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晴読雨読:池波正太郎『剣客商売』

c0060659_2129374.jpg何も考えずに買った池波正太郎の『剣客商売』が、、なんと鬼のように面白い。とりあえず第1巻をもりもりと読み終えました。
老剣客・秋山小兵衛と、その息子・大治郎のモノノフな日常を淡々と描写した超有名シリーズでありますが、これまで手に取ったことはなく。
しかしこれ、完全なるキャラ萌え小説ですね。話の筋はたわいないけど、王道的キャラ設定が温い安心感でおいでおいでをするわけです。その点ではラノベなんかとどう違うのか、判断が難しい。

それに付け加えて食い物(食べ物、とか食事、ではない)のすばらしい描写と、自在に伸縮する時間の流れ、ほとんど反則的な場面転換の技、どれを取っても最強のB級という感じでしょうか(シェルヘン?)。これはシリーズ全部読んでしまいそうな気がするなあ。
by Sonnenfleck | 2006-05-30 22:14 | 晴読雨読

近世の花鳥画展@泉屋博古館

c0060659_21182799.jpg先週、所用で京都。合間に泉屋博古館に立ち寄ってしまいました。
住友家が所有する中国青銅器コレクションを展示・研究するために設立されたこの美術館。六本木にある分館へは一度行ったことがありますが、京都の本館を訪れるのはこれが初めてであります。青銅器が山と並んだ常設展示室はとりあえず措いといて、、企画展示室で開催中の「近世の花鳥画展」へ。

展示は一室。東京と同じで凝縮されてますね。
畏友tarou氏に倣うなら、自分は「日本画リテラシーがない自信がある」、つまり図像解釈学的なアプローチがまるでできないのですが、本展のためにセレクトされた作品は困ったことにひねくれている(らしい)ものが多く、以下の感想はだいぶん的外れであるかもしれません。あしからず。

まずは入ってすぐ右手に設えられた彭城百川の《梅図屏風》(寛延2年/1749)、どうにも強烈に泥臭い梅の木が金色の鈍重な光を背景にしながら墨一色で描かれます。ハルサイ冒頭のFgソロみたいに傍若無人な佇まい。春はこんなに有機的なのか…。

そのすぐ隣に、伊藤若冲の《海棠目白図》(18世紀後半/↑に画像をアップ)。
展覧会チラシの表を飾るだけあって、堂々たる押し出しです。初めは海棠の乱れ咲きに目を奪われるんですけど、しかしよく見ると一列の「目白押し」、そしてそこから一羽だけ離れてぽつねんと居るメジロに気がついてニヤリ。この変な感性が若冲人気の理由なんでしょう。

少し離れて狩野常信の《白鷹捕鴨図》(17-18世紀)。
舞い降りてきた純白の鷹に今しも捕らえられた鴨は、すでにぐったりと生気がない。しかし、、神経質に描き込まれた鳥の質感とは対照的に、ぺっぺっとぞんざいな筆遣いによる草が一本。この重層的な視点には少なからずぎょっとさせられます。日本画っておかしいよなあ(と思う視点からしてすでにひどい西洋カブレ的捩れなのだけど)。
同様に、呉春(松村月渓)の《蔬菜図巻》(18-19世紀)に描かれたにゅっと生白いレンコン。こういうときに変だと感じている自分を外から眺める感覚が、むしろ日本画を観るときの楽しさの大部分を成しているような気がします。

最後に待ち構えるのは6曲1双の巨大な屏風。《四季草花図屏風》(17世紀前半)の作者は不明で、ただ「伊年」の印があるのみですが(俵屋宗達?)、この異常な装飾世界はただごとでない。(*《梅図屏風》《蔬菜図巻》と併せてここで見られます)
ほとんど等間隔に配置された四季折々の花。こうなるとすでに「窓の代わりの風景画」ではなくなり、ペルシャ絨毯と同じ文脈で読み解くことが可能なのではないかと思う。じっと見つめていると息が詰まるような、異様な体験でした。

7月2日まで。
by Sonnenfleck | 2006-05-29 20:33 | 展覧会探検隊

はぐれグレの歌にボミオス。

c0060659_2253358.jpg来月、東響と京響が合同でシェーンベルクの《グレの歌》を演奏するようで。。東京か京都か、どっちかの公演を聴きに行っちゃおうかなーなんてぼんやり考えています。
なにせマラ8をはるかに超える大作、エンカウント率が極端に低いうえ、聴き終えたあと得られる経験値も高そうでありますよ。

ケーゲル/ドレスデン・フィル+ライプツィヒ放送響。
二つの手兵をまとめて巨大な音響を作り出しますが、音の減衰に関してはあくまで上に凸の二次曲線のように潔い味つけ。トゥッティで肥大した感じが全然しないのはさすがです。しばらくはこれで予習かな。

* * * * * *

明日の浜離宮はマレ祭、、なのだ。嘆きの東海バロクー。
by Sonnenfleck | 2006-05-28 00:26 | パンケーキ(20)

ヴィオラスペース2006@名古屋

c0060659_214982.jpgフェドセーエフ/モスクワ放送響のタコ10@サントリー(23日)、大変な名演だったようです。歯噛みしていても始まりませんが…10番マニアとしてはその場に立ち会えなかったのがたいそう悔しい(ガチガチ)。
気を取り直して、、先週の日曜に出かけた公演の感想文を。

【2006年5月21日(日)15:00~ しらかわホール】
●モーツァルト:二重奏曲第2番変ロ長調 K.424
→小栗まち絵(Vn)、店村眞積(Va)
●バッハ:無伴奏Vc組曲第6番ニ長調 BWV.1012
→川崎雅夫(Va)
●武満徹/細川俊夫:《ア・ストリング・アラウンド・オータム》
●バッハ/細川俊夫:コラール《人よ、汝の罪のきさを嘆け》
→今井信子(Va)、野平一郎(Pf)
●ヒンデミット:Vaソナタ Op.11-4
→川本嘉子(Va)、野平一郎(Pf)
 ○アンコール ヴァインツェル:《夜想曲》Op.34
  →店村眞積、今井信子、川崎雅夫、川本嘉子(Va)


この堂々たるプログラム!
2006年、ヴィオラのお祭り「ヴィオラスペース」が初の名古屋公演を開催。選曲のマニアックさに釣られてびよりすとでもないのに出かけてきましたです。

まず最初はN響首席の店村氏とサイトウキネンの小栗さんによるモーツァルトのVnVaデュオ。店村氏のVaは模範的なVaらしい音がするなあ…とムダなことを考えているうちに残念ながら意識が飛びまして、コメントはなし●

続いては、バッハの無伴奏Vc組曲第6番をジュリアードのプロフェッサー川崎がVaで弾くという興味深い取り合わせ。
第6番はあの6曲のなかでもいちばん軽くて幸せな気分に満ちた作品だと思うんですが、やはりVaで聴いてもまったく違和感がない(川崎氏の音は特に太くて温かみがあるということを踏まえてもです)。クーラントで長いスラーの音符が潰れがちだったのが唯一残念でしたが、アルマンドとサラバンドではその曖昧な拍感を逆手にとって、ロマンティックな歌を非常にしっとりと聴かせてくれます。それでもVcのように(たとえばロストロのように)べったりしないのがすばらしい。よく飛び跳ねる陽気なガヴォットに、なぜか涙が出る。

後半の開始は、武満のVa協奏曲である《ア・ストリング・アラウンド・オータム》を細川俊夫氏がピアノ伴奏用に編曲したバージョンのお披露目から。
武満さんの書いていない音は、一音も付け加えていません。オーケストレーションでしか意味のない音は削りました。」と細川氏自らが潔い解説文を寄せているんですが、かなり豊饒な響きのオケ伴奏からそのエッセンスだけを抽出して結晶化したことで、結果的にソロVaの不思議な表情をうまく聴き取ることができるようになっている(はず。原曲は未聴)。
豊かな伴奏の森を逍遥していると「E-F#-A-H-D」の音列が何度もVaに登場し、そのたびにふと我に返るような、、意識が移り変わる様子なのかな。とにかくドビュッシー以上に調性的な曲調に驚きます。今井さんのVaはきつい音がしますが、吹き抜ける冷たい秋風のようで清々しい。

バッハのコラールは甘美…。包み込まれる。

最後はヒンデミットのVaソナタ。初めて聴きます。
常の晦渋なヒンデミットとは違って、後ろのほうにブラームスを望むような力強い曲調。ちょっと斜に構えてはいるものの、民謡風の主題が変奏されていく様子には素直に心が熱くなる。川本さんの音はこの日登場した4人のなかではもっとも太い、Vcのような豊かな響きを特徴とするようで、胸のうちに燻るような浪漫をかき立てられます。
さて第2楽章と第3楽章は一続きの長大な変奏曲なんですが、いよいよ盛り上がる第3楽章の後半、川本さんの苛烈なピツィカートに耐え切れず、なんとVaが断弦!野平氏もおっとと...という感じで弾くのをやめ、一時中断です。弦を張替えに袖へ引っ込んだ川本さんを待つ客席は、静かな、でも熱を含んだようなざわめきに包まれましたが、、数分後演奏は問題の変奏から無事に再開され、頂点へ登りつめて劇的な最後。ブラヴァ!
by Sonnenfleck | 2006-05-25 21:53 | 演奏会聴き語り

今はもうない

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夢の跡。
by Sonnenfleck | 2006-05-24 20:59 | 絵日記

86%は○○でできています。

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買ったままぽっくり忘れていた、コンドラシン/モスクワ・フィルによるプロコフィエフの《革命20周年のためのカンタータ》(MELODIYA)。取り出して聴いてみたらモダンすぎてぶっ飛びましたよ。第6曲〈革命〉のアコーディオンソロでモダン萌え分を補給してもイイデスカ。86%のアヴァンギャルドに、14%のリリシズムということで。
by Sonnenfleck | 2006-05-22 22:15 | パンケーキ(20)

中野振一郎/コレギウム名古屋:4台揃えば牙を…剥かない

c0060659_1073262.jpg【2006年5月20日(土)19:00~ 第29回コレギウム・ムジクム/電気文化会館ザ・コンサートホール】
●モーツァルト:2台のCemのためのソナタハ長調 K.19d
→藤井義子、徳田あつ子(Cem)
●同:Cem協奏曲変ホ長調 K.107-3
→藤井義子(Cem)
●バッハ:3台のCemのための協奏曲ハ長調 BWV.1064
→中野振一郎、藤井義子、徳田あつ子(Cem)
●同:Cem協奏曲イ長調 BWV.1055
→中野振一郎(Cem)
●同:3台のCemのための協奏曲イ短調 BWV.1065
 ○アンコール 同:BWV.1065~第3楽章
→中野振一郎、藤井義子、徳田あつ子、澤田知佳(Cem)
⇒コレギウム名古屋:大竹倫代・神戸潤子(Vn)、杉山光太郎(Va)、
             太田一也(Vc)、古橋由基夫(Kb)


ヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン(withヒラリー・ハーン)の名古屋公演とバッティング!散々迷った挙句、バッハの1064と1065を生で聴ける機会はそんなにないのでこっちを選びましたよ。
…しかし大誤算。用意されたチェンバロはタスカン×2とブランシェのフレンチが3台と、ミートケ(ジャーマン)が加わった計4台ということでしたが、ピッチはモダン、中野振一郎と弦楽合奏はあくまでサロンのゲストであり、主役は楽器を所有する半アマチュア?のおばあちゃんでした。。アマチュアの批評は難しい。気を遣う。でもどうしても我慢ならないのでちょっとだけ。

決して少額ではない金を取る以上、それに見合う責任が発生していることを忘れるべきではないと思うのです。明らかな練習不足を聞かされちゃこっちだってたまったもんじゃない。
1064では2ndCemを担当した彼女が速いパッセージを弾くことができず、慌てて1stCemの中野氏が指揮するも及ばずアンサンブルがぐちゃぐちゃにずれて、空中分解(よく演奏が止まらなかった)。いわゆる「スリルだとかライヴ感だとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ、もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…」というやつです。なんで僕はコンサートホールの椅子に座って冷や汗かいてるんだと。

* * *

しかし中野氏がソロを務めた1055に関して言えば、、これは手放しで名演なのでした。
1月に東京で彼の演奏を聴いたときも感じたんですが、中野氏のような魔術的アーティキュレーションのことを天才肌と呼ぶんじゃないかなと。いかにも軽く、楽しそうにコロコロと表情を変え、聴衆を幻惑する、そういう音楽を苦もなく作り上げる人なんだと思います。

前半の1064ではその奇才が自分を抑えに抑えて、1stCemなのにサポートに回るという痛々しい転倒が起こっていましたが…オモリから解放された後半の1055では弦楽合奏(*)とともに高いところに舞い上がって、拍の自由な伸縮と軽やかな装飾を伴った素敵な演奏を聞かせてくれます。白湯ばかり飲まされてたところに突然、いとも複雑な味のコーヒーが出てきたような衝撃でありました。
(*弦楽合奏のコレギウム名古屋は、ピリオド語法が徹底された爽やか腕っこき集団。中野氏の自在な呼吸にピタリと張りついていきますよ。特にB.C.の二人はモダン楽器であんな音が出るのかというくらい質朴な美しい響き…感激です。んでプログラムに目を落とすと、全員が名フィルの団員で、かつVa/Vc/Kbの三人は首席!なるほど。)

* * *

最後はまたお遊戯会みたいな1065、しかし客席からは拍手喝采。
この「コレギウム・ムジクム」シリーズは1978年から脈々と続いてきたらしいですが、、そこに形成されたサロン文化は神聖ニシテ不可侵。僕みたいなクラヲタは立ち入り禁止のようです。
by Sonnenfleck | 2006-05-21 10:07 | 演奏会聴き語り

雨上がる

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鈴木大介の「武満徹:ギター作品集成」と、タッシ+小澤の《鳥は星型の庭に降りる》。
火照った頭をクールにダウン。
さて…ひとねむり。
by Sonnenfleck | 2006-05-20 09:53 | パンケーキ(20)

アンチ家系

c0060659_23181746.jpg久しぶりにドミさんについて。「生誕100年」のおかげで、これまで地下に潜っているしかなかったショスタコヲタクもようやく胸を張って歩けるようになりました。GWにはiPodにいろいろ詰め込んでひとりラフォルジュルネ~ショスタコーヴィチと仲間たち~をやろうと思ったくらいです(若干キモイので企画倒れ)。
音盤に関しても、超入手困難@血みどろ争奪戦であった「ムラヴィンスキー82年の第8」「コンドラシン/BRSOのバービィ・ヤール」がなんと1000円の廉価盤で復活という大ニュースが。あたしゃこの10倍の値段でも買いますよ。名古屋でも9月に第12交響曲の実演があるし、今年はショスタコを追っかけ続けてきて心底よかったーという出来事が目白押し。
(*「コンドラシン/SKDの第4ドイツ初演ライヴ」まで登場ということです。ひええ。)

んで当然のことながら新譜の発売も活発でありまして、僕もまずはラトル/ベルリン・フィルの第14番《死者の歌》+第1番(EMI)を買ってみましたです。
これがまた、、見事に「死んだような演奏」なんですな。
シェフがラトル+オケがBPO+歌手がマッティラとクヴァストホフ+ライヴ録音、とくれば、押しの強い過激なパフォーマンスを予想しますけど、あえて極度の静寂と洗練でもって表現したのが面白い。全般的にかなり抑制された音量、理知的に考え抜かれた「間」、控えめな皮肉、感情を抜いてメタリックに仕立てられたオケの響きは、あらゆる「直伝系」の演奏と一線を画しています。
だいたいこの第14番は録音数自体かなり少ないので、バルシャイとかロストロとか「『環境』が生んだ絶対的名盤」がいまだ脅かされず君臨し続けている。それらの評価を疑ってかかりたい向きはぜひこのCDを手にとってみてください。ラトルの演奏が「物足りない」と感じられたアナタは「ソ連っぽい演奏」に毒されすぎているかもしれません。クヴァストホフの柔らかい歌唱や、剣山のように揃ったオケの冷たい響き、あえてリズムを後ろ向きに倒した打楽器、ニュートラルに巧いKbソロなど、聴きどころ満載です。
しかし深夜、この「盛り上がらなさ」をひとりニヤニヤしながら楽しむのもまたヲタの本懐。
by Sonnenfleck | 2006-05-18 00:15 | パンケーキ(20)

NympheArtプロデュース 「林、森、虹、息。。。」

【2006年5月13日(土)14:00~ 名古屋市港文化小劇場】
●伊藤美由紀:《星の林に。。。Ⅱ》(2005/Japan Premiere/Sソロ)
●武満徹:《森のなかで》(1995/Gtソロ)
  (1)ウェインスコット・ポンド~コーネリア・フォスの絵画から
  (2)ローズデール
  (3)ミュアー・ウッズ

●ストラヴィンスキー:《3つの日本の抒情詩》(1913/S+Pf)
  (1)山部赤人
  (2)源当純
  (3)紀貫之
●猿谷紀郎:《虹のあしおと》(1999/Vn+Gt)
●大村久美子:《浄められた息》(2003/06/S+Vn+Gt)
●ネイト・ペーゲル(映像)/伊藤美由紀(エレクトロニクス):《東京メトロ》(2005-06/JP)
●大村久美子:《雑踏の中で》(2006/World Premiere/Gtソロ)
●武満徹:歌曲より(鈴木大介によるGt伴奏版)
  (1)《うたうだけ》(1958)
  (2)《恋のかくれんぼ》(1961)
●後藤龍伸:《レクイエム―モノローグ》(2006/WP/Vnソロ)
●伊藤美由紀:《暗闇の中の眼のキラメキ》(2006/WP/S+Vn+Gt)
→天羽明恵(S)
  後藤龍伸(Vn)
  鈴木大介(Gt)
→伊藤美由紀(企画・作曲・Pf・司会)
  大村久美子(企画・作曲)


1913年作曲のストラヴィンスキーがダントツに古く、残りはみな20世紀中盤~新作の作品ばかり。東京ならたまに津田ホールあたりでこっそりやってそうな感じですが、名古屋では(おそらく)あまり開かれない現代音楽のコンサート。逃せませんです。ニンフェアールという団体名で二人の女性作曲家がプロデュースする演奏会、その第二回ということでした(第一回は昨年「古楽器の現在」としてリコーダーの鈴木俊哉氏を呼んだりしたみたいです)。

僕は今回、「武満徹の《森のなかで》を聴く」という明確な目的を持ってこの演奏会を訪れました。最近の愛聴盤、鈴木大介氏による「武満徹 ギター作品集成」にも当然含まれるこの曲。最晩年の武満らしい凍てついた美しさに溢れていて、聴くたびにいつもビリビリと痺れているんですけれど、やはり奏者の至近で/彼と同じタイミングで呼吸してこそのギターソロ作品ということで大いに期待!

* * *

この日の名古屋は冷たい雨+会場はお世辞にも中心部とは言えない微妙なロケーションながら、客席には幅広い世代が150人ほど集まっていたようでした。

とりあえず、二人のプロデューサーの作品以外について感想を書いていきます。
◆2曲目の武満、《森のなかで》
シワブキひとつない客席の緊張を解きほぐすように、鈴木氏の音が空気にじんわりと染みこんでいきます。第1曲《ウェインスコット・ポンド》はCDの演奏に比べて間合いが少し柔らかくなり、逆に第3曲《ミュアー・ウッズ》では特徴的な跳躍音型と上から鳴り響くような旋律の緊張が増していた。鈴木氏の中で熟成があったのかもしれませんです。…しかし…ああやはりまた呼吸を支配されてしまった。名曲の名演奏
◆3曲目のストラヴィンスキー、《3つの日本の抒情詩》
こちらは実は初めて聴く作品だったんですが、プログラムによると《月に憑かれたピエロ》のオマージュということで、うん、表現主義っぽい。トンガッテマス。天羽さんのディクションも十全に鋭くて、ストラヴィンスキーが凝縮した詩情が伝わる。ピアノのよたつきはご愛嬌?
◆4曲目、猿谷紀郎《虹のあしおと》はもともと2本のギターのための作品らしいんですが、今回は片方のパートをVnが担当しての別バージョンによる演奏とのこと。
しかしVnの後藤氏が弾くパートがもんのすごくリリカルで甘いのですね。これはおかしい、猿谷氏はこんな旋律も書くのかと訝っておりますと、演奏後に鈴木氏がひとこと「Vnは8割がた後藤さんの即興です。」…なんでもVnが弾くパートはそもそも単純な音階しか用意されておらず、今回は後藤氏による「作曲」があったらしいのです。いや、正直心地いい。これは後半、後藤氏の自作自演においても発揮されるのでした。

◆休憩を挟んで7曲(?)目は、ネイト・ペーゲルという映像作家によるインスタレーション。
これが…題して《東京メトロ》
東京メトロの路線図と、駅構内・電車の映像をぐちゃぐちゃにコラージュした変な作品です。しかし「東京メトロ」なのに映る車両は都営新宿線・大江戸線、それに山手線というボケでした(ツッコミ待ちか)。路線図のカラミでは大手町の5路線乗り入れが案の定注目されてて少し笑える。どう見ても鉄分高いよ…。
→あと、終了後にはやっぱり拍手が出ない。演奏会に集まる人は「肉体的な演奏行為」に対して拍手してるのかなあ。美学的に面白い瞬間。

◆続いて8曲目、武満の歌曲《うたうだけ》《恋のかくれんぼ》
これがこの演奏会の白眉だったかもしれません。
どちらを先に演奏するか、舞台の上で天羽さんと鈴木氏がひとしきり揉めて(笑)客席はいい具合にほぐれます。前者は角の丸い鈴木氏のリードでjazzyな雰囲気が完璧に表出(完璧なジャズ、って変か)。後者は「ここはどこの細道ぢゃ」→「ふたりの恋の細道!」と来る谷川俊太郎のお茶目な詩と、武満のこれまたお茶目な音楽が絡み、素直に素敵な気分に。天羽さんは声質・歌い口ともにちょっとキッチリしすぎかなと思いましたが、武満のくだけた感じが生で聴けたのは最高にいい体験であります。
◆9曲目、後藤氏の《レクイエム―モノローグ》世界初演。
カジュアルな格好でふらりと登場した後藤氏。「他人の曲を演奏するのはキライ」という仰天プレトークのあと(書いちゃダメだったかしら)、掴みどころのない中東風の切ない旋律が流れ出します。これは昨年亡くなった奥崎謙三氏と、一昨年亡くなった名古屋の音楽プロデューサー・久保則男氏へのレクイエムであるらしいですが、あんまり素直に歌い上げるので聴いてるこちらも気持ちよくなってしまう。「レクイエム」と題されたわりに暗さは微塵もなく、温泉につかっているような暖かい作品でありました。
(*しかしどうも…かなりの部分が即興だったような気がする。演奏時間に対して楽譜が少なすぎました。勧進帳か。)
後藤氏は名フィルのコンマスをやられてる方なんですけど、、これは名フィル定期でも聴いてみたい!オケの中ではどんな演奏をされるんだろう!

* * *

さて二人のプロデューサーによる作品について。
彼女たちの作品は、、残酷なようだけどはっきり言って「面白く」はない。率直に言って、いま断片でもいいから曲を思い出せと言われてもムリなんです。二人とも「音の断絶」に興味があるようで、非常に厳しい音楽語法を武器にしているようですけど、意気込みすぎて/背負い込みすぎてバッタリ倒れてる感じです。大村さんの《雑踏の中で》は間の取り方に独特の突っかかる感じがあってやや楽しいんですが…。
作曲家が自作を並べたコンサートを企画して実行する、その行動力は本当に尊敬するし尊重しなきゃならんですけど、「技巧を凝らした/でもありがちなゲンダイオンガク」以上のものを、金を払ってやってきた僕のような無責任でわがままな聴き手は期待してます。
(*すげー感じ悪いですね。すいません。でも嘘は書きたくない。そんなわけでニンフェアールの次回公演にも必ず足を運ぼうと思います。)
by Sonnenfleck | 2006-05-16 18:43 | 演奏会聴き語り