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紅顔@ヤマイダレ

c0060659_21113193.jpg11月中旬から続いていた謎の体調不良。

朝は気だるく、昼は関節の痛みと全身の掻痒感に悩まされ、夜はポーっと熱っぽい…。10日近く風邪薬を飲み続けても一向に症状が治らないのでかなり困ってましたが、同僚の「なんでそんなに顔赤いの?」という言葉にピンときまして。
それでもしやと思ってWikipediaで調べた「伝染性紅斑」、つまりリンゴ病の症状が、まー面白いようにことごとく当てはまるんですな。確かに数日前からチークでも塗ったみたいに不自然に頬が赤かったんですけど…でもリンゴ病って立派なオコサマの病気じゃないか!なんと恥ずかしい。。(///)

リンゴ病、小児の場合は発熱等なく、ただ発疹と顔の赤みが続くだけなんですが、どうやら大人が感染すると軽微な風邪に似た症状と発疹・関節痛を呈するらしく、なかなかタチが悪い。具体的な治療方法もないらしいので、自分の免疫システムを信じてじっくり待つよりほかにないようですねえ。頑張れMyヘルパーT細胞。あとマクロファージも。
by Sonnenfleck | 2006-11-29 21:28 | 日記

のだめカンタービレ第7話【武士...】

【2006年11月27日(月)21:00~21:54 東海テレビ】

今週は選曲に妙な冴えがありました。。ドラマのほうはR☆Sオーケストラの練習、くろきん大活躍、のだめ+ハリセンの出会い、といった感じで日本編も中盤ですが…ストーリー追っかけるのがだんだん面倒になってきました(笑) もうクラが流れてればそれでいい~((( *o*)

のだめとハリセンとシベリウス祭り
「ハリセン江藤」の示導動機として《フィンランディア》冒頭のモチーフが使用され始めたようです。ハリセンを捨ててからのハリセンは名教師ぶりを発揮し始めますが、これからも使われ続けるのかなあ。あと「R☆Sオケ」のモティーフとして《カレリア組曲》の〈行進曲〉ですかね。モダン好きには嬉しいセレクトが続きます。
そしてのだめの大川弁強襲!制作側の思惑通りスカッとしました(笑) 来週以降ののだめの成長において、上野樹里がどれほど真に迫る演技を見せてくれるのか今から楽しみ。

くろきん大活躍
いちばん感心したのは、モーツァルトのOb協奏曲の最初のパッセージを吹き終えた後、余った息を「ぷはっ」とやってくれたところです。茂木氏の指導の賜物かしら?(ゴーストプレイヤーも茂木氏?彼らしい細かなヴィブラートがなかったのは「演出」でしょうか…)。
>>あれ?池田さんなのか?

こちらのサイトを見るとN響の池田昭子さんで確定ですね。斉諧生さん多謝!!
燻し銀ピンクの変化、たぶんに各種エフェクトに誤魔化されたような気がしますが(笑) 妄想中のくろきんに清良のメンデルスゾーンが被って、その後直立不動の東海林太郎スタイルがデレデレに崩壊したシーンは可笑しかった。福士さんという人、いい役者さんですね。

ブラ1と飛行機トラウマ
いよいよ真打登場。シュトレーゼマンのCDはずいぶん大時代的な演奏でしたが、R☆Sオケの本番ではどうなることやら。最後の「ドライな」練習シーンは原作どおりでよかった。そしてのだめの味噌汁から千秋の薬壜につなげるオリジナルエピソード、ちょっと期待しちゃいます。

今週のクラヲタポイント
・清良とくろきんがゴーストに頼らずにナイスな運指を見せてましたね。さすが役者だなあ。
・月9でコダーイやヘンデルが流れる日が来るとは…。
・「タコタコタコーっ!」という台詞に、全国のショスタコヲタクが随喜の涙を流しております。
by Sonnenfleck | 2006-11-27 23:33 | on the air

遅れてやってきた救世主

c0060659_19471622.jpg【harmonia mundi FRANCE/HMC 901928.29】

ヤーコプス/フライブルク・バロック・オーケストラの《メサイア》。この新録音に対しては、本当に期待していましたし、恐らくこれが自分にとっての新しい「刷り込み《メサイア》」になるはずでした。
しかし…聴くのが遅すぎた。アーノンクールの後に聴くべきではなかった。普段なら明るく楽しく愉快に聴こえる「ヤーコプス節」が、ただの派手な演奏にしか聴こえないんです。もしかしたら多少そう感じるかも、、と予想してはいましたが、、ここまでとはなあ。。ショック。

90年代後半からの古楽界の「縦」に関する流行って、減点法で各パートを整理して生まれる薄氷のような響きを「置いておく」ことを重視するタイプよりも、思い切ってヴィブラートや華やかな通奏低音で装飾してマッシヴな量感を聴き手に「ぶつける」ことに主眼を置くタイプのほうが大きな勢力になってきてるような気がしますが、ヤーコプスなんてまさに後者の代表のような指揮者ですよね。。
まず通奏低音にリュートがいることに驚愕…。これだけでまずレチタティーヴォの印象はがらりと変わりますし、この撥弦楽器はトゥッティが激しく鳴っている後ろからも大きな音で拾われてくるので、全体の響きの質感は非常に華々しく多彩なものとなり、およそアーノンクールとは違う。序曲の冒頭で「ベベベンっ」とかき鳴らされるリュートの「透明を志向しない音」、これがこのヤーコプス盤の醍醐味を象徴しているのかもしれません。

「横」に関してもまーよく攻めます。全体的に大変な快速テンポなのですが、第3曲のテノールのアリア「Every valley...」や、第8曲のアルトのアリア「O thou that tellest good tidings to Zion...」の仮借ない速さ、舞曲のように拍がどんどん前へ進んでいく感覚はヤーコプスのならではですね。それに加えて全曲中に物凄い数の装飾がジャラジャラとぶら下がっており、あちこちに耳慣れない変わったアクセントが埋め込まれているのもこの人らしい。オケとソロ歌手と合唱は指揮者の意向を忠実に実行するだけです。
(*しかし合唱は、どうしてRIASを使わなかったんだろう…。クレール大学合唱団の若々しさを買ったのか…でもこの粗さはちょっとないなあ^^; A.シェーンベルク合唱団と比較せずに聴くのは無理な話です。)

そんなわけでこの演奏は最新流行の衣装を纏っているわけですが、作品の構成については従来どおりの価値観に基づいているのが興味深い。頂点は明らかに第2部最後の「Hallelujah!」にあります。ここに突入する前のバスとテノールの2曲のアリアの完成度の高さ、そしてこの合唱の祝祭的な華やかさについてはよく練られた上で素晴らしいパフォーマンスが繰り広げられていますが、いっぽう続く第3部の穏やかな美しさに関しては、公平に聴いても単調な感じが否めない。第43曲のバスのアリア「The trumpet shall sound...」の煌びやかすぎる調子には閉口(ソロとOrgとTpの派手な装飾+リュートがうるさい…)。。

ヤーコプスは大好きな指揮者であり、この録音を全面的に受け入れることができないのはすべて僕の中にその原因があるんですが、彼の《メサイア》をポジティヴに聴くためにはもうちょっと時間が必要なようです。。
by Sonnenfleck | 2006-11-26 19:48 | パンケーキ(18)

MYSTIC ARK

c0060659_15453349.jpg90年代中盤、スーパーファミコン爛熟期(ソフト単体の価格が10,000円を超えてた頃)のRPGには、いまだに胸が熱くなります。プレイステーションが主戦場になってからゲームに時間を割くのをやめているので、最近の進化したゲームのことはよく知らないし、ただのノスタルジーだと言われればそれまでなんですが。。
でもあの頃のRPGは、SFCのスペックを限界まで使った素晴らしいシステムを構築してるものばかりで、しかもプレイヤーの想像力補完の余地がちゃんと残されていた…。もしWiiのバーチャルコンソールのラインナップにこの頃の好きだった作品が加わり始めたら、それこそクラヲタ一時封印で突っ走ってしまうかもしれません(笑)

そんなわけで先日来、再プレイを開始しているのが、1995年にエニックス(≠スクエニ!)から発売された『ミスティックアーク』というRPG作品。これは何よりも世界観が秀逸なんです。作品世界の雰囲気で言ったら、僕ぁDQ3よりもこの作品を上位に置きますね。。
どこかの世界の住人だった主人公は、何者かの力によってある日いきなり木のフィギュアにされ、「神殿」の中にコレクションされてしまう。それを憐れんだ「女神」は、主人公に再び命を与え、平行的に並ぶ7つの世界を順に巡りながら「アーク」と呼ばれる妖精を探し出すよう命じる。主人公は自分の世界に戻ることができるのか―
文章で説明するのは困難なのですが、7つの世界はすべて独特の平明さ、現実味のなさが支配しています。喩えて言うのなら、ラファエロの《聖母子(美しき女庭師)》の背景に描かれる理想的な世界に閉じ込められたような、甘美ながら暗い閉塞感があるんですよね。閉塞感のないゲームなんてないですけど、これはむしろそこに特化して上質さを追求してる感アリ。雰囲気を描写するのに、PS3のように超リアルなCGは必ずしも必要ないということを示してるんじゃないかなあ。このあたりは近過去レトロゲーマーとしての言い分ですけど。

そして触れずにおけないのが、音楽。
オープニング、フィールド、戦闘シーンなど、どの曲も複雑ながらちょっと空虚で寂しげ。すぎやまこういち流のシンプルさとは反対の複雑なBGMが、平明で美しい世界に違う種類の潤いを与えているように思います。
でもこの森彰彦という作曲家、、今年亡くなってるんですね。。合掌。

操作システム自体はDQタイプで平凡ですが、ダンジョンや謎解きにパズル的な要素が多く、しかも作中でヒントが少ないためけっこうシビアなバランス。敵も強い。SFCなので主人公も仲間も当然喋らない。評価の分かれるゲームだとは思いますが、発売から10年経ってもネット上でいまだに好意的な意見が見つかるのは、独特の存在感の証でしょうね。
by Sonnenfleck | 2006-11-25 16:19 | 日記

BB、逃げないで。

c0060659_20112061.jpg週の半ばに祝日が来るのってこんなに嬉しいものだったんですね。朝から深々と勤労に感謝しつつ、優雅にヒキコモリ生活。

そんなわけで、これまで「日記」カテゴリとして書いてきたCDの感想文を、この機会に新カテゴリ「パンケーキ」として整理しなおすことにしました。
バロックとモダンは自分の好みの両輪ですけど、11月に入ってからはバロックの車輪の方がすっかり巨大化して同じところをグルグル回っていたような…。どちらかに深くはまると片方は疎かになってしまうものです。

リハビリのつもりで今日はずっとこの音盤をエンドレス再生。
ブリテンのカンティクル集、BBとPPによる蜜月的自作自演の一枚です。
僕はこれまで「ブリテンらしい苦み」がのよさがよくわからなかった。この作曲家のCDはほとんど持っていません。絶対に激さない、憂鬱な苦み。シニカルな笑いはゼロで、でもほんのりとメロディに甘みが感じられる…。盟友ショスタコーヴィチの対極と言うか、本当に複雑な肌触りですよね。さらに妄想するなら、これってパーセルの質感にそっくりだと思うんです。パーセルという作曲家は激しい表出性がないので聴くのも演奏するのも大変難しい。大陸のバロックとは(たとえばリュリとは)かなり似ているようで実は根本から違う。20世紀音楽におけるブリテンの独自性ってちょっとこれと似通ったところがありませんか?ショスタコやストラヴィンスキーに対して行なうような演奏方法を許容するような作品ではない。。

カンティクル第1番《愛する人は私のもの》の、耳殻から零れ落ちそうな詩情。粒立ちのいいブリテンのピアノと、ピアーズの暗くてインテリっぽい声質が、それを実に寂しく引き立てる。。トラック1のこの作品をタワレコの試聴機で聴いて、背筋にビリッときたのです。なんという静謐な時間。。控えめな旋律美。。
作曲者が半身不随となってしまったためにハープ伴奏用に作曲されたカンティクル第5番《聖ナルキッソスの死》。相変わらず冷たく静かであり、それ自体は色彩感の不思議な欠如を感じさせますが、逆に音のないところ、行間には多彩な響きがある。リュートのようにそっけなく鳴るハープと、陰鬱なテノール。

…一筋縄ではいかない。結論は出ません。ブリテンのことが物凄く好きになりそうな予感はありますが、、もうちょっと聴きこんでみます。
by Sonnenfleck | 2006-11-23 23:09 | パンケーキ(20)

のだめカンタービレ第6話【腹中の思惑...】

【2006年11月20日(月)21:00~21:54 東海テレビ】

前回前々回となんだか低調で、感想文のやる気も漸減でしたが、、いやー今回は文句なく面白かったですよ。スタッフやるなあ…。

アバンタイトル
のっけから気合入りまくってましたね。「クラブハウスサンド」の再現、笑ったなあ。ミッチー佐久間も慣れると悪くありません(そこで名歌手かよー!)
《春》第1楽章「嵐」の部分にケエコとマナブの詰問シーンを重ねた演出にニヤリとしたのち、いきなり予期せぬ〈バディネリ〉登場で昇天。。バロック度数いきなり急上昇ですか。

4手のためのラフP2
本気で聴き惚れてしまった。。「キレてるのだめ」の表現が(役者・ゴーストピアニストともに!)相変わらずハイレベルで、おまけに今回はそこに合わせる千秋の惑いと快感を玉木くんが巧く醸し出しており…ここだけはまさしく原作を超えていたかもです。

Sオケ解散打ち上げ
このエピソード、晴れ晴れとした寂しさがあって好きなんですよねえ。うまいこと再現してくれた脚本と演出にブラヴォ。「黒麦焼酎 腹中の思惑」に微笑し、太鼓の達人でホロリ。

R☆Sオケ誕生?
黒木・菊地・沙悟浄が登場。音楽祭エピソードを省いているためこのへんはオリジナル展開ですが、無理がないので安心して見られますね。くろきん濃いぃ(「純情きらり」の人か)。

今週のクラヲタポイント
・宴の後のマントヴァ公爵にニヤリ。
・サンサーンスのVc協奏曲、実はCD持ってません(-_-)
by Sonnenfleck | 2006-11-22 06:55 | on the air

アーノンクール/CMWの《メサイア》@京都―その2

c0060659_21554368.jpg(承前)演奏について。

全般的に、装飾が多いなという印象はありませんでした。ダ・カーポ・アリアでも最近の流行のようにこれ見よがしの装飾を付けることをせず、しごく当然のようにストイックに繰り返します。
激しいアクセントが付くのは、歌詞の修辞において必要に迫られた箇所。全体としてはゆったりと構えたテンポ設定です。ラテン諸国のアンサンブルとは明らかに違う価値観に基づいているのは、やはりアーノンクールの誇りなのだろう。

コンマスのヘーバルトや、その隣に座るアリス・アーノンクール夫人、Fgのトゥルコヴィチ、Obのヴェスターマンら名だたるプレイヤーたちの至芸、、一点の曇りもない素晴らしさでした。しかしその中でも、誰よりも多くのパッセージを弾き続けたソロVcのヘルヴィヒ・タヘツィに、誰よりも大きな賛辞を贈りたいです。彼のチェロから生じる起伏が、まさにCMWの表情のベースになっているのですよ。CMWのアンサンブルを支えているミスター屋台骨の通奏低音を思う存分堪能できたのは、本当に得難い経験でした。

+ + +

さてこの《メサイア》の第2部は息もつかせぬ名曲の嵐なのですが、第20曲のアルトのアリアの憂鬱な手触りに続いて、急転直下、緊迫したテノールのレチタティーヴォと強烈な付点音符による鞭の描写(コントラバスの威力)。そののち、群集の「嘲笑」の場面となります。

He trusted in God that He would deliver Him;
let Him deliver Him, if He delight in Him.


この第25曲の合唱はバッハの《マタイ受難曲》の「バラバを!」に並ぶ凄惨な箇所であり、アーノンクールとCMW、そしてもちろんA. シェーンベルク合唱団による無情で醜悪なフーガには、肌が粟立つ思いでした。ホールのあちこちに反射して複雑に乱れ飛ぶ悪意、自分はただの鑑賞者ではなく、悪意を持った群集の一人なのかもしれない。しかし人は一体誰を…何を試しているのか!

メシアの誕生を急ぐような第36曲のバスのアリア、そして第38曲のテノールのアリアをその歌詞に即して冷たく硬い響きで演出したあとの、第39曲〈ハレルヤ〉。
論議を呼んだCDと同じ処理、いやそれ以上の絶妙な軽さと羽毛のような暖かさは、この有名な曲だけを取り出して聴くことには何ら意味がないことを改めて教えてくれます。すべては大きな流れの中にあるのだと。

第3部に入り、いよいよ第43曲のバスのアリア。
全曲を通じて個人的に最も好きなアリアなのですが、まったく本当に素晴らしくて、、辺りも憚らずグズグズと泣いてしまいましたですよ。。

The trumpet shall sound,
and the dead shall be rais' d incorruptible,
and we shall be change' d.
For this corruptible must put on incorruption,
and this mortal must put on immortality.


輝かしすぎないオブリガートTpの妙技。ここは軽くない、重く落ち着いた伴奏。そしてダ・カーポで前半が回帰して、3行目の「be change' d...」で夕映えのような偽終止…!
バスのドローレは代役でしたが、1980年生まれ、きっとこれから有名になっていく歌手だと思います。あのアンサンブルの中でロッシーニ的な明るい歌い口で堂々と自己主張して、《メサイア》の3つの難アリアを見事に歌いきっていました。
(*ソロは皆素晴らしかったですが、唯一ソプラノのクライターが、様式感のずれた大時代的な鈍重さをまとっていた。モーツァルトをFMで聴いたときは気にならなかったけれど、音程をずり上げるように歌う彼女のクセ、、これだけが本公演の小さな瑕だったように思います。)

そして終曲、第47曲の合唱。Tpとバロック・ティンパニも入って、壮麗な大伽藍が築き上げられます。ここばかりはアーノンクールも大見得を切るような仕草で、響きにこれでもかと重みを加えます。ホールの天上が抜ける―
実はここで最後の最後に、興奮したお客が一人、まだ数小節残っているうちから拍手を始めてしまったんですね。でも、その直後に、誰かがすかさず(ホールに響き渡るような音量で)「シーッ!」という声をかけてくれ、ひとつの引き金による興奮の連鎖的な暴発は押し留められたんです。あれで救われた。最後に満ち足りた空気が残る余地が与えられた。

終演後、外は冷たい雨になっていましたが、言葉がほとんど出てこないほどの深い衝撃を味わった自分にはそれでちょうどよかった。
京都コンサートホールのロゴが入った小さな傘をショップで買って、帰る。
by Sonnenfleck | 2006-11-20 21:57 | 演奏会聴き語り

アーノンクール/CMWの《メサイア》@京都―その1

c0060659_2314532.jpg【2006年11月18日(土)17:00~ 京都コンサートホール】
●ヘンデル:オラトリオ《メサイア》
→ユリア・クライター(S)、ベルナルダ・フィンク(A)
  ウェルナー・ギューラ(T)、ルーベン・ドローレ(Bs)
→エルヴィン・オルトナー/アルノルト・シェーンベルク合唱団
⇒ニコラウス・アーノンクール/コンツェントゥス・ムジクス・ウィーン


あれほどまでの音楽を聴かされて、この後どんな言葉を継げばよいのだろうか。
すでに小一時間、PCの前に座り込んでいるのですが、何も書けずにいます。文章が組み立てられないし、だいいち単語が出てこない。
わかっているのは、この演奏がこれまでのクラヲタ人生の中で最も衝撃的な体験であるということと、この先何年・何十年に亘ってこの演奏の呪縛を受け続けるだろうということ。以下の文章は感想文ではなく、自分のための覚え書です。

ここに最高の果物があったとしましょう。
その果物は最高と言われながら皮に近い部分は刺激がきわめて強いことで有名であり、世人は皆その果物を味わう際、皮に近いその部分の刺激を感じることに意味があるとしている。あるいは刺激こそが「最高」たる理由だと考えている。その果物の刺激の要素を強調したガムが広く流布したことで、その傾向はいっそう強まり、刺激を嫌う人は果物そのものを手に取ることすら厭うようになる。
しかし刺激に覆い隠された果物そのものの味、果物の核に近い部分の味には、誰も注意を払わない。刺激のほうがよく目立ち、よりわかりやすく、果物評論家はすぐにそれを言葉にできるからです。―「最高」の理由はその果物の中心部の甘みだというのに。

アーノンクールの音楽はエキセントリックでもクレイジーでもない
極端なテンポの変化や、粗野で表現主義的なそぶりは、ただ全体を構成する一要素でしかないんです。前述のようにそうでない部分にこそ耳を傾けなければならないし、また「刺激」も、単なる思いつきや装飾要素なのではないのだということを認知しなければならない。作品そのものの形を丁寧になぞったが故の、流れの中での自然な起伏なんです。
刺激主義・快楽主義とは異なる本物の「真摯な古楽」が、どれほど心に迫るものなのか、ようやくわかったような気がする。

演奏については明日書きます。
by Sonnenfleck | 2006-11-19 22:51 | 演奏会聴き語り

片道36分(1泊2日)

名古屋に来てびっくりしたのは、京都がメチャメチャ近いということですね。渋谷⇔横浜間にかかるのと同じ程度の時間で京都まで行けるという、、東日本版メンタルマップしか保有していない者としては衝撃の感覚です。そろそろ東海・近畿版マップもダウンロードしないとな。。

ということで、アーノンクール/CMWの《メサイア》を聴きに京都まで行ってまいります。ウィーン・フィルとのモーツァルトやブルックナーもいいけど、やっぱりどうしてもCMWの、「バロック」を生で聴いてみたいのですよ。ア氏は僕にとってはレオンハルト、ブリュッヘンと並ぶアイドルですので。。感想は日曜午後以降になります。
by Sonnenfleck | 2006-11-18 08:31 | 日記

on the air:アーノンクール/CMWの「モツレク」

c0060659_20324267.jpg演奏開始に間に合って、FMマンセー万世橋。

【2006年11月16日(木)19:00~ NHK音楽祭生中継/NHKホール】
モーツァルト:《主日のための夕べの祈り》 K.321(聴けず)
●モーツァルト:《レクイエム》 K.626
→ユリア・クライター(S)、ベルナルダ・フィンク(A)
  ウェルナー・ギューラ(T)、ルーベン・ドローレ(Bs)
  アルノルト・シェーンベルク合唱団
⇒ニコラウス・アーノンクール/コンツェントゥス・ムジクス・ウィーン

ラジオのスイッチをONにした瞬間に流れ出す、コンツェントゥス・ムジクスの無遠慮な音色。
みんなに嫌われてたっていい。こんな「オールド古楽」が結局僕の根っこを作っているのだ。
なんと言いますか、、アーノンクールの変わらなさにとにかく一安心なのです。

キリエ
A. シェーンベルク合唱団の異常な「立体交差」が、FMですら聴き取れますね。。それを下からヒタヒタと追うCM。しかし、テクスチュアが薄くなる箇所の表現がアーノンクールの中で一段と研ぎ澄まされてきているのは間違いなく、猫の舌のような刺々しさと柔らかさの究極のシンクロが起こっているようです。よく聴くと実は未体験ゾーン、か。
ディエス・イレ
暴力的な様子が印象に残るわけではなく、むしろトゥッティのフォルテとそうでない箇所との落差に空虚な雰囲気を感じます。上に凸の二次曲線のような潔い発音を意図的に使い出した最初の団体であるCMは、、健在どころか大いにレベルアップしていました。すごい。
ラクリモーサ
感傷的な旋律を感傷的に演出することは絶対にしないアーノンクール。こういうところを情感ゼロに振らせたら御大に敵う指揮者はいません。モンテヴェルディを聴いてるようでした。
オッフェルトリウム
ここでようやくジュスマイヤー版でないことに気がつきます(汗) バイヤー版?
ベネディクトゥス
木管を思い切り前に押し出して、くすんだ柔らかさを「わかりやすく」教えてくれます。祝祭的にけばけばしく重たいサンクトゥスとの落差といったらない。
コンムニオ
知ってるメロディが帰ってきた安心感などまったくない、ピンと緊張した硬い響き。
ホールの巨大な空間を「埋めてやろう」という挑戦的な態度は、各古楽団体へ脈々と受け継がれていますね。最強の第一世代。

+ + +

土曜はいよいよ京都に遠征。最強の《メサイア》を聴いてきます。
by Sonnenfleck | 2006-11-16 22:04 | on the air