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さよなら竹秋、せやまず進め。

c0060659_22343273.jpg迫り来る重圧から解放されてひとつき。苦労した自分へのご褒美だと思って、この4週間は能うるかぎり欲望に忠実に生きました。その結果得たものは間違いなくあったし、すべてが無為ではなかったけれど、このまま甘い生活まっしぐらではいかんのです。というわけで今日をもって充電期間はおしまい。明日からは少しずつスタンスを変えていこうと思います。うむ。きっとね。

行く5月を惜しんで、メロス四重奏団によるシューベルトの《ロザムンデ》。この曲は彼らの演奏でしか知りませんが、第1楽章で悲劇ぶりすぎないところ、第4楽章最後の穏やかな明るさが気に入っています。シューベルトの弦楽四重奏曲は、個人的にはまだまだこれから開拓していかなきゃならない分野。
by Sonnenfleck | 2005-05-31 22:42 | パンケーキ(19)

アルバンくん con fuoco

c0060659_2342218.jpg今日の東京は久しぶりに雨で寒かったです。死んでる感じだ。

ここ数日よく聴いてるのが、いまをときめくピアニスト、ピエール=ローラン・エマールのカーネギーホール・リサイタルを収めたライヴCDです。いやー最近のエマール…好きなんですよね。ナガノと組んだ《トゥーランガリラ》は理想的なリズム感だし、ドビュッシーの《映像》も隅々まで考え抜かれた(でも、ほんのちょっとした)アーティキュレーションの変化が心地よい。僕なんかが言うまでもなく、本当に頭のいい人です。
このCDのなかで出色のできなのが、一曲目に置かれたベルクのピアノ・ソナタ。この作品のたゆたうようなセクシーさが好きで昔からグールドのCDを聴いてきたんですが、そのグールドの竹を割ったような醒めと対極にあるのがエマールの演奏です。急速なアッチェレランドや刺激的なピアニシモ、和音の耽美な鳴らし方…こんなに激しい身振りで嘆き、歓喜の表情を見せ、のたうちまわるベルクなんて、なかなかない。
by Sonnenfleck | 2005-05-30 23:38 | パンケーキ(20)

you gotta Quintet

NHKFMでレゾナンツェン2005のライヴ、サヴァール/コンセール・デ・ナシオンによるヴィヴァルディの《ファルナーチェ》を放送中。ああーたまらん◎◎レチタティーヴォ部分の通奏低音の妖しげな色気はサヴァールならでは…。Alia Voxに録音した2002年の録音はこちら

さて、話題のパペット劇「ゆうがたクインテット」。ご覧になったことのある方はいますか?
平日の夕方17時50分から10分間、教育テレビで放送している幼児向け音楽番組なんですが、そこに登場するパペットがすごい。楽器を持ったパペットたちは、作曲家の宮川彬良(言わずと知れた《マツケンサンバⅡ》の作曲家にして、宮川泰の実子。本人も番組内に登場します)が短く編曲した《カルメン》前奏曲なんかを演奏する真似をするんですが、それをよーく見ると、ヴィブラート、スラー、弓を寝かすか飛ばすかなど、動きが完全に音楽と同期してるんですよ!見るたびに感激してしまう(笑)

「にほんごであそぼ」とか「ピタゴラスイッチ」とか、最近の教育テレビって真摯な作りの番組が増えてるような気がするんですよね。どうせ子どもが見てるんだから細かいところは適当でいいんじゃん?みたいな嫌らしさがない。子どもは恐らく大人が思ってるほど無感覚じゃないし、手加減の有無くらい判断してるんだろうから、こういう誠実な姿勢って重要だよなー。と、柄にもなく思ったのです。
by Sonnenfleck | 2005-05-29 16:02 | 日記

ハンス=マルティン・シュナイト/東京藝大学生オーケストラ:佐藤卓史!

んー、、ひさびさのコンサート3連荘でした。きつい。てか最近演奏会ネタばっかでごめんなさい。そして今日も長くなりそう(-_-;)

【2005年5月27日(金)18:30〜 学内演奏会/東京藝術大学奏楽堂】
●ベートーヴェン:Pf協奏曲第1番ハ長調 op. 15
→佐藤卓史(Pf/学部4年)
●ブラームス:交響曲第1番ハ短調 op. 68


藝大の学生オケによる無料の学内演奏会。学外の人間も自由に聴くことができます。
先月聴きにいけなかったシュナイトのブラ1(神奈川フィル定期@4月16日)のリベンジ、という意味もあったのですが、それ以上に理由として大きかったのは、佐藤卓史が協奏曲のソロを弾くからということでありました。
佐藤卓史とは、長いつきあいになります。僕がクラシックと幸福なかたちで出会えたのは、彼が手ほどきしてくれたからなんです。彼とあのとき出会わなければ、いまの僕はありません。それにしても偉いなと思うのは、2001年に日本音楽コンクールで優勝してからも派手な演奏活動は控えて(きっと魅力的な誘いはいくつもあったんだろうと思いますが)、地道に藝大で研鑽を積んでいるっていうことなんですよ。極端に若いうちのほうが市場的には売り出しやすいんでしょうけど、彼はそうはしなかった。
佐藤卓史の持ち味は、その完璧な技巧と包容力ある暖かい音色、そして表現のパレットの広さにあります。テクニックに優れたピアニストは往々にして冷たい透き通った音色の持ち主であることが多いような気がしますが、彼の音はとにかく豊かで滑らか。そのうえで曲全体を大きな目で俯瞰し構築する能力にも長けている。ちょっと20代前半とは思えない雰囲気があります。

今回のベートーヴェンは、僕が聴いてきた佐藤卓史の演奏のなかでも三指に入る抜群の出来だったと思います。オケは全体的に緊張しているのかレスポンスが悪かったのですが(シュナイトがさかんに煽ってましたが、テンション低め>特に木管の反応が著しく鈍い)、第1楽章序奏が終わって輝かしくソロが登場、いつも以上に粒立ちがよく、濁りのない美音…。カデンツァで若々しく見得を切るところなど胸がすく。楽章間、シュナイトがピアノのほうを見て、満面の笑みで小さく拍手のそぶり。第2楽章の弱音の耽美的な表現はちょっとこれ以上望み得ない。アタッカで突入の第3楽章では再びリズムの跳ねを聴かせます。装飾音への軽やかなロココ的打鍵。ここのカデンツァで一瞬ジャズのようなスウィングを見せたのが印象的です。相変わらずセンスいいなあ。。指揮者も大満足の様子でソロを讃えます。

そんなわけで後半のブラ1は非常に心配していたのです。藝大といってもやはり学生オケ、、シュナイトの要求にどこまで応えられるのか。
ところが、あれ??一音目からオケの音が前半とは段違い…。確かにプロと比べれば固さは残るし、傷もありましたが、いわゆる「100ある人が90の演奏をしたとき/普段70の人が90を目指して到達したとき」という比喩がここでは思い出される。全曲通じて、自信溢れる遅めのテンポで悠々と流れていきます(前にも書きましたけど、ブラ1は「こうじゃなきゃ!」という指揮者の自信を聴かせる作品だと思う)。そのなかで懸命にシュナイトの要求(彼に備わる天賦の才、瞬間瞬間の音のヒエラルヒーを整理するセンス)に応えようとするオケの皆さん。第2楽章、よかったですよ!
ブラ1で胸が熱くなることがまだ自分にもあるんだ…。行ってよかった。
by Sonnenfleck | 2005-05-28 11:25 | 演奏会聴き語り

東京大学教養学部オルガン演奏会:残響ゼロの面白味

友人に誘われて駒場へ。東大の駒場キャンパスには、実はオルガンがあります。
1974年、吉祥寺のとある教会のオルガンがぼやによって廃棄処分となりました。それを聞きつけた東大側が、その中でまだ使える部品を譲り受け、欠けた部品を足して新しくオルガンを設置したのが1977年のこと。その資金は森ビルの当時の社長が全面的に援助、設置にはNHKホールのオルガンを組み立てた望月広幸氏があたるという恵まれた状況下での誕生でした。その後、このオルガンを使って年に3、4回のペースで無料演奏会が開かれるようになり、熱心なファンを獲得するに至っています。過去にはリオネル・ロッグやマリー=クレール・アラン、鈴木雅明、武久源造、岡田龍之介など錚々たる演奏家がこの演奏会に出演しています。なかなか一般には知られていませんが、インティメイトですてきな催しなんですよね。僕はこれが二回目。

【2005年5月26日(木)18:30〜 第103回演奏会〈隔たりを超えて〉/教養学部900番教室】
●クレランボー:《第一旋法の組曲》〜〈グラン・プラン・ジュ〉〈フーガ〉
●マイヤー=フィービヒ:Orgのための5つのインヴェンション
●高田三郎/マイヤー=フィービヒ:《Pfのための5つの日本の民謡》〜〈子守歌〉〈かくま刈り〉
●ムファット:トッカータ第3番
●シャイデマン:《人よ、至福の生を望むなら》
●マイヤー=フィービヒ:Orgのための4つの間奏曲
●アラン:《モノディー》《鳴り響く二つの音による子守歌》《フリギア旋法によるバラード》
●バッハ:前奏曲とフーガハ短調 BWV. 549
→トーマス・マイヤー=フィービヒ(Org)


今日のソリストはトーマス・マイヤー=フィービヒ。1949年生まれのドイツ人で、国立音大の作曲科の教授を務めている方です。
僕はたいしてオルガンには詳しくないんですが、あの楽器が深い残響のある環境を前提としていることは容易に想像できます。しかしこのオルガンのある900番教室というのは、天井は高いながらごく普通のシューボックス型の講堂であり、したがっていささかの残響もない。でもこの状況は、逆説的に、オルガンを聴く愉しみの新しい局面を提示してくれます。いつも教会やホールでは豊かな残響でかき消されてしまうひとつひとつの声部の動きや、多彩なストップの操作が手に取るようにわかるんですね。いやーこれは面白い。

クレランボーやムファットといった中後期バロックの作品では、ポリフォニックな進行が素人耳にもよく感じ取られて大変に愉快。あのお定まりの終止が心地よいです。一方マイヤー=フィービヒ氏の自作は、晦渋な(しかし常套的な)雰囲気でなんとも入り込めない。和音の耳新しさとストップ操作による音色の多彩さを志向しているようで、確かにこの会場の響きはそうした意図にぴったりですけども。素朴な民謡旋律にヒヤリとする和音を組み入れてみたり、わざとけばけばしい音色を選択したりと、一番楽しかったのは高田作品の編曲でしょうかー。あと個人的にはジャン・アランが聴けて大満足。洒落ていながらどこか冷たく、近寄ろうとするとするりと逃げる、、抽象的な形容で恐縮ですが、とにかくアランのクールな魅力を最大限に引き出していたように思われました。

東京大学教養学部 オルガン委員会ホームページ(次回演奏会の案内などはこちら)
by Sonnenfleck | 2005-05-27 02:09 | 演奏会聴き語り

パーヴォ・ヤルヴィ/N響:最高と最悪と

【2005年5月25日(水)19:00〜 第1541回定期公演/サントリーホール】
●ペルト:《フラトレス》
●プロコフィエフ:Vn協奏曲第1番ニ長調 op. 19
 ○アンコール バッハ:無伴奏Vnソナタ第3番〜ラルゴ
→ヒラリー・ハーン(Vn)
●ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調 op. 47


一曲目のペルトは、弦楽と大太鼓、それにクラベス(メキシコ発祥とのこと。拍子木のような音がする木棒が二本一組)のために作曲されたもの。弦楽の配置は通常どおりですが、普段Obがいるあたりに椅子が置かれ、その上に大太鼓が寝かされてます。打楽器奏者は左手でクラベスの片方を太鼓の表面に近付けて持ち、右手に持ったもう片方を打ちつけることで左手が皮とぶつかり、拍子木音と大太鼓の音が同時に鳴るという仕組み。
終始弦による美しく空虚な和音が響く中、楔を打ち込むように(しかし静かに)クラベスと大太鼓が鳴ります。全体は、中間部にトゥッティの山があるものの、基本的にはパートごとの美しい旋律が順に重なり合うことで進行していきます。最初からこのように繊細な曲に集中するのはなかなか難しいでしょうが、ここではN響弦セクションが健闘。緊張感が途切れないのはさすがです。でもそれに浴びせられたのは、保守的な定期会員の冷ややかな拍手…。やれやれ。

本日のお目当て、ハーンのプロコ。
いちおう始めに断っときますが、僕が座ったのは限りなくP席に近いLAブロックなので、Vnの直接音は聴けませんでした。その上での判断ですのであしからず。正面から聴いたらまた違った印象を持ったかも知れません。
なんといっても右手の表現力が完璧。これに尽きます。強靱でしなやかなボウイングはすでに、これ以上ない、と思わせるに十分でしょう。何年か前のベルリン・フィル来日公演のとき、ショスタコーヴィチのVn協奏曲第1番のソロを弾いているのをテレビで聴いたときから、この人はただものではないと思っていましたが、、はたして今回もぶったまげました。すげえ。音自体はそん…なに魅力的じゃないし、第2楽章の冒頭パッセージで少し窮屈なそぶりを見せはしましたが(ただしこれは指揮者の責任です。詳しくはあとで)、第3楽章の詩情溢れる弱音のニュアンス…ブラヴォー。アンコールのバッハはさらにそれに輪をかけた美演でした。激情だけに身を任せるVn弾きには、この演奏を聴かせてやりたい。

てなわけでテンションも上がり、意気揚々と後半に臨みましたが、世の中そんなに甘くない。ショスタコには一家言持ってるつもりです。いちおう責任持って言いますね。今日の5番は間違いなく最悪レベルでした

■■ここから先は気になる方だけお読みください。パーヴォ・ファンはここでウィンドウを閉じて。。■■

まず第1楽章冒頭の低弦の楽句が思いっきり寸づまり。切迫感を出そうとしてるのだろうけど、全然ダメです。耳につくのは呼吸の浅さだけ。ある旋律が終わりきる前に、その旋律の完結をうやむやにしたまま次の旋律を重ねてくるので(そしてそれゆえ楽句を発音するタイミングがみんなバラバラなので)、聴いてるほうはイライラがつのる一方です。前半のプロコフィエフでソリストの呼吸が乱れたのも、この進行の仕方のせいだと思います。そしてさらに悪いことに、中間部の行進曲で全種類の打楽器を同時に全開にしてるんですね。響きは濁るし、耳は痛いし、最低です。恥を知れ。
第2楽章も、ただ強引な弦楽だけが目立ち、なんの皮肉もない。脳天気なOb(もともと茂木氏の音色は明るくて太いのが取り柄だけど、ここではせめてもう少し抑制させたほうがよかった)。かといって陽気に行くのかと思うと、Kbに変に深刻ぶらせて台無し。おまけに最後の和音に向かって妙なアッチェレランドをかける下卑た演出
第3楽章がひたすら弱音我慢大会であろうことは、もう予想がつきました。この楽章は普通に弾けばある程度の完成度にはなると僕は考えますが、例の浅い呼吸のせいでまったく落ち着けない。ていうか発音するときの音色が汚い。静かなところは発音こそ命なのに、ほとんど顧みられてない。
第4楽章の下品なこと。もし下品に徹しきるのであったならばまだそれは好みの問題になりますけど、今日の演奏は無神経というか、無為無策というか、あまりにも適当すぎる。実演ではここまでひどいものは聴いたことがないです。会場は大きな歓声に包まれましたが、僕は口の中で小さくブーを呟いて、ホールをあとにしました。

うるさいだけのショスタコには、なんの価値もない。
by Sonnenfleck | 2005-05-25 23:28 | 演奏会聴き語り

y=x÷25+10

xにケッヘル番号を当てはめると、その作品を作曲した時のモーツァルトのだいたいの年齢がyとして示されるらしい。教育テレビの「スーパーピアノレッスン」でやってました。
たとえば交響曲第40番ト短調 K. 550、xに550を当てはめて計算すると、yは32。モーツァルトの生年は1756年で、この作品は1788年に作曲されたということになってますから、確かに正解。ただもちろん、全部のケッヘル番号に適応できるわけではないらしく、番組では「不思議と当てはまる作品が多いのです」というテロップを流してましたが…。

この芬々たるB級の香り(笑) たまらんですね〜。

明日はパーヴォ・ヤルヴィのN響定期に行ってきます。むしろお目当てはハーン。
by Sonnenfleck | 2005-05-24 20:23 | 日記

上品の昔

c0060659_11405545.jpgクレメンス・クラウス/ウィーン・フィルの《英雄の生涯》(DECCA、1952年モノラル録音)。今のところ、僕が所有するR.シュトラウス演奏の中ではこれがダントツのお気に入りです。
僕は普段ヒストリカル音源というものをほとんど聴きません。ヘッドフォンで音楽を聴くことがほとんどの身で、頭の中心でガッチリ定位するモノラル録音は長時間聴くのが辛い、というのが一番の理由ですが、そのほかにも、ここ20年くらいの録音に比べれば明らかに情報量の乏しい50年前の録音からいったいどれだけのものを責任持って聴き取れるのか、という底なしの懐疑もあります。どうなんだろう。脳内補正能力の問題なのか??

でもこの演奏はなんか違う。
収録年代が比較的新しく、かつDECCAのスタジオ録音というせいもあって、モノラル録音のなかでもかなりの高音質な部類なのだとは思いますが(各セクションの音をそれぞれ聴き取ることは可能だし、ちゃんと奥行き感があります)、、なんとも言葉にできない雰囲気が漂っているんです。
フレージングの切れ味、まさに小股の切れ上がったというのか…とにかく瀟洒な身振り。ネトネトした無用のタメは一切作らず、リズムが軽やかに飛び跳ねる。「洒脱」という誉め言葉はこういう演奏のためにあるんじゃないかと思います。とにかく格好いい。〈英雄の敵〉での木管の色彩感にはただ唖然とするしかないですし、〈英雄の伴侶〉の色気(ボスコフスキー!)、〈英雄の戦い〉が期待通りストイックなのも実に満足。例の「国葬」部分だけちょっと金管がうるさいのが玉に瑕ですが、末尾のリタルダンドのしみじみとした様子には胸が熱くなります。
こちらで部分的に試聴可能ですんで、ぜひ。
by Sonnenfleck | 2005-05-23 13:50 | パンケーキ(20)

<写真はものの見方をどのように変えてきたか>:第1部[誕生]@東京都写真美術館

金曜日、みなとみらいへ向かう前に恵比寿の東京都写真美術館へ行ってきました。
1995年の開館から今年で10年になるのを記念して開催されている所蔵作品展。これから11月まで半年以上に渡り、写美の膨大なコレクションを4部構成でクロノロジカルに展示していくようです。第1部は[誕生]。黎明期の興味深い作品が山のように用意されていました。

写真というメディアが一般化し始めたのは1840年代。肖像写真(生死いずれも)の普及に始まり、風景、建築物、美術品が「完璧な再現性」を伴って記録されていきました。彫刻を撮影したとある作品のキャプションに、画家のアングルが当時のフランス政府に「絵画の敵、写真を禁止せよ!」という声明を出していた、という逸話が書かれてありまして、さもありなんという感じでしたね。事実、黎明期の写真家は画家からの転身組が非常に多かったようです。われわれが考えている以上に、当時の人々は写真を絵画の延長線上として捉えていたんでしょう。逆に言えば、ものごとを記録するメディアとして絵画を捉える感覚は、もうわれわれにはありませんよね。面白い。

展示のなかに19世紀後半のエルサレム市街を撮影した作品がありました。
解説によると、これはフランス政府がある写真家に依頼して公式に撮らせたものとのこと。それまで絵画なんかによる、ある種「ものがたり化」されたイメージを聖地に対して持っていたであろう西欧人は、この「実際」を見てどれほど衝撃を受けたことだろう…と。あるいはそもそも「実際」があることなんて認識の対象外だったということも考えられるわけで、、まさにものの見方の大転換ですよね。そしてそれからせいぜい百年ちょっとしか経っていないという驚愕の事実。

残念ながら第1部の開催は本日までです(◎_◎;)興味を持たれた方はぜひ第2部以降にも足を運んでみてください。人も少なくて快適に見られますし。…頑張れ赤字改善。

東京都写真美術館ホームページ
by Sonnenfleck | 2005-05-22 15:53 | 展覧会探検隊

クリストフ・エッシェンバッハ/フィラデルフィア管弦楽団:ロマン野郎たち

c0060659_1555283.gif【2005年5月20日(金)19:00〜 来日公演/横浜みなとみらいホール】
●チャイコフスキー:Pf協奏曲第1番
 ○アンコール 岡野貞一:朧月夜
→ラン・ラン(Pf)
●チャイコフスキー:交響曲第5番
 ○アンコール スメタナ:歌劇《売られた花嫁》〜〈道化師の踊り〉


前半。
袖から現われたラン・ランは、長髪で中肉の好青年に変身していました。もはやホリエモンではない。しかし僕のなかでイメージ修正の必要があったのは、彼の見た目ではなく、むしろ彼の内面でした。なにかとあの奇矯な演奏姿だけが話題になるラン・ランですけど、funnyではなくlyricalというのが彼への正当な評価だと思うのです。強靱な筋肉から生まれる粒立ちのよい美音、そしてそれを駆使しての清らかな歌い口。かなり自由なアゴーギクをきかせて旋律を愛おしむように奏でるんですが、そこには粘つきだとかこれ見よがしの似非ロマンはなく、あくまで内面から自然に湧き上がる素直な叙情に拠っているように感じられます。全曲を通じて、派手で有名な音型よりもむしろ、この曲ではほとんどのピアニストが注意を払わないであろう静かな箇所のほうに僕は引き込まれました(派手な箇所のパフォーマンスは当然、言うまでもなく、これ以上ないほど完璧なのです)。

それに合わせるオケ。第1楽章冒頭の和音を聴いた瞬間から、もう開いた口が塞がらない。これがあのフィラデルフィア・サウンドなのか…。初めこそやや固さもありましたが、聞きしにまさるその壮麗さ、豊饒さ、ピアニッシモでも決して痩せない音色にただただ茫然。個人的には本日これより世界最強オケ認定です(何を今さら)。さらにエッシェンバッハのドライヴセンスにも驚嘆。この鬼のように豪放なオケを見事に操ってラン・ランの呼吸にピタリと合わせるんですね。でもエッシェンバッハの凄さは、まだまだこんなものではなかった。

さてチャイ5です。前半から引き続き1stVn→Vc→Va→2ndVnという両翼配置。
第1楽章の序奏からしてすでに、凡百の演奏とは違います。引きずるようなテンポのなかでVaに主導権を持たせ、華やかな弦の音色をわざと抑制。時にブルックナーのように大きな休止を挟む。主部に入ってからも暗いものに塗り込められるような重々しさがずっと付きまとい、光明は見えません。
第2楽章には本当に、息を飲みました。ただ重く、ただ暗く、静かに、しっとりと美しく歌われるあの有名な旋律マーラーのようなチャイコフスキーなんですよ。こんな演奏、聴いたことがない。痛々しいくらいロマンティックで、胸苦しくなるようなエッシェンバッハ自身の極度の繊細さを、このオケが受け止め、忠実に拡大して聴き手に伝える。万全のHrソロ、考え抜かれたClの音色、Kbの充実ぶり…こんな音楽を聴かされてしまってはもう何も言えないですよ。ぐうの音も出ない。音楽を聴いた衝撃で体が震えるなんていうこと、本当にあるんですね…。この第2楽章が聴けただけで、自分が音楽を趣味にしていたことを幸せに思います。
そんなわけで、続く第3、4楽章は僕にとってはもはや豪華な附録でしかなかったんです。全開のフィラデルフィア・サウンドによる純粋な耳の快楽。これ以上、何を望み得るというのか。
by Sonnenfleck | 2005-05-21 01:48 | 演奏会聴き語り