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ニューながい

c0060659_23551090.jpg用事があって新宿東口方面へ行ったのですが、さてお昼。
たとい急いでいるときでも、街角の見知らぬメシ屋にひとりで入るのがあまり好きじゃないので(傲岸)、通りに松屋や吉野家がすぐに見つからないと少し困ります。仕方ねえ少しメシ遅らすかと思った矢先、紀伊国屋のあたりからカレーの香りが…。そういや紀伊国屋の地下にカレースタンドがいくつかあったなと思い出し、ハラペコに負けて滑り込みました。

ニューながい
そんなにきれいではない紀伊国屋地下街の入り口に、ほとんどなんの囲いもなしに遠慮なくカウンターをどんと構える剛の店。昭和ポイント高いです。カウンターに座ってランチタイム400円のビーフカレーを頼むと、いかにもきつそうなおばちゃんの指令を受けたバイト二人が15秒ほどで手早く調理。こういう店って具に期待しちゃだめですが、出てきたカレーはそれにしてもなんとプレーンな装い(笑) ビーフも野菜もきっと全部融解したのだろう。だとイイナ。
しかしルーが猛烈に美味かった。単なる刺激としての辛さからは完全に距離を取り、血管が詰まりそうなくらい濃厚な旨みで勝負(創業以来つぎ足しで...のノリ)。何を隠そう辛口カレーが食べられない僕としては、この雰囲気・この価格・この場所でこの味は最高ですよ。B級万歳。また食べに行きます。

* * * * * *

以前、山尾好奇堂さんのエントリで読んだオムニバスCD「インドカレー屋のBGM」。
気になるが探してまで聴いてみようとも思わせぬその風体やよし。
by Sonnenfleck | 2005-11-29 23:58 | 日記

さよなら三角またきて四角

c0060659_21271719.jpgストコフスキーという指揮者についてはよく知りません。
「あたしゃ熱心なストコフスキーファンですっ!」という人を見かけることはほとんどないし、世間一般のクラヲタ的にいつまでたってもキワモノのイメージが定着したまんまなのは、豊かすぎる響きをした特定の録音が有名だからなんでしょうか(バッハのトランスクリプションとか)。

1882年生まれのストコフスキーは95歳まで生きましたが、このCDは彼の92歳を祝う演奏会がそのままライヴ収録されたもの(結局これが彼の最後の公開演奏会となった。オケはニュー・フィルハーモニア管)。プログラムは、●クレンペラー:メリー・ワルツ●RVW:タリスの主題による幻想曲●ラヴェル:スペイン狂詩曲●ブラームス:交響曲第4番、となかなか激しい。いまフルネにこれができるかといったら微妙な線でありましょう。火の玉爺さんですね。

この録音はしかし、巷間イメージされる「ストコフスキーらしさ」から非常に遠いところにあります。
同じ爺でも変爺だったクレンペラーの手になる、ストラヴィンスキー風の底意地悪そ〜ぅな小品(この曲はアンコールなんかでもっと取り上げてもらいたいなあ)。細身で爽快な(!)ラヴェルも非常によいのですが、何といってもこの録音で唖然とさせられるのはメインのブラ4なのでありました。
実演・録音問わずあらゆるブラームスの中で、僕は実はこの演奏をもっとも高く評価しています。
まず何より本当にリズムが気持ちいい。個人的にはブラームスでいかにも意味ありげなテンポ・ルバートなんて正直ご免ですわ派なんですが、ここでのストコフスキーはあくまで速めのインテンポ、ときおり軽い加速と洒落こんでこっちを翻弄したかと思うと、いつのまにか全曲を風のようにさーっと駆け抜けてしまう。なんだか狐に化かされたような気分です。縦の響きが透ける演奏はここ最近の流行りだけど、このきさくな老人はリズムの骨格を完全に捉えてる。これ以外のブラ4は停止しているようにしか聞こえなくなりますよ!

BBCの旧シリーズから発売されて現在は廃盤ですが、きっといつかBBC LEGENDSで登場すると思います。こんなにいい演奏が眠るのはもったいない!中古屋で見かけたら捕獲してあげてください。
by Sonnenfleck | 2005-11-28 22:34 | パンケーキ(19)

さらば尾花沢の英雄

c0060659_1161086.jpg大相撲九州場所13日目。
大関取りの琴ユーロが無敗のドルジに土をつけたその日、同じ佐渡ヶ嶽部屋の兄弟子である琴ノ若が、静かに引退しました。義理の父親でもある佐渡ヶ嶽親方がこの日で定年を迎えるため、部屋を継ぐ立場にある琴ノ若の引退はすでに既定路線だったけれど、今場所の胸中、察するに余りある。
37歳、20年以上土俵とともにあった重量級力士がまたひとり去っていきました。(というか「平成重量級の時代」は彼の引退で幕を下ろしたように思う。)

彼の相撲はよく長引いた。あの長い腕で相手のまわしを掴んだが最後ピクリとも動かず、相手がへばったところを一気に投げ飛ばす、鷹揚に構えた独特の取り口を得意にしていました。武蔵丸と水入りになった取り組みなど、鮮明に思い出されます。最後まで幕内に残ったその精神力、そしてここ最近の、豪放磊落に見えて実は繊細な相撲内容は惜しむことなく称賛したい。長い間お疲れさまでした。

* * * * * *

さて楽日を待たず朝青龍優勝。
ときどき「俺も愛されたい」と言うこともあるらしい「悪役」が、昨日は勝って土俵の上で泣いた。...大丈夫、僕はあなたのファンです。
たぶんこの一二年は彼の最盛期なので、間違いなく誰も止められないはず。琴欧州とは器が違いすぎる…。しかし抜きんでた実力を持ってひとり勝ちする力士がいてよかった。みな弱くて足の引っ張り合い/星のつぶし合い、だけは見たくない。
しかしそういう状況なのがいまの大関陣。簡単に休場する魁皇、ヨタヨタの栃東、はたくしか能がない千代大海。見苦しい。全員雁首揃えて辞めたらいかがかしら?
by Sonnenfleck | 2005-11-27 11:22 | 日記

マリス・ヤンソンス/バイエルン放送交響楽団:理想を受け止めること

【2005年11月23日(水・祝日)14:00〜 来日公演/横浜みなとみらいホール】
●チャイコフスキー:Pf協奏曲第1番変ロ短調 Op. 23
 ○アンコール ブラームス:Pfソナタ第3番から第3楽章スケルツォ
 ○      スカルラッティ:ソナタハ短調
→イェフィム・ブロンフマン(Pf)
●ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調 Op. 47
 ○アンコール グリーグ:組曲《ペール・ギュント》から〈ソルヴェイグの歌〉
 ○      ストラヴィンスキー:組曲《火の鳥》から〈カスチェイ王の魔の踊り〉


前半はブロンフマンをソロに迎えて、チャイコフスキーの協奏曲。
あの有名すぎるイントロ、あの冒頭だけで、ご飯三杯いっときますかという感じです。オケ、ソロともども肉厚で重く、しかも引き締まった響き。モダンの大オーケストラを聴く快楽がここに極まっている。何一つ考えることなく豪華な響きに身を浸す…そんな経験も久しぶりです。
(*さもないような常套句が並んでいますが、それ以上でもそれ以下でもないのでお許しください。でも「聴衆に聴かせること(なんて普通のことだろう!)」を第一義とする音楽をここまで高いレベルで達成する演奏というのは、信じられないくらい稀少だと思うのです。聴衆が頭の中でイメージするある種の理想に添う演奏(この理想は絶対で、現実の演奏は永遠に敵わない)と、その理想を裏切ることで聴衆を飽きさせない演奏と、いまどちらが流行りかといったら後者でしょう。それに、率直に断言してしまえば、たぶん後者はより楽なのです。)

ただし留意すべきなのは、これまでCDで聴いてきたヤンソンスという指揮者は、えてして後者の道を選択することが多かったということ。後者のほうが恐らくはっきりと聴衆に受けるのだろうし、彼自身が聴かせどころを見抜く確かな目を持っていることも災いしてか、、少なくとも、僕はこの人が録音したショスタコーヴィチがまったく好きになれなかった。過度にドラマティック、あざとい急発進や急加速、小賢しい表情づけだらけで、なんて趣味の悪い人だと思っておったのです。事実今回も、休憩時間までは、前半の得も言われぬような気持ちよさは全面的にソリストに合わせたからに過ぎぬと考えていた。彼はあのとおり悠然として鷹揚なピアノを弾く人だし。…でも。

今回の第5は、なんともごく自然な演奏でした。
第5はショスタコ作品の中でももっともいろいろな小細工を入れやすい、言ってしまえば隙間の多い曲だと思います。また聴衆も(単に慣れの問題だろうが)小細工入りの演奏をイメージしやすい。しかも一度きりのライヴでは、ミクロに入り込んでも非難されにくい。甘い罠です。
でも、この日の演奏はインテンポで厳しく自己を律したスリムなもの。短絡的な演出過剰もほとんど鼻につかず、聴衆の期待とがっぷり四つに組んだすばらしい演奏だったと思います。しかも極度の集中と脱力(むしろ慣性、かな)を巧く使い分けて、緩急のはっきりした高密度の音響を作りだしていました。特に第3楽章での充実感は、これ以上望めないほどのもの。安心しきって大きな流れに身を任すことができるなんて、贅沢な話です。
バイエルン放送響はいわゆる「やりすぎ」を自ら戒める力を持ったオケなのだろうし(凡百のオケが嬉しくて興奮しちゃう箇所でも我を忘れないこと。たぶんこれはかなり難しい)、ヤンソンス自身も堂々と正攻法のアプローチを選んだ。結果が悪かろうはずはない。こういう演奏にこそ「感動的」という形容詞がふさわしいと思います。
(*「これがヤンソンスの深化だべ?んだすべ?」と簡単に言い切ることはしません。この人は、今回のように正攻法を取ることができるレパートリーを実はそれほど多く持たない指揮者なんじゃないかという気がする。いまやヨーロッパの新「帝王」はどう見てもヤンソンスですが、これからこの人がどうなっていくか、そして聴衆によって彼がどのように評価されていくのか、興味深く見守っていきたいところ。)
by Sonnenfleck | 2005-11-25 19:14 | 演奏会聴き語り

イサム・ノグチ展@東京都現代美術館

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今夏札幌芸術の森美術館で見た展覧会ですが、《エナジー・ヴォイド》の展示を見るためだけにもう一度、木場の現美へ足を運びました。出展された作品自体は札幌展と同じで多くないのに、ちょっと展示空間に余裕がなくてゴミゴミしてるかなあと思われました。それとも会期末で人が多かったせいか。

......なるほど。吹き抜けではあるものの「室内」に設置すると、改めて異常な存在感が伝わってきます。札幌での水上展示でさえ周囲の緑や風に波立つ水面を威圧して憚らなかったのに、、あれだけ広い現美のホールを圧倒的にみっしりと「埋めている」。しかも何かを発散するのではなく、これからお前らすべてを内側に吸収するという示威でもって、埋めている。
西日を吸い込んでいやに艶々としている巨石をじっと見ていたら、なにやらうそ寒くなってきたので御前を罷り出ました。外に置かれたモエレ沼公園の遊具《オクテトラ》(上の写真)に無性に安心感を覚える。…でもいつかは、牟礼の「《エナジー・ヴォイド》@蔵」をこの目で見てみたいですね。

自己リンク。モエレ沼公園ミニレポート付きです。
イサム・ノグチ展@札幌芸術の森美術館
by Sonnenfleck | 2005-11-23 19:59 | 展覧会探検隊

懶惰と上滑りの暗いよろこび

c0060659_2024330.jpg宇野功芳という名には複雑な感情が呼び起こされますが、少なくとも《ホフマン物語》を教えてもらったことだけは間違いなく感謝してます。彼の麻薬的な文章に導かれて僕が初めて手にしたオペラは、《魔笛》でも《椿姫》でも《カルメン》でもなく、このオッフェンバックのオペラでありました。

勝手にいろいろ妄想して勝手に破滅する詩人が主人公...なんてこうやって書いてるだけでも暗〜い浪漫臭がどんよりと漂ってきますが、その実、全編どこを切っても、瀟洒で軽くて泡沫のようにはかなく哀しい音楽、きら星のようなアリアばかり。ほかのどんな作曲家がこの台本に作曲したとしても、こんなに俗っぽくて無駄に贅沢な美しさ(ここが大事)には至らなかったろう。(*確かに《ファルスタッフ》は透明で美しいけど、空疎な感じは全然しない。)

僕はこの1964年録音のホフマンをクリュイタンスのベストだと勝手に決めてます。パリ音楽院管は弦の音が荒れててこちらをニヤリとさせつつ引き締まったリズムを披露してくれるし(まったくイメージを裏切らない!)、ところどころ浮上してはきらめく木管、においやかなハープなど、豪華ながら空虚でまったくたまりません。
歌手ももちろんすばらしい。タイトルロールのニコライ・ゲッダはいかにも軽いノリかつ傷つきやすい伊達者。オランピアにダンジェロ、ジュリエッタにシュヴァルツコプフ、アントニアにロスアンヘレス…。敵役4人も総じてハイレベル(特にコッペリウス&ミラクル博士のジョージ・ロンドンの憎々しさ!)。文句のつけようがないです。(*ただ…ニクラウスだけはズボン役がよかった。)
クリュイタンスの《ホフマン物語》は実はこれ以外にもうひとつ1948年のスタジオ録音が残されてます。歌手が全員フランス人ということで、1964年録音と対置されて「純正おフランス録音なのでこっちが優れているザマス!」という評価をよく見かけますが、1948年録音はなんだか変なシナを作っているような厚化粧デフォルメがたくさんあって苦手です。そんなことしなくてもすっぴんで十分魅力的なのに。(演奏様式の変遷だろうか。)

今月末の新国、フィリップ・アルロー演出のホフマン、見に行けるといいんですが(>_<) プレミエのときずいぶん評判がよかったようだし。
by Sonnenfleck | 2005-11-22 20:09 | パンケーキ(19)

谷中散歩

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「秋がなく、夏から冬へストンと落ちる」今年の東京。ここ一週間で突然寒くなりました。
冬のコートをいそいそと取り出して、今日は名高い珈琲の名店、駒込のカフェ・クラナッハを初訪問…の予定でしたが、日曜定休の張り紙にがっくり。。そのまま六義園の池に飛び込もうかと思いましたが、仕方がないので同行者とともにその足で不忍通りを南下して、千駄木→谷中→上野のほうへ向かいました。
僕は東京の南部に住んでいるので、由緒正しき東京北部の下町は実に新鮮であります。贅沢な幅の幹線道路と、車一台やっと通れるような路地、坂、寺、古めかしい商家と、高層マンション。こうしたものがぐちゃぐちゃに入り乱れつつ、それでも不思議な統一感がある。おもしろい。

■千駄木
乱歩の『D坂の殺人事件』で有名な団子坂を下った交差点の角にある喫茶店、千駄木倶楽部で一休み。煉瓦風ながらどこか垢抜けない雰囲気の外観と同じく(額に入れて壁に飾ってあるのは、湿気でふやけてシワのあるマリー・ローランサンのコピー)、野性的な焙煎香を漂わせてずっっしりと重いオリジナルブレンド。こんな野暮...僕は嫌いではないです。(*でもBGMはシューベルトのピアノ・ソナタ第21番。)
■谷中
団子坂の反対方向へ伸びる三崎坂を上って谷中へ(千駄木は土地が低い)。谷中といったら都内随一の霊園、というわけですが、秋の夕日に照らされた墓地というのもなかなか悪くない。ここに墓があるってのは本当にプレミアムな家だよなあと思いつつ墓石の間をすり抜けて歩いていると、従一位勲一等と誇らしげに刻まれた徳川慶喜の墓所を発見。こんな市中に殿上人の御奥つ城が〜。さすが将軍の墓だけあって訪れている人も多く(あえて寛永寺増上寺ではなく…!)、なかには柵に設置された解説文をドイツ語に訳して読み上げる日本人女性と、それを熱心にメモする初老の白人男性などもおられてびっくり。こんなところにまで。
■上野
やがて東京芸大の裏手へ出ます。
ふと見ると…芸大の美術学部に見慣れぬ建物ができているじゃないですか。オープンテラスとガラス張りのギャラリーに誘われて入ってみますと、、どうやら今月の9日にオープンしたばかりの藝大アートプラザのようである。中には美術学部教員の作品やデザインTシャツ、平山郁夫のリトグラフ、書籍、CDなどがミュージアム・ショップのように販売されていて、同行者は「天下の藝大も法人化の波にこうやって乗らなきゃイカンのねー」とひとりごつ。
(*書籍の品揃えは正直、西美と同じかそれ以下。わざわざ上野公園の奥まで行く価値ははたしてあるのか…。CDは青柳晋や伊藤恵がちらほら、しかし大多数は見事に鈴木雅明/BCJであります。)

秋の日はつるべ落とし。かえろかえーろおうちへかえろ。
by Sonnenfleck | 2005-11-20 20:03 | 日記

アイアン名電/続くよ鉄っちゃん

c0060659_2314407.gifタモリ倶楽部についてコメントするのは実はこれがすでに3度目なのですが(この番組のタモリがいちばん生き生きしているよなあ)、ここ数週間の流れはすごい。番組の主の趣味とリンクしているのか、鉄道系の企画がずっと続いてるんですよ。

先週(11月11日深夜)は「電車男集合!“電チラ選手権”」。関東の5つの大学の鉄道研究会が対抗で、トンネルとトンネルの間など走行する電車がチラリと見えるわずかな隙間=電チラ映像の出来を争う。優勝は電気通信大学の鉄研による「京王線すれ違い」でした(短い隙間からすれ違いを撮影するというのは偶然の要素が大きいらしい)。...いやあそんなことよりみんなキャラが濃いですね。女子会員の多さを誇らしげに自慢していた筑波の鉄研ですが、彼らはヲタクっぽく見えないようにチェックのシャツ着用禁止らしいですよ。

そして今週(11月18日深夜)は「埼京線ダービー」。山手線の線路を望む恵比寿のビルに陣取って、そこから見える線路を初めに通過する電車の種類を予測する企画であります。本数が圧倒的に多い山手線を除いても、恵比寿付近は埼京線・湘南新宿ライン・成田エクスプレス・貨物列車などがひっきりなしに通る過密地帯。本数に応じてオッズが設定され、豪華賞品も用意されています。…という説明が終わったところで、なんと次週に続く!という文字が。3週連続で鉄企画なんですか。公共の電波に乗せていいんですか(笑)
by Sonnenfleck | 2005-11-19 23:20 | 日記

ロンドン・バロック+カークビー:遠くから見よう。

c0060659_175955100.jpg【2005年11月17日(木)19:00〜 来日公演/浜離宮朝日ホール】
●バッハ:トリオ・ソナタ第6番ト長調 BWV. 530
●同:《アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳》から
・ジョヴァンニーニのアリア〈あなたの心をくださるなら〉BWV. 518
・アリア〈まどろみなさい〉BWV. 82-3
・アリア〈私とともにいてください〉BWV. 508
●ヘンデル:組曲ホ長調 HWV. 430
●同:モテット《おお、何か、天から響くこの音は》HWV. 239
●同:トリオ・ソナタト短調 HWV. 393
●バッハ:VGamとCemのためのソナタニ長調 BWV. 1028
●ヘンデル:《グローリア》HWVdeest
 ○アンコール ヘンデル:《リナルド》から〈Lascia ch'io pianga〉
 ○      同:モテット《天にいます者が息を吐くならば》から〈Felix dies, praeclara, serena〉
→エマ・カークビー(S)
→ロンドン・バロック
 イングリット・ザイフェルト(1stVn)、リチャード・クヴィルト(2ndVn)、
 チャールズ・メドラム(VGam)、テレンス・チャールストン(Cem)


ロンドン・バロックの魅力というのは、ごく乱暴にまとめてしまうと、ある種の人工的なフラット感、奥行きのなさだと思っています。彼らの演奏が持つ凹凸のない美しい滑らかさはまったく独特のものだし、こういうスタイルにこだわってここまで突き詰めた常設の器楽団体は彼らだけだろう。そしてカークビーもまた長い間、禁欲的で平面的な単色の声を武器にしてきたのだし、この組み合わせはまったくよくできている。呼び屋さんの都合など考えないことにしてもです。
しかしこのスタイルを志向している演奏家にとってもっとも悲惨なのは、加齢による「人間らしい衰え」が来てしまうことでしょう。肌に亀裂が入ったビスクドールはその瞬間、不変の人工物としての輝きを失ってしまう。かつての滑らかすぎる肌を知っているだけに、その罅への違和感はどうしても拭いきれないのです。

前半1曲目のバッハは、ザイフェルトの音程が厳しい。。彼女がいちばん急激に衰えてきているという話はポツポツ見聞きしていましたが…ううむ。リーダーのメドラムも細かいパッセージが後手後手に回っていて、なんだか鈍重。2ndのクヴィルト(彼はまだ若い)が適切な合いの手を入れ、チャールストンがリズムを引っぱることで全体が破綻することはありませんでしたが、悲しい。
続いてカークビーが登場し、《アンナ・マグダレーナ・バッハ》に収録された肩の凝らないアリアを3曲。初めこそ音程が定まらなかったものの、調子は徐々に上向いて彼女らしい清冽な歌声を聴かせてくれる。伴奏する通奏低音二人も突然エンジンが暖まってきて、「主張しないB.C.」の醍醐味を味わわせてくれます。(*ここ最近の流行りはもちろん「主張するB.C.」なのだけど、この両者の間に優劣はない)
チャールストンのソロによるヘンデルの《調子のよい鍛冶屋》の変奏つき組曲を挟んで、同じくヘンデルのモテット。しかしこの作品はイタリア趣味の華美なコロラトゥーラがふんだんに用いられているため、カークビーの喉の衰えが如実に現れてしまった。ただ、すばやいパッセージでは後ろに寄りかかりぎみで少しハラハラさせられるものの、メロディの収め方はやはり天才的に巧い。最後の響きを空気にスッと溶け込ませる独特の技はいまだ十分に健在。

後半は特にバッハのガンバ・ソナタが印象深い。
メドラムが前半いささか不調だったのでドキドキしていたのですが、そんな心配とは裏腹にすばらしい完成度でありました。音程・音色・リズム感は完璧。ビルスマとその主立った弟子筋とはちがう、完璧に澄み切った静けさ。風もなく、波も立たず、まるで目の前に弾き手が存在しないかのような(!)美しい平坦さ。録音で聴く最盛期のロンドン・バロックは、こういう音楽を聴かせている。本当にすばらしい。

最後は本公演の目玉である、ヘンデルの新発見作品《グローリア》(日本初演なんでしょうか?)
2001年に「再発見である」として宣言されたこの作品は、その様式から、イタリアで修業していた22歳の若きヘンデルによって作曲されたとされています。声を声としてではなくほぼ器楽の一パートとして扱っていて、歌手への要求ははなはだ大きい。細かいアジリタが山のように登場する、ほとんど曲芸的と言ってもいいような難曲です。全曲は20分くらいか。(*カークビーが世界初録音しています)
そんなわけでカークビーの歌唱はやや辛いのですが、「速くない」箇所でのしっとりとした表情づけ・歌い込みのテクニックはやはりこちらをゾッとさせます。美しい。
by Sonnenfleck | 2005-11-18 18:03 | 演奏会聴き語り

コンクールに棲むミューズ(≠魔)

当ブログで勝手に応援しているピアニスト、佐藤卓史のインタビューが、今日からゴロウ日記さまにて配信されています。ごく一握りである二次予選出場者のひとりが見たショパン・コンクールの裏側など、いろいろ語ってくれそうですよ。

クラシック系サイト、各ブログ、および某巨大掲示板を大いに騒がせた先日のショパン・コンクールですが、このブログではあえて一言も触れませんでした。ここまで騒ぎが大きくなったのは間違いなく、今回からコンクールのインターネット中継が聴けるようになったためかと思われます。ワルシャワに行くわけにもいかず今までは蚊帳の外だった日本の一般リスナーが、今回からは「オレは実際の音を聴いたんだかんねーっ」という自信の下、あれこれものを言うことができるようになった(しかもある場所では匿名で!)。…普段偉そうに感想文を垂れ流している僕には彼らの行為を単純に批判することはできないのだけれど(それどころか同じ穴のムジナなのだけれど)、コンクールを受けた側にとってこの種の「物言い」がどう感じられたかということを考えると怖くなります。
by Sonnenfleck | 2005-11-16 23:23 | 日記