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海底ミートケ

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引っ越しの荷解きも早々に北海道へ出立。

本日は秋田から奥羽線で青森、青森から青函トンネルをくぐって函館へ。最初は各駅停車でのんびり行こうかと思ったんですが、それだと友人との待ち合わせ時刻までに函館に着けない!やむなく特急券を購入です。

青函トンネルの所要時間はちょうど30分。ここを通るのは二度目ですが、やはりトンネル内の爆音には辟易するっす^^;;
写真は、電車がトンネルの途中にある吉岡海底駅に停車中にデッキからこっそり撮ったもの。海底見学企画への参加者じゃないとこの駅には降りられません。

旅のお供第二弾は、レオンハルトが弾くバッハのパルティータをば。あのギシギシにエッジの立ったアーティキュレーションにはほれぼれしちまいます。レオ様硬派だよレオ様。
by Sonnenfleck | 2005-07-31 17:09 | 日記

フンデルトヴァッサーの残像

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家具がみな搬出されて、やけに広くなってしまった実家。
気密性の低いボロ家だったからこそ活躍した蚊取線香ですが、こいつのお世話になるのも今夜が最後かな。

さてExciteブログ、携帯での更新はできますが閲覧は不可能なので、この先一週間くらいはコメントやTBへのお返事がかなり遅くなります。どうかご了承くださいm(_ _)m
by Sonnenfleck | 2005-07-29 21:33 | 日記

さよならおうち

c0060659_21203821.jpgそもそもどうしてこんな変な時期に帰省しているのかといいますと、実家の引っ越しを手伝わさせられているんですね。生まれてから東京に出るまで暮らした家が自分のものでなくなるというのはちょっと切ないです。

実家なんていうのはだいたい「必要ないけど取っておきたい」物どもの巣窟なわけで、引っ越し用段ボールに入れるのかゴミ袋に突っ込むかという判断作業だけでものすごい葛藤の嵐。。そしてさらにお約束の重労働が待ちかまえています。実家は二階の押入から天井裏に上がれるんですが、僕と同じで優柔不断な両親は捨てられないものを天井裏に突っ込むことで「保管」しており…この熱いさなかに断熱材を踏み抜かぬよう気をつけながら梁の上を這って渡ってそれらをサルベージ~という曲芸をせねばならず。モロに腰と背中にきましたです。こんなざまで北海道に行けるのか。
しかしスケジュールはいよいよ佳境。明日にはPCも梱包されて搬出されてしまいます。

引っ越しといったら名作『ちいさいおうち』
by Sonnenfleck | 2005-07-28 21:30 | 日記

シェルデ河畔@電脳

c0060659_22234284.jpg各所で話題沸騰、大植英次指揮の《トリスタンとイゾルデ》でありますが、完璧に忘れちゃって聴き逃しましたー●なかなかの好演奏だったみたいですね。年末のNHKFMに期待だな。

んで昨夜、二日目の演目である《ローエングリン》を(ほんのちょっとだけ)聴いたわけです。いつも利用しているウェブ放送局はハンガリーのBartokRadioなんですが、どうも実家の通信環境では途絶えがち…。そこでノルウェーのNRK Alltid Klassiskへアクセスします。ここはビットレートがずば抜けて高くて超高音質なんですが、そのぶん貧弱な回線では聴けないというセレブなラジオ。さすが北欧クオリティ。東京に置いてきたノートPCではうまくストリーミングできなかったんですが、実家ではなんなく聴けました。NRKいい音だー。

今年の《ローエングリン》の指揮はペーター・シュナイダー(演出はキース・ウォーナー)。バイロイトの常連として数多の公演をリードしてきた名指揮者だと思います。この人、実はリームのオペラをWergoに録音してたりして超熱いんですが、いちばん有名な録音はやっぱりバイロイトの正規映像ライヴである1990年の《ローエングリン》(PHILIPS=廃盤中!)でしょうね。ずっと前に図書館で借りて見たなあ。
昨夜聴けたのは第一幕だけだったんですが、よどみない自然な音楽の流れ、歌手との呼吸の合わせ方など、胸がすくようなすばらしさでした。。繰り返される聖杯の描写にあえてドラマティックな外套を着せない…そんなシュナイダー。
歌手。エルザ役のペトラ=マリア・シュニッツァーが熱演だったと思います。やっぱり第一幕はエルザのヒステリックな昂揚が目玉ですが、あの「エルザの夢」の清純な熱っぽさにはなかなかに引きこまれました。第3幕も聴いてみたかったなあ。あとローマン・トレケル…伝令役はいつもオイシイ。

バイロイト音楽祭公式サイト
by Sonnenfleck | 2005-07-27 23:15 | 日記

es riß!その後

イヤホンの疑似ソ連化計画(↓)は頓挫いたしました。しょぼいCDラジカセしかない実家では、唯一イヤホンだけがいちおうの音楽生活を保証していたので、あれが使えないのは一大事。いたしかたなく近くの家電量販店へと走りました。

田舎ゆえ、目指すカナル式イヤホンの店頭在庫は
・オーディオテクニカ ATH-CK5
・ソニー 「NUDE EX」(MDR-EX51SP

の2種類のみ。しかし、以前NUDEのクラシックへの非適合性に辛酸をなめさせられた経験があるので、いちはやく前者をつかみ、レジへと急行したのであります。
今回断線したパイオニアのSE-CL30が生み出す音は低音の面でかなり生の楽音に接近していたので、この新しいオーディオテクニカ製品がどの程度落差を感じさせないか、心配なところではありました。帰宅してCDウォークマンに接続、おそるおそる耳にはめてみますと…うん、まずまず悪くない◎やや高音がきついものの、NUDEのようなえげつない金属音がすることもなく、十分安心して聴ける範囲内です。チェンバロがなかなか気持ちよく聞こえるのも好印象。ただバスが薄いのは、、個性でしょうか。

イヤホンって難しいですよね。本当はもうちょっとクラスが上のオーディオテクニカATH-EC7とか、SHUREのE2とかに手を出してみたいんですが、満員電車とか雨の中とかで酷使することが多いアクセサリなので故障を考えると踏ん切りがつきませんです。
by Sonnenfleck | 2005-07-26 12:06 | 日記

ヴァーチャル☆ソ連

c0060659_2032351.jpg実家より更新しております。東京に比べても今日の秋田は意外に暑かったんですが、夕方には山からヒグラシの鳴き交わす声がちゃんと聞こえてきてシヤワセ。

東京からの新幹線の中で、「旅のお供」第一弾、トゥルルス・モルク(Vc)&パーヴォ・ヤルヴィ/バーミンガム市交響楽団によるプロコフィエフの《交響的協奏曲》ホ短調 Op. 125 を聴いておりましたら、突然イヤフォンが断線…というか重度の接触不良に。接続部分をギュッと押さえていれば両耳が聞こえるのですが、ちょっと手を離すと左音声が消えてモノラルになってしまう。こりゃかなわん。そこで咳払いひとつ、精神統一をばいたして「これは70年代後半のソ連のラジオ放送…電波が悪いからときどきモノラルになるんだ…」という自己暗示、自己暗示、自己暗示…。

この曲、「きわめて平明」で「人民にもわかりやすい」民謡旋律が循環主題的に使われてるんですが、その背後でグニャグニャと蠢く木管のパッセージはあからさまに「不良」。まるで音楽官僚をわざと挑発するような…。プロコフィエフの後期様式にはけっこう興味があるんですが、とっかかりになる日本語資料があんまりない(プロコ研究自体そんなに盛んじゃない>ショスタコの厚遇とは裏腹に!)ので、じゃあとりあえずニューグローヴでも見とく?…という。
by Sonnenfleck | 2005-07-24 21:52 | パンケーキ(20)

独りムマのハナムケ

c0060659_20455529.gif地震怖かったー。東京でこんなに揺れたのは珍しいですよね。そのせいではありませんが…明日から3週間ほど東京を離れます。
秋田の実家に滞在したのち、函館で友人と合流して北海道をぐるぐる回るつもりでおります。北帰行のなんと安心すること!ビバ亜寒帯!基本的に携帯からの更新が中心になるためコメントやTBへの反応は鈍くなると思いますが、ご了承くださいませ。

それにしても旅のお供にどのCDを持っていくか、いつも悩みます。気張ってどっさり詰め込んでもどうせ多くは聴かないので、しっかり厳選せねば。。でもこれってiPodなんかだと味わえない楽しみですよね。こういうときは普段聴かないものを選びたいもの。シベリウスとか(北国だから?)。

今夜はかれこれ知る知らぬおくりす…なんてこともなく、あわてて荷造りするうちに夜更けぬ。
by Sonnenfleck | 2005-07-23 21:15 | 日記

ラモーがなくちゃ、始まらない。

c0060659_2123498.jpgフランス・バロック。リュリよりもマレよりもクープランよりも、ダングルベールよりもシャルパンティエよりもオトテールよりも、僕はラモーに心惹かれます。彼の作品はいま挙げたどの作曲家にもない力強さを備えているし、隈取りが濃い。内部に沈降するんじゃなく、エネルギーを外へカッと放射するというか…。ブルボン宮廷の伝統からすると異端だったのかもしれないけれど、爛熟が最後に選び取ったのがラモーの音楽だったという事実が、またちょっと面白いのです。

さてそのなかで一番のお気に入りは、なんといっても《コンセールによるクラヴサン曲集》(1741) ですね。「クラヴサンだけ」あるいは「クラヴサン+Fl+Vn+VGam」という編成が指定されたこの曲集は、ラモーが成したクラヴサン曲(室内楽曲)のなかでも随一の美しさを放ち、後期バロックの金字塔といっても言いすぎではない魅力を持っております(これって大袈裟な言いじゃないですよ!)。
演奏はそのときどきで好みの傾向が変わるのですが、いまは女流チェンバリストブランディ−ヌ・ランヌーを中心とするアンサンブルによるCDが第一のオススメです。大胆な拍子の崩し方、遊び心満点のアーティキュレーション、軽妙ながらちょっと切ない歌い口など、これ以上ないセンスのよさを感じさせます。上にアップした写真はランヌーによるクラヴサン作品全集のジャケですが、少し前タワーレコードでこの曲集だけが一枚物として分売されていたのを見かけました。そんなに高くなかったので、見かけた方はぜひ◎
精進料理のごとく禁欲的な有田千代子盤(ほんのところどころメカニックが弱いのが玉に瑕)。トリオ・ソネリー盤は、才気煥発なランヌーたちの演奏がうるさく感じるとき手に取ります。
by Sonnenfleck | 2005-07-22 22:17 | パンケーキ(18)

レオノール・フィニ展@Bunkamura ザ・ミュージアム

夏休みの間の渋谷はキライです。この時期はたとえタワレコに行きたくなっても我慢するし、ブックファーストにもオーチャードホールにも絶対に行きません。昨日は夏休み突入前日ということでいつも以上に浮ついた雰囲気のなか、スクランブル交差点を通るのも嫌になり、シブチカへ下りてすたすたと文化村へ。某所から招待券をいただいていたレオノール・フィニ展がそろそろ会期末なので、駆け込みで見てきました。

レオノール・フィニ(1907-1996) は、ブエノス・アイレス生まれのトリエステ育ち。長らくパリに居を構え、文化人たちとの交流は絶えることなく、パリ社交界きっての不可侵カリスマとして謎多き生涯を送ったらしい。いちおうシュルレアリストに分類されるのだと思うのですが、だいたいブルトンとも仲違いしちゃって「私をシュルレアリストと呼ぶな宣言」してたり、、でもその破天荒な生き方に対して、作風はどうってことのない(ごく普通の凡庸な)シュルレアリスムです。
ちょっと…な作品が目立ちましたが、1950-60年代、それまで堅持していた具象性を一気にかなぐりすてたころの作品群(フィニ研究の文脈では「鉱物の時代」というらしい)は素直に支持できます。これもたぶんアンフォルメルの影響を直に受けていて、オリジナリティの面では弱いんですが、青や緑を交錯させた硬質な抒情はなかなか魅せますね。ただこのあと70年代には再び没個性的なシュルレアリスムに回帰しちゃって、そのまま晩年に至るまで作風に大きな変化はありません。構図や描線や色づかいに特別な魅力があるわけでもない。特に80年代後半からの作品は、妙に思わせぶりというか、狙いすぎというか、ベタな物語性に耽溺するばかりでちっとも面白くない。モダニストの抜け殻みたいでなんだか見てて悲しくなります。

お好きな方には申し訳ないですけど、僕はこの人の感覚とは同期できないかも。うむむ。会期は7月31日までです。
by Sonnenfleck | 2005-07-21 10:27 | 展覧会探検隊

井上道義/読響:夢の枠組み…収拾つかん!

【2005年7月19日(火)19:00〜 第440回定期演奏会/サントリーホール】
●ペンデレツキ:《広島の犠牲者に捧げる哀歌》
●武満徹:《カトレーン》
→高橋アキ(Pf)、デイヴィッド・ノーラン(Vn)、嶺田健(Vc)、四戸世紀(Cl)
●スクリャービン:交響曲第5番《プロメテウス−火の詩》Op. 60(照明演出つき)
→高橋アキ(Pf)、井上道義(舞台演出)、網代将登(映像美術)、山本高久(照明)


本日のメインプロは、スクリャービンの《プロメテウス》照明演出つきでありました。もともと「色光ピアノ」というパートが備わっているこの作品。「色光ピアノ」とは、特定の音高の鍵盤と特定の色の照明とが対応する楽器型(兼?)照明装置のこと。どうもたいていの演奏では、単純に作曲家自身による「色光」指示に従って舞台上のスクリーンに光を照射する、という都合のいい解釈がなされているようなのですが、今回の演奏では、指揮者ミッチーの肝いりで本格的な照明演出が施されたのであります。

僕の座った席は一階前列の左寄りだったので、会場全体を見通すことができず、したがって以下の説明も不足部分があると思いますが、ご理解ください。
まず下にアップした写真のように、グランドピアノ型の枠に白鍵のように細く白い紙を下げたものが天井から吊され、演奏が始まると舞台上も含めた会場の通常照明は完全に落とされます(各譜面台にはオケピット用小ライト)。代わりに赤・青・黄・緑などのスポットライト、蛍光色に光りながら床面を走るケーブル(光ファイバ?)、プロジェクタ、ピアノの下に仕掛けられた発光体などが、曲の進行に合わせて光り始める。
基調となる光の色は。光は、天井から下げられたピアノ型スクリーン、オケ全体、指揮者、ピアニスト、そして後方のパイプオルガン全面に「リズムよく」照射され(あるいは反射し)、目まぐるしい色彩の洪水が繰り広げられるのでした。特にオルガンには赤いスポットライトが集中的に当てられ、ギラリヌメリとした照り返しがいかにも焔。
細かな動きなんかは到底文章では描写できないのですが…作品中で繰り返される幾つかの同じモチーフではそれぞれ同じ色の指定(とその動き)が与えられ、視覚的な示導動機(って言っていいのかな)として活用されておったように思います。

ミッチー自身の解説によると、スコアには「光は、どこに、どのような強さで、どうやって射すのか。前後の関係も、全部消えるのか、一部残るのか、全く書かれていない」とのこと。そういう意味でこの演奏は、井上版演出(再構築)として、彼の意向が最大限に働いているのだろうと思われます。今夜の上演は、上質なスペクタキュラーでした(これは嫌みでも皮肉でもなく)。この曲がこんなに格好いいとは思わなかった。

スクリャービンが共感覚者だったと仮定すると、少なくとも「色⇔音」共感覚の持ち主ではない僕には、彼が色彩について触れた作品を聴く(そして見る)ことは擬似的な追体験でしかないのであります。ここのギャップを埋めることはたぶんできないので、ただ感覚的に楽しい出来事としてこれを処理するのがいちばん平和な解決かなと思う。でもこのギャップって実は大なり小なりあらゆる芸術作品と自分との間に横たわっていて、そしてそういうずるい処理(しょせん追体験、として開き直ること)は作品に触れたときにいつも無意識におこなっている作業なわけで、ううーん…まとまんないなあ。正直、スクリャービンと井上道義の意図するところがよくわからなかった、わからなかったがきれいで楽しかった、というのがいちばん簡単な本音です。それ以外書けないっす。ははは頭わるいー(@_@)

前半、《広島〜》を実演で聴けたのがうれしい!クラスター本流の震える空気感、ミッチーお得意のしなやかなデュナーミク。表題と内容がどれほどリンクしてるのか僕にはわかりませんけど、ただ非常に美しい音響だったと思います。音楽はハーモニーでできていて、メロディからはできていない
したがって次の《カトレーン》が、そもそもの性質以上にやたら旋律的に聞こえるのはむべなるかな〜というわけです。これもまた夢幻の美しい世界。メシアンの《世の終わりのための四重奏曲》と同じソロ楽器たち(オマージュ?)が、旋律めいたものを振りまきながらコンチェルト・グロッソ風にトゥッティと絡みます。

究極的には、実にいい演奏会でした。考えさせられることはいいことだ。
2004/2005シーズンの演奏会聴き語りはこれにて打ち止めー。来シーズンは何が待っているのか。
by Sonnenfleck | 2005-07-20 00:41 | 演奏会聴き語り