらFrits Noske(フリッツ・ノスケ?)という音楽学者が再構成したものらしい。 ノスケの手になるライナーノーツを斜め読み。 1620年にヴェネツィアを訪れたアマチュア作曲家の日記に、「モンテヴェルディの《洗礼者聖ヨハネの晩課》を聴いたよ最高だったよ」という記述があるんです。でも今そんな曲残ってないじゃんね。で、当時のヴェネツィアの晩課の様式を踏まえて、モンテヴェルディ自身の《倫理的宗教的な森》、あとカステッロとかガブリエリの作品からいかにもそれっぽいのを選んで構成してみたッス、ということらしいです。へー。 当ブログでモンテヴェルディの名前が登場するのは、たぶんこれが初めてであります。 …モンテヴェルディって、難しい(-_-;;) 僕にとってはフレスコバルディやスウェーリンクが難しいのとだいたい同じ文脈。「刺激が強い」ヘンデルやラモーとは明らかに違う、別の種類の刺激がたっぷり、なのはなんとなくわかるんだけど、受容器が未熟で十分に感知できません。。しばらく「後期バロック絶ち」するか、ジョスカン漬けにでもなったりすれば、一気にパッと理解できるような気もするんですが。 アンサンブルを指揮しているレオンハルトが真面目なのか曲がもともと真面目に作ってあるのか判別できないんですけど、冒頭から響きが緊張して常に張り詰めた空気が伝わってきます。しかしたとえばサバールやヤーコプスなんかがやったら、もっと蛇がのたくったような展開になりそうではあるんですよね。強烈な不協和音が聴かれる曲が多いです。特にモンテヴェルディ部分。 まー難しいことは抜きにして聞き流しましょう!暑いし! いつもお世話になってるブログの皆さんが(ホントに「皆さん」が!)、日曜日の午後に立教大学へ集結されて、ガッティのリサイタルを聴いていらしたようで。。率直に言って大変悔しいであります。僕の趣味嗜好から言えば、ラフォルよりもこっちを優先させるべきだったのではないか…。そんなわけで昨夜はひとりバ・ロック。詮無し詮無し。 ご多分に漏れず、初ガッティはこのCD「L'ARTE DEL VIOLINO IN ITALIA 17 e 18 SECOLO VOL.1」。これを手に入れたのはずいぶん前のことでしたが、ここに収録されている17世紀の作品というのはこちらの侵入を易々とは許さないために、いつまでも新鮮なまま僕の前にいてくれます。 ガッティの「フルーティー(マルC kimataさん)」な音はここですでに開陳されていて、若くて実の引き締まった林檎をしゃくしゃくと齧るようなあの生理的な快感は、他のバロック・ヴァイオリニストからは感じられない要素なんですよねー。 (カルミニョーラなんか肌触りは一見似ているけど、彼の音は繊維質ではなくたんぱく質な何かであり、これは果物の瑞々しさと肉の瑞々しさの違いなのかなと思う。このやり方で例えると、ポッジャーは植物性たんぱく質的な安心感があるし、マンゼときたら…彼は超高級ビタミン剤だろうか…)。 いみじくもmarutaさん、そしてさわやか革命さんが触れておられるとおり、このCDには例の「生きながら伝説になったコレッリ」とは趣きの異なる、ガッティ好みの佳品が(控えめに)置いてあるだけ。どれも親しみやすい曲ばかりかというとそんなこともないのだけど(千変万化するウッチェッリーニの表情には困ってしまう)、昨日の夜はメアッリの《ラ・カステッラ》が胸に沁みました。こうやって上に立ち昇っていくような旋律はガッティの十八番。。 dacapo(丁)の、ブクステフーデ声楽作品集。カークビー、通奏低音にリンデンとモーテンセン、Vn1stにホロウェイ、とここまでは80年代までの清潔なバロックです。でもこのCDでは、Vn2ndにコンセール・デ・ナシオンのコンマスとしておなじみのマンフレード・クレーマーが加わって、隠し味。 ここに告白しますが、ブクステフーデ作品の中で唯一演奏に加わったことがあるのが、このCDの最終トラックに置かれた《主よ、汝さえこの世にあれば Herr, wenn ich nur dich hab》 BuxWV 38 なんですよね。 かつて「ブクステフーデの歌モノをやらないか」と誘われた僕は、このゆったりとしたパッサカリアの虜になってしまった。しかし僕の通奏低音チェロは、だいいちいかにも音程が取れていなくて…この曲を聴くたびに…あのときとてもいい声を聴かせてくれていたソプラノ女史への申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになります―。 以前yusukeさんのエントリで、バロクーの「パッサカリア・シャコンヌ・ラフォリア・フェチ」という傾向が話題に上りましたが、これなんかはまさに典型的に愛好されるべき美しいパッサカリア…至純の4分間であります。これを最後に持ってきた制作側の愛がひしと感じられますよ。 Herr, wenn ich nur dich hab, このCD、ついにNaxos落ちしました。4月からはたった1000円で手に入ることになります。 < 前のページ次のページ >
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