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ソンツォフカのメロディマシン

c0060659_1814564.jpgきわめて人気薄のプロコフィエフ作品の中でも歌曲や合唱曲の領域にはさらに誰も近寄ろうとせず、茨の生い茂る荒地という感じですけど、やっぱり茨の中にはひっそりと野薔薇の花が咲いているようで、、棘を掻き分けていく甲斐はあるのでした。
メゾソプラノのザラ・ドルハノヴァが歌うプロコフィエフ歌曲を収録したこのCD。アリアCDの在庫セールで一枚400円で売られていてまあこの値段なら…と何の気なしに買い求めたものなんですが、開封して聴いてみるとどのトラックもびっくりするくらい美しい。

このCDには以下のような中後期作品、
・《3つの子供の歌》Op. 68 (1936年、ソヴィエト帰還前後)
《3つのロマンス》Op. 73 (1936年のプーシキン生誕100年祭に際して)
・カンタータ《アレクサンドル・ネフスキー》Op. 78 から〈死の原野〉(1939年)
・《12のロシア民謡》Op. 104 (1944年、終戦前後)
オラトリオ《平和の守り》Op. 124 から〈子守歌〉(ジダーノフ批判後の1950年)

が中心になって収録されているのが面白いところ。これらを聴くと、ソヴィエトに帰ってからのプロコフィエフがいかに叙情的なメロディに傾斜していたかがわかります。これらの作品はいずれも音楽を管理する側から自分がどのように観察されるかということを多かれ少なかれ意識して作曲されたものですが、とりあえずそんなことは気にせずとも、特に太字で書いた2作品など浮遊感のある独特の優しい響きにしばし聴きほれてしまう。ドルハノヴァの清潔な歌いぶりもいいっすね。(*しかし当該CDは残念ながら現在廃盤。いちおうこちらから試聴可です。)

プロコフィエフはうるさくて意味不明だと思っている方にこそ、彼の歌曲を聴いてもらいたいもの。20世紀のロシアでもっとも素直な美しい旋律を書いたのはプロコフィエフなんじゃないか…と以前から思っています。彼は同時にその旋律を否定し破壊することもまた大好きで、、ともかくそのグチャグチャした矛盾に自分は惹かれているのですが。
by Sonnenfleck | 2006-01-31 18:37 | パンケーキ(20)

新国立劇場《魔笛》再々演

c0060659_11365693.jpg【2006年1月28日(土)15:00~ 新国立劇場】
●モーツァルト:歌劇《魔笛》
→アルフレッド・ライター(Bs、ザラストロ)
  ライナー・トロースト(T、タミーノ)
  長谷川顕(Bs、弁者)
  佐藤美枝子(S、夜の女王)
  砂川涼子(S、パミーナ)
  諸井サチヨ(S、パパゲーナ)
  アントン・シャリンガー(BBar、パパゲーノ)
  高橋淳(T、モノスタトス)
  三澤洋史/新国立劇場合唱団
  他
→ミヒャエル・ハンペ(演出)
→服部譲二/東京交響楽団


まったく何の捻りも加えない、オーソドックスをショーケースに並べたような演出。
夜の女王はちゃんと電飾をまといながら空中に吊るされて登場するし、パパゲーノは相変わらず黄緑の羽を生やしているし、モノスタトスは嫌なムーア人なのですよ。下品に陥らない、あくまで趣味のいい演技指導。よーしパパゲーノに日本語喋らせちゃえ。Ja, mein Engel!で笑わせてやれ。ザラストロは最後までかっこよく見せてやれ。
いちいちシニカルに揚げ足を取って問題提起するだけが芸術の役割ではないのだし、健康な精神を持った老若男女が24時間のうち3時間をニコニコと明るく楽しく過ごすためにはもってこいのすばらしい出来/いやぁ~、オペラって、本当にいいものですねぇ!/…。

歌手たちもこれに合わせたかのような凸凹のない仕上がりで、打ち震えるような熱唱がなかったかわりに、耳をふさぎたくなるような大破綻もありませんでした。佐藤美枝子は初め3人の侍女より声が小さくてドキリとしましたが、徐々に復調。今回もっともよかったのはパミーナの砂川涼子でしょうか。パパゲーノのシャリンガーとザラストロのライターは安定感があって一安心。しかしタミーノのトローストは陰影のない軽薄な歌い口でがっかり、、どの場面を取り出しても同じように聴こえるってのは問題だと思いますよ。

(*一箇所、第1幕第8曲でモノスタトスがNur geschwinde! Nur gescuwinde!と言ってパミーナとパパゲーノを後ろから捕まえる場面。普通ならばHa!と叫ぶところ、鞭を持った高橋淳は「ふうぅーーーぅ!」と「例のポーズ」つきでやってくれまして、何%かのお客は確実にどよめいた。高橋淳のそういうキャラクタ、僕は大好きです。)
(**冒頭の「大蛇」、なかなかのグロデザインでした。『寄生獣』「...ぱふぁ」を思い出したのは僕だけではない、でしょう。)

More...alas...
by Sonnenfleck | 2006-01-29 14:02 | 演奏会聴き語り

誕生日おめでとう。

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Google先生が祝っておられます。…アリアーガも200回目の誕生日おめでとうっ!
by Sonnenfleck | 2006-01-28 00:10 | 日記

小林研一郎/日本フィル:暖気

c0060659_23572074.jpg【2006年1月26日(木)19:00~ 第577回定演/サントリーホール】
●マーラー:交響曲第3番ニ短調
→坂本朱(A)
→ミロスラフ・ケイマル(ポストホルン)
→東京音楽大学合唱団、新座少年少女合唱団


マーラーの3番は、その大きさゆえ僕にとってはキャパ超えも甚だしく、何度聴いても全体を把握することができないんですよ(^^;)
したがって滔々と流れるマーラーっぽい旋律を場当たり的に楽しむことしかできないのですが、それでも今日の演奏会は心の底から深々と満たされましたです。

感想はごく簡単に。
コバケン氏は(失礼ながら…)ねちっこいチャイ5と《新世界》と《ダニーボーイ》を年がら年中振ってるようなイメージがあるんですけど、今日のマラ3では演歌調のタメもなく、終始滑らかで自然な響きを作り出していて、正直かなり見直しました。あんまり唸ってなかったし。
日フィルは(読響と同じで)肉食ってるっス的なスタミナが金管中心に最後まで持続してて大変よかった。それにTb首席のソロと、ゲストで呼ばれてきたチェコ・フィルの名プレイヤー、ケイマルのポストホルン!両者はいささかの文句もなく最高級の分厚い美しさ…特に第3楽章のポストホルンソロではホール中の空気がもったりと湿り気を帯びたようになって、なかなか体験できないような幻想的な雰囲気になりましたね。 坂本女史の高貴な歌い口も◎
長い長い第6楽章の最後の和音がすぅっと消えて、、暖かい拍手(お客さんのマナーもよかった)。背筋がぞっとするような透徹した美もいいですが、逆に細かいことがどうでもよくなるくらい暖かい気持ちになる演奏会って多くはないので、今日は無理して出かけた甲斐がありましたー。明日も当日券は出るみたいです。
by Sonnenfleck | 2006-01-27 00:03 | 演奏会聴き語り

クープラン、仮想スキップ。

c0060659_23422622.jpg最近重いものが続いたので、気分を変えてエンタメをご紹介。

リュリやシャルパンティエと違ってクープランは劇場音楽を残しませんでしたが、ただ一曲だけ《劇場風の様式で》という副題を持つコンセールを作曲している。この曲は《新しいコンセール集》の中に第8番として収められてるんですが、この曲集の他の作品がみな短くシンプルな形式なのに対して、この第8コンセールだけは〈序曲〉が用意されそのあとに舞曲が11曲も並ぶという変則的な大きさを持っている。そこでこれを怪しく思ったPeter Holmanという音楽学者が、「第8コンセールは失われたトラジェディ・リリクの素材を使って作曲されたのだ」という仮説を打ち出したわけです。

このコンセプトをもとにしてアルバムを作ったのが、誰あろう、奇才スキップ・センペであります。彼はその第8コンセールの素材と、クープランが残したエール・ド・クール(宮廷歌曲)を使って、プロローグ、5曲のディヴェルティスマン、終曲からなる劇場音楽を再創造してしまった。
その演奏はまさに劇的…クープランをこんなにアグレッシヴに弾いていいの、という感じです。センペというチェンバリストを初めて知ったのは、どこかのネットラジオでもんのすごくノリのいいバッハの1055を聴いてからですが、この録音でも手兵カプリッチョ・ストラヴァガンテ(名前に恥じない暴れっぷり!)とともにまあよく攻める。それに一音一音がぎゅっと凝縮して重い!でも緩急のバランスが巧いので、ゲーベル/MAKみたいなただの凶暴型押せ押せじゃないのがいいですね。フライブルク・バロック管とともに大いに注目している古楽オケです。
by Sonnenfleck | 2006-01-26 01:14 | 日記

湯浅卓雄/都響:悪童を再生する

c0060659_22531392.jpg【2006年1月24日(火)19:00~ 第621回定演/東京文化会館】
●芥川也寸志:弦楽のための三楽章
●同:Vcと管弦楽のためのコンチェルト・オスティナート
→山崎伸子(Vc)
●プロコフィエフ:交響曲第6番変ホ短調 Op. 111


あんまり表明してませんが、ショスタコと同じくらいプロコフィエフも大好きなんですよ。でもショスタコと違ってプロコには熱狂的なファン層が存在しないのか、CDは少ないし(《古典》とピーターはもうたくさん)、実演もまばら。しかもソ連の「公的な」著作の邦訳がいまだに日本語で読める唯一の伝記なのでさすがに泣けてきます。(こちら。←ジダーノフ批判に関して一文字も書かれてないんですよ!信じられない!/*上に画像を挙げたRobinson Harlowによる伝記Sergei Prokofiev: A Biographyは非常にオススメ。英文も平易でとっつきやすいです。こちら。)

そんなプロコ。
めったにお目にかかれない第6が演奏されるということでホイホイと出かけてきました。第6は個人的には萌え曲ですが、プロコらしい不良っぽさ満点なので演奏会では取り上げにくいんでしょうね。僕も生で聴くのはこれが初めてです。
第6が初演されたのは第二次大戦直後の1947年。プロコフィエフはこのころ第5交響曲や《イヴァン雷帝》でスターリン賞を獲得しまくっており(亀山郁夫は検閲当局による意図的なゴマスリだとしているけれど)、久々にザラリとした苦味を新しい交響曲に仕込んでもOKだと予測したんじゃないでしょうか。3楽章構成で「伝統的な形式」から逸脱し、曲の最後に鳴り響くけたたましい不協和音で「戦勝・社会主義の明るい未来」から遠ざかって、結局この交響曲は翌年のジダーノフシチナの標的になった。

第1楽章。湯浅氏は遅めのテンポで金管に下行音型を吹かせ、ひたっひたっと不安げな第1主題に突入。その第1主題の引きずるようなリズムがこの楽章を支配していますが、打点を鋭く示す指揮ぶりでオケは揺るぎなく(しかし丁寧に上品に!)推進する。Tbとテューバの発音が常に遅かったのは非常に残念でしたが、都響はやっぱり弦が巧い!
予想通り、第2楽章冒頭の強烈な不協和音の爆発はかなり控えめ。しかしそれに続く牧歌的な息の長い旋律線を丁寧に繊細に紡いでいく様子には感心しました。美しい。オケの響きが転調とともにどんどん変化していくさまは今日の白眉だったと思う。
第3楽章は頭がキュルキュルと回るようないかにもプロコらしいかわいらしさがありますが、ここではちょっと木管が息切れしたか…細かい音符がかなり潰れていたような気がします。しかも全体的に音色が単調になってつまらなかった。それでも全否定コーダは不協和音でフェルマータを長めに取って緊張感たっぷり、えがったです。

前半の芥川作品についても少し。
《三楽章》はしっとりとした美しさにびっくり。繰り返しますが、都響の弦はすごい。
くすぶるような緊張感が特徴の《コンチェルト・オスティナート》では、なんとモダンチェンバロがオケとともにオスティナート動機を弾きます(初めてモダンが鳴ってるのを聴きました。すっげえほんとにペダルついてるよ!)。目まぐるしい超絶技巧の独奏Vc(山崎女史の音色、太くて暖かくて好きです)には、なんだかプロコの《シンフォニア・コンチェルタンテ》の残響が聴こえてくる。別宮貞雄プロデュース、面白いです。
(*芥川の思い出話をしたがる別宮氏と、それをなんとか思いとどまらせて選曲理由を聞き出したい相手役の奥田佳道氏…プレトークもなかなか面白かったですよ。)
by Sonnenfleck | 2006-01-25 00:14 | 演奏会聴き語り

蕎麦は音を立てて。

c0060659_22245014.jpgちょっと遅れましたが、『のだめカンタービレ』14巻ゲットしました。
(以下ややネタバレ。)

日本での生活を描いた1~9巻が序奏だとすると、10~13巻は「第1主題・千秋」でしたね。んで14巻はさしずめ「第2主題・のだめ」への推移部といった感じ。パリ生活の脇を固める個性的な人物たちにスポットライトが当たって、うまいこと肉付けされてましたよ。きっと佐渡裕をモデルにしたのであろう先輩指揮者・松田の苦闘ぶりもリアルでよかったですが、13巻から続いていたプーランクのOb+Fg+Pfのトリオの練習風景の丁寧な描写は非常に好感が持てましたね(&身につまされた)。ていうかファゴットとバソンの違いなんて意識したことなかったなあ。第2主題はどうやら次の巻で大きく開花しそうです。いい漫画だ。

* * * * * *

FMでタイマー録音したブーレーズ/VPOの《復活》ライヴ。あまりにもきめ細やかで美しく、涙が出ました。たぶんこれをもとにしてCDが発売されると思われますが、乞うご期待です。
by Sonnenfleck | 2006-01-23 22:53 | 晴読雨読

恐怖の密室芸人 つ[手ぬぐい]

c0060659_2065962.jpg金曜深夜のアングラ癒し、タモリ倶楽部。
今回は二週にわたって、毎年恒例の「空耳アワード」が放送されましたですよ。今年のノミネート作品は下ネタがやや目立ちすぎたものの(-_-;;)、粒揃いでなかなかに笑わせます。やっぱ歌い方が一番のキモなのでHIPHOPとかワールドミュージックが圧倒的に強いんですが、今年のグランプリは意外にもエルヴィス・プレスリーの《ボサ・ノヴァ・ベイビー》から、「お酢をください(OH SO COOL OUTSIDE)」というやや地味めなものが受賞。まあ空耳でどれくらい評価されるかは音楽のバックに流れる映像の演出(およびタモリのテンション←最近低め)によるので、難しいところですね。

クラシックにはメロディ同士での単なる空似はたくさん存在するし、NHKFMの歴代「おしゃべりクラシック」の中でもコーナー化されてたくさん発掘されてますが、オペラや歌曲を対象にした狭い意味での歌詞を伴う「空耳」は興味の対象にはなってないような気がするんですよ。…良識ある諸兄はこんなことを真面目に追求したりはしないのか。
実はプライの《もう飛ぶまいぞこの蝶々》と、クリスティ/レザール・フロリサンの《メサイア》の中にひとつずつ空耳を発見しているのですが、だいたいタモリ倶楽部でクラシックが普通に受理されるのかどうかがわからないなあ。それに後者はすごーく罰当たりなやつなので普通に気がひけます(笑)
by Sonnenfleck | 2006-01-22 21:00 | 日記

中野振一郎/コレギウム・ムジクム・テレマン:谷間のいろいろ

【2006年1月20日(金)19:00~ 第168回定期演奏会/東京文化会館】
●モーツァルト:Cem協奏曲ニ長調 K. 107-1
●ヨハン・クリスティアン・バッハ:Cemソナタト長調 Op. 5-3
●モーツァルト:Cem協奏曲ト長調 K. 107-2
●モーツァルト:Cem協奏曲変ホ長調 K. 107-3
●ゲオルク・ベンダ:Cem協奏曲ト長調
●フランティシェク・クサヴィル・ブリクシ:Cem協奏曲ヘ長調(日本初演)


これまで何かと都合が悪く足を運べずにいましたが、チェンバリスト中野振一郎氏率いるコレギウム・ムジクム・テレマンはぜひ一度聴いてみたい団体でありました。今回は(ここでも!)モーツァルトイヤー企画ということだったんですが、実は取り上げるモーツァルトはすべてクリスティアン・バッハのモーツァルト編曲作品ということで、スパイスが利いております。しかもベンダ!こりゃあ行かにゃならんべぇーと、雪の予報が出ている中、上野へ。

前述のようにK. 107の三曲は、モーツァルトがクリスティアン・バッハ (1735-1782) のCemソナタをCem協奏曲に編曲したものです。いずれも編成は1stVn、2ndVn、Vc、Cemが一人ずつという極小のもので、中野氏による解説では、モーツァルトが旅先での急な演奏依頼に応じてその場で用意できる小さな編成に仕立て上げた可能性がある、とのこと。
Vaがいない穴をどう埋めるかがいちばんの聴きどころですが、うまいことに2ndVnに低音を分配して内声を弾かせてるんですよ。原曲のト長調ソナタとモーツァルト編曲のト長調協奏曲が比較可能なように並べて演奏されたのはうれしかったですねえ。特にこのト長調ソナタは2楽章が長大な変奏曲になってて、モーツァルトのオーケストレーションの色彩感覚を体験するのにはもってこい。Cem独奏の原曲からここまで鮮やかな編曲をするのか…と驚かされる。

休憩後VaとKbが加わり、ベンダの協奏曲。
ベンダ作品は昔FMでメロドラマ《ナクソス島のアリアドネ》を聴いて以来(あれはドイツ語の台詞が理解できないと面白くないっす)ですが、この協奏曲は非常に親しみやすい。もっと言えばいかにもフリードリヒ大王が好みそうなクヴァンツ似のスタイルで、まだバロックしてますよ。明るい旋律美や技巧的な通奏低音など作品のレベルも非常に高くて、もっと注目されてしかるべき曲だと思います。バロクーな自分としては非常に安心(^^;) …逆に前半のクリスティアン・バッハの先鋭的な古典派ぶりが強調された格好ですね。

最後のブリクシ Brixi (1732-1771) は当時チェコで絶大な人気を誇ったオルガニスト・作曲家とのこと。当時モーツァルトはプラハで人気を博していましたが、その賛辞の中に「ブリクシ的なわかりやすい音楽を挿入していた」というものがあったらしい。そんな作曲家です。
しかし…ものすごく凡庸な作品に聴こえたのは、このエピソードを読んだせいではないだろうなあ。まったくつまらない、、低弦のしつこい同音連打、四角四面な転調、1stVnの偏重など、古典派協奏曲の教科書を読んでるみたいな。今ではすっかり忘れ去られてるのもむべなるかなという感じです。

コレギウム・ムジクム・テレマンは、「非常に真面目で」かっちりとしたアンサンブルでした。安心できますが、中野氏のけっこう大胆なアーティキュレーションにはほとんど反応なし…というのが悲しいですね。一人相撲みたいで少し寒いです。ともあれ、今回はまさに企画力の勝利!こういうひねくれた(笑)演奏会、大好きです。
by Sonnenfleck | 2006-01-21 11:05 | 日記

フェドセーエフ/東京フィル:世界一真面目なソッツ・アート

c0060659_0405675.jpg【2006年1月19日(木)19:00~ 第18回オペラシティ定期】
●カリンニコフ:交響曲第1番ト短調
●ショスタコーヴィチ:オラトリオ《森の歌》Op. 81 (フェドセーエフ版)
→福井敬(T)、牧野正人(Br)
→東京オペラシンガーズ、東京少年少女合唱隊


まずはプログラムの物々しさに唸らされましたが、フェドセーエフの指揮とあらば聴きに行かないはずがない。しかし当日券狙いで行ったため席は指揮台のほぼ真下…直接音しか聞こえない場所なので響きのバランス等はまったく判断できませんでしたが、そのかわりフェドセーエフがオケに要求している細やかなニュアンスの一端を垣間見ることができましたです。

初めはカリンニコフ。最近はすっかり市民権を得て、ロシア音楽ファンの間では人気の曲になりましたね。(あ、僕はソヴィエト音楽ファンなんで。)
んん…しかし不覚にも、第1楽章の甘~い第2主題で胸が熱くなってしまいました。こんなにベタベタなロマン派に引き込まれるなんて悔しい限りですが、フェドセーエフこだわりの弱音、そしてあくまで羽目を外さないダンディな歌い口にはしてやられましたね。この指揮者はスヴェトラーノフ亡き後のロシア音楽ファンの願望を一手に引き受けているような感じだし、鳴らすときはずいぶん派手に豪快に鳴らすけど、実際のところただの浪花節・爆演とは一線を画した節度を感じるんだよなあ。

休憩後、《森の歌》。
僕は、歌詞のある社会主義リアリズム作品はただの歴史的メモリアルだと思ってます。それに対してはソッツ・アート(興味のある方はこちらへ。笑えるのが山ほど揃ってます)の作家と似たような気持ちで、つまり、ああご大層なスローガンだな、大真面目にやっとるな、とニヤニヤしながら臨んでいるわけです。同じショスタコの《わが祖国に太陽は輝く》(←なんと麗しい題名!)、プロコフィエフの《十月革命二十周年のためのカンタータ》《平和の守り》なんか、一度ぜひとも生で聴いてみたい。「こうこうこういうイデオロギーだから、音楽として問題があって、楽しむことができない」っていう意見には全然同調できません。

その意味では、今日の演奏はこれ以上望めないほど立派で堂々としていて、本当に最高でした(まあ…そもそも演奏解釈を許すような厚みのある曲でもないでしょうが)。モスクワ大学のメインタワーが建築のスターリン様式ならば、今日の《森の歌》は音楽のスターリン様式でありましょう。フェドセーエフの引き締まったテンポ設定が気持ちいい。Hrがやや不安定でしたが、オケは総じて大健闘。弦の皆さんは弓の毛を切りまくりでした。
東京オペラシンガーズの巧さは噂以上で、、非常に壮麗で力強く、しかし透明な響きを作り出していました。「喜ばしい」旋律に咆哮するオケを貫いて立ち上る合唱…10月に聴いた岩城宏之/都響&晋友会合唱団と比べると、正直、段違いでした。(なんで今年の東京は二ヶ月にいっぺん《森の歌》があるんでしょうね。)

なお「フェドセーエフ版」というのは、スターリン賛美の部分を書き換えた1962年改訂版を元に、フェドセーエフが独自の判断で1949年原典版から歌詞を引っ張ってきたバージョンのことらしいです。ただどうもプログラムに掲載された歌詞を見た感じ、第1曲の最初の行「Kogda okonchila's vojna 戦争が終わって」が1949年版の「Pobedoj konchilas' vojna 戦争が勝利のうちに終わり」に差し替えられてるだけなんですよね。同じ歌詞の差し替えだったら、10月の岩城/都響が終曲でやった「Partii murdroj slava! 叡智あふるる党に栄光あれ!」のほうがよっぽど大胆だったと思いますが。。
(*ただこの部分は、1949年原典版では「叡智あふるるスターリンに栄光あれ!」だったので、1962年改訂版では岩城/都響が用いた「叡智あふるる党...」に替えられてます。でも現在一般的に歌われているバージョンでは、さらにそこから「人民に栄光あれ!」へと替えられてるんですね(今回の「フェドセーエフ版」でもこの部分は「人民に...」でした)。メンドクサイ…いっそのこと1949年原典版でやってください。)
by Sonnenfleck | 2006-01-20 01:36 | 演奏会聴き語り