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若冲と江戸絵画展@愛知県美術館

c0060659_14342617.jpg去年の8月に江戸で見た展覧会が、京と筑前を巡ってようやく尾張入り。待った待った。

えっとですね。概観的なことは先回の感想で書いてしまったし(若冲作品についてとか/印象は変わりません。僕はこの人...実は苦手かもしれない...)、それこそ他のブロガーの皆さんが書かれたレポートのほうがずっと優れているのでそちらをご覧になっていただくとして、僕は今回、強烈に印象づけられた3点の屏風だけを取り上げようと思います。どれも優に20分は絵の前で立ち尽くしてしまったもの。
それぞれクリックすると大きな画像へ飛びます。

山口素絢 《夏冬白鷺図屏風》
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二曲一双の総銀地、右双に輝く夏の川面、左双に沈黙の冬木が描かれています。
表面的に見ると、全面に施された銀箔が、右双ではカッと照りつける真夏の太陽を、左双では音を吸収する真冬の雪を、それぞれ忠実に再現している。
しかし一方で、あり得ない世界の奥行きを創造してもいるんですね。ないはずの「奥」がどうして想像されるんだろう。。見入っていると最終的には鷺の姿も消滅して、視線および体がその「奥」にたぐり寄せられて消えるような陶酔感を覚えました。怖いというか気持ちいい。東京では例の暗室に置かれて、光の演出を受けていたような気がするのだけど、銀は金ほどには物を言わないようなのであんまり印象に残らなかったのかな。これは永続的な蛍光灯の下でこそ恐怖が威力を持つ作品なのかもしれない。
この山口素絢という画家は美人画で名を成した人物らしいのですが、こうして観者のタナトスを引き出す画面を構築する画家が平然と美人を描いているというのが恐ろしいです。

葛蛇玉 《雪中松に兎・梅に鴉図》
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素絢の画が驚異的な奥行きを持っていたのとは異なり、同じモノトーンの作品でもこの蛇玉作品は平面的で、奥行きはいいとこ1mくらいで留まっていると思う。
でもこの画は、細部へのマニアックなこだわりが魅力なのです。雪国で生まれて、雪景色が胸に刻み付けられている人間が見ても、ここで画面いっぱいに降りしきる雪、そして木肌に付着する雪の恐るべきリアリティには息を呑みます。僕の印象の限りでは、雪の振る夜は実際にこのように見えるのですよ。あちこちの雪が光を反射しあって不自然に平面的な明るさを保つ夜。ノスタルジーを掻き立てられる。
画面を覆う雪は胡粉らしいですが、樹皮に着いた雪は実は白色の塗装ではなく、紙の地の色だそうです。現物を見ていたときはまったく気がつかなかった。

作者不詳 《簗図屏風》
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東京展で感激した光の演出ですが、幸いなことに名古屋展でも実現されました。対象となったのは若冲の《黄檗三万福寺境内図》とこの《簗図屏風》の二作品だけで、かなり小規模ではありますが、、再びあの「絵の動き」を見ることができて幸せ。
照度が極端に落ちたところで突然現れる金の醜悪な正体…あの赤黒いエロスは何度見ても衝撃的です。この作品では左双左寄りの樹木周辺と、右双の簗および蟹のあたりがギラリと輝いているのを確認して、背筋がゾッとしました。樹木が溶暗して急に奥行きが出てくる様子にも魅了される。『幻談』ではないけど、見えないもののほうがよく「見える」ようです。

+ + +

あとは第5章「江戸琳派」の名品に心を揺さぶられたように思う。酒井抱一の《十二か月花鳥図》は前後期で半分ずつの入替展示らしいのですが、今回は〈五月〉に描かれた菖蒲の鮮やかさと、〈八月〉のひまわりのエグさが双璧でありました。
鈴木其一の《青桐・紅楓図》に表現された雨にはため息しか出ません。いくつもの呼び名がある雨のヴァリエーションを正確無比に描写してますよね。。《群鶴図屏風》は何度見ても可笑しい。変な絵だよなあ。

僕が出かけた日は東京展のときに比べれば空いていたほうだと思うけど、この美術館にしては超大入りの部類だと思われます。あんまり広い会場ではないのでちょっと窮屈な感じもしますね(前述の《十二か月花鳥図》を廊下の壁に引っ掛けていたのはどうかと思った)。5月14日に展示替えアリ。公式サイトはこちら
by Sonnenfleck | 2007-04-29 17:17 | 展覧会探検隊

バイバイ、スラーヴァ…

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チェロのロストロポーヴィチ氏が死去(4月27日/asahi.com)

なんだかとても空しくて悲しい。音楽家の死に際していつも感じる、もう実演を聴くことはできないのだという「感慨」ではなく、これをもってついにソヴィエト音楽史のひとつの段階が閉じたという脱力感が強いのです。ショスタコーヴィチとプロコフィエフをして「彼のための音楽」を書かしめた最強のチェリスト、、ロストロの指揮に(少数の例外を除いて)まったく共感できなかった僕の中では、彼のイメージはそこで止まっています。人権活動家とか、どうでもいいし。

たった一度だけ聴いた実演が、指揮でなくチェロだったのは幸運でした。
2003年の12月、たぶん日本で受けた勲章へのお礼として、東京文化会館で一夜限りの演奏会が催されました(当日は皇后陛下と紀宮が連れ立っていらっしゃっていた)。
あのときは現田茂夫/新日フィルをバックに、ハイドンとドヴォルザークの協奏曲を弾いてくれたのです。ハイポジションの音程を中心に左手はさすがに衰えていたのだけど、巨大な空間を作り出す右手は健在であり、濃厚なドヴォルザークの節回しは驚異的だった。
でも…あの日、アンコールで演奏されたバッハの無伴奏チェロ組曲第2番のサラバンドが、本当に忘れられない。一音一音が深々として柔らかく、しかし一瞬どろりと蠢いて、最後は空気に溶け込んで消えるのです。あの5分間は永遠に続くように思われて、息もできなかった。目の前を、何か得体の知れないものが通り過ぎていったのだ。

合掌。
by Sonnenfleck | 2007-04-28 07:49 | 日記

青空のウィトゲンシュタイン

c0060659_647387.jpg【ウィトゲンシュタインのラヴェル@Blue Sky Label】
●ラヴェル:左手のためのPf協奏曲
→パウル・ウィトゲンシュタイン(Pf)
⇒ブルーノ・ワルター/
  アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
(1937年2月28日録音)

せっかく登録したのに聴きにいく時間がない!やっぱりこれ系は本気で時間を割り当てないといかんらしく…NMLは有料なぶん、さらに焦燥感があるのではないかなと。。のんびりやっていくには青空のライブラリで十分満足してます。

さて伝説の「喧嘩上等」初演ピアニストによる、ラヴェルの左手協奏曲です。初演が1931年だから1937年ではまだまだゲンダイオンガクですよねー。
しかし、予想外に洗練されている。。
かなりはっきりと拍節感が意識されていて、オケもピアノもきりりと引き締まった響きを提供してくれるのです。だいたい冒頭の長い上り坂でコントラFgとバスClの競争が聴こえてきて面白いし、最初のカデンツァでピアノが踏むステップの鮮やかさ、それを受けてバリバリと轟くラッパの小気味よさは実に萌えでありますよ。曖昧なところなんか微塵もない
中間部はいささか乱れもありますが、Fl(ピッコロ?)とピアノが戯れる局面など、正確なメカニックに支えられた極めて現代的なセンスのラヴェルだと思う。最初の旋律が回帰する直前のピアノ、そしてコーダに向かって急激に収束してくる木管群なんかは、完璧ではないか?

で、贅沢に聴き比べをしてみます。
すでに感想文を書いたシュヴァリエ+インマゼール/アニマ・エテルナのラヴェル、ここで演奏されている「左手」の感じとは、実はそんなに似てません。
シュヴァリエが弾く1905年製エラールの音は、確かに70年前に録音されたウィトゲンシュタインの音とかなり重なるのですけど、インマゼールたちの主眼はまったりとした流れの中であくまでも「楽器の音とそれによって作られる階層を聴かせる」点にあるような気がする。ウィトゲンシュタイン+ワルターによる一気呵成の魅力とはちょっと方向が違いますね(ミュンシュくらいまでは実際にこういう一気呵成型の天下だったのかなと思う)。もちろんどちらにもよさがあるのだけど。
by Sonnenfleck | 2007-04-27 06:49 | パンケーキ(20)

平成19年度熱狂計画

c0060659_8462816.jpg今年は行きます。ラ・フォル・ジュルネ
一昨年のベートーヴェン大会で味わった高揚感は、いまだに忘れられません。どっちに歩いてっても演奏会やってるんですからね。コンサートゴアーとしてはマタタビくらった猫みたいなアッパー系恍惚なのです。
とりあえず4日だけ、正午から晩までパラパラと押さえましたが、もう激しく売り切れてるんですよー。コルボのオール・フォーレと、クニャーゼフのミャスコフスキー、聴きたかったなあ。

パスキエ+ピドゥ+ペヌティエのラヴェルPfトリオ(正午~)
  →華やかな導入。

クニャーゼフ+リス/ウラル・フィルのドヴォルザークVcコン(14時半~)
  →恐怖のホールA。眼前で拡散するロシアンドヴォ。…っていうかウラル?

ダルベルト+葉詠詩/香港シンフォニエッタのドヴォルザークPfコン(18時~)
  →ちょっと間をおいて連続ドヴォ。実はPf協奏曲って聴いたことがないのです。

ロイス/CA+MFのストラヴィンスキー《結婚》(19時45分~)
  →言わずもがなの大本命。こんな曲を聴き逃すわけにはいかない!

コントレラス+エッセール/ポワトゥ・シャラント管のファリャ《恋は魔術師》(22時半~)
  →山尾さんもオススメの夜テンション★ファリャ。これもめっさ楽しみなのですよ。

しかしですねえ。ぶらあぼをめくってて思ったんですけど、このGW、関東ではラ・フォル・ジュルネ以外の演奏会がある程度微妙な状況に陥っているのです。。あえてぶつけないようにしてるんでしょうか>マネジメントさん各位。ちょっと逃げ腰すぎないか?それってマルタン氏が望んだ状況なのか?
by Sonnenfleck | 2007-04-26 07:05 | 演奏会聴き語り

【アニメ】のだめカンタービレ第13話

c0060659_653026.jpg【2007年4月26日(木) 東海テレビ(予定)

YouTubeだけでなくニコニコ動画にまで頼るのは倫理的にどうかなと思いますが(あそこはさすがにね…)、オンデマンドのなんと便利なこと。。ホントに助かります。今週も無事に試聴できた第13話、Lesson30(R☆Sオケへの助走)Lesson31(卒業演奏会と打ち上げ)と、内容的には順調に原作を消化していますね。

ジョリヴェ!
第13話の頂点は、ジョリヴェをBGMに従えた真澄ちゃんの独白でありましょう。
確かに相変わらず動きはなかったけど(もう慣れました)、あの不良っぽいジョリヴェの旋律が民放のアニメで流れていることへの感激が強く、また止め絵も普通のセル画?ではなく絵画的で、大変素晴らしいシーンになっていました。
しかしアニメ版を見るたびに思うのは、声優たちの表現力の豊かさなんですよね。第12話の多賀谷彩子の独白でも感じてましたが、重要な独白が頻発する原作の雰囲気がしっかりと再現されているのは、ひとえに声優たちのおかげなんじゃないでしょうか。宮崎アニメに出てくる俳優・タレントの語りが酷いのとは対照的に、職業声優の偉大さを感じ始めている次第。

今週のクラヲタポイント
・2次試験でドビュッシーの《シランクス》、本演奏会でリストの《メフィスト・ワルツ》第1番、そして「太鼓の達人」で一瞬ベートーヴェンの《トルコ行進曲》。ドラマ版であったライトモティーフ的なクラ曲使用がほとんどないので、本編に関係した曲が流れるとよく目立ちます(何度も書いてますが)。こっちの使われ方のほうが好きです。
・次回はエルガーのVnソナタ、来そうですね?
by Sonnenfleck | 2007-04-25 06:54 | on the air

アデオス・アントーニオ!

c0060659_2142430.jpgふと気がつくと、ヴィヴァルディ・エディションがラックの中で増殖し続けている。なんというホラーでしょう(笑)
ヴィヴァ党でない僕がkimataさん@naive番長(スイマセン)を差し置いて感想文を書くのは気が引けますが、、元不良チェロ弾きとしては大いに気になっていたクリストフ・コワンの新録、ヴィヴァルディのチェロ協奏曲集を買いました!(もちろん同時リリースのマンドリン&リュート協奏曲集もゲット。)

c0060659_2144170.jpg比較対象として文句ないのは、94年に録音された「ヴィヴァルディ ヴァイオリンとチェロのための協奏曲集」(TELDEC)。今回の新譜と同じく、コワン+オノフリ+アントニーニ/イル・ジャルディーノ・アルモニコというメンツで演奏されたこの13年前のヴィヴァルディですが、新譜とこれが劇的に異なる点を挙げるとすれば、アントニーニとイル・ジャルがその恣意的なスタイルを止めたという点に尽きるような気がします。
もちろん、同じ曲が演奏されているわけではありません。94年録音のほうは恣意的な身振りがしっくりくる元気のいい曲が選ばれ、06年録音のほうはコワンの上品な甘みが生きるしっとりした曲が集められている。しかしそれにしても、イル・ジャルの特色であった派手なアクセントや楽音以外の音への愛が薄れるいっぽう、線が細く鋭い静けさが新たに漂っているのですよ。アントニーニが変わったか、イル・ジャルのメンバーが丸くなったか、あるいはコワンの世界に引き寄せられているのか。
期待とはずいぶん違う演奏なのですが、、かつて札付きのワルだった男がその凄味を内側に残したまま年を重ねたようで、非常に魅力的な音盤になっております。緩徐楽章を聴かせるヴィヴァルディって素敵ですね。最後のRV421のラルゴが、なんとも素晴らしい泣き節。。
by Sonnenfleck | 2007-04-23 21:23 | パンケーキ(18)

名古屋フィル 第335回定演

c0060659_847187.jpg【2007年4月20日(金)18:45~ 第335回定演/愛知県芸】
●ブリテン:《シンフォニア・ダ・レクイエム》 op. 20
●ハイドン:交響曲第100番ト長調 Hob.I-100 《軍隊》
●同:Tp協奏曲変ホ長調 Hob.VIIe-1
  ○アンコール 同:同第3楽章
→マティアス・ヘフス(Tp)
●オネゲル:交響曲第3番《典礼風》
⇒高関健/名古屋フィルハーモニー交響楽団


ホールの柔らかい椅子に身を沈めて戦争を聴く。
両端は、それぞれの3つの楽章の題名としてラテン語が引用された「20世紀のそういう」作品。真ん中の2曲は、軍楽隊のパロディと信号ラッパ。重い...重いプログラムです。

僕にとってブリテンはまだまだ未開拓の作曲家で、《シンフォニア・ダ・レクイエム》も今回初めて生で聴いたのですが、全体にじんわりと漂う冷たく湿った感じ、およびこの曲の第2楽章に現れる「この世のありったけの悪意」には震え上がる思いでした。冗談抜きで。
第1楽章〈ラクリモーサ〉冒頭のティンパニの強打、金管の鈍い轟音が、ホール中の空気を冷たくします。日常からの空気を断絶するため、全体に釣り合わないくらいの爆発を冒頭に持ってきたのかな。木管主導の不吉な歩みの中で、ASax(堀江さんという方、客演とのことです)が瑞々しい響きを一瞬だけ残して、また曇天モノトーンの行進に戻る。
震えるようなパッセージから突入する第2楽章〈ディエス・イレ〉は縦の線があんまり合ってない印象を受けましたが、破れかぶれの量感、その中での管楽器の存在感には感心しました。先ほど清新な印象を与えたASaxが、今度は善人を篭絡するような妖しい悪意を持って歌う。パントマイムのような終結部分にはトゥッティ全体にキレがあり、ゲネラルパウゼも成功、高関氏もこのへんは激しいアクションです。そして訪れる第3楽章〈レクイエム・エテルナム〉の平安、抑制の効いた「平安」の表現に真実味がある。

真ん中のハイドン2曲は、、苛烈な音響から解放されたお客さんの安堵に満ちた拍手がいちばん印象に残ってますね^^;; この作曲家は聴かず嫌いなのでよくわかりません。ブリテンのままの巨大な編成でようやるなあという感じ。Tpソロのヘフスという人は美音というより音の抜けのよさが特徴的でした。

で、《典礼風》。この日もっとも輝いていました。素晴らしかった。
「機能美」とでも言うべき第1楽章〈ディエス・イレ〉、比較的遅めのテンポで開始されて、残酷な描写が続きます。その中でも核になるいくつかのパッセージが明確に強調されているので、無理なく聴くことができる。こういう啓蒙的なところは高関氏の特徴かな(なおこの日の演奏は楽譜の指示にあるマルカートではなく、ややテヌート気味)。HrとTbがいつも以上にどっしりと安定していて、ちょっと線が細い名フィルのTpをフォローしてました。Hrのベルアップがかっこよかったっす◎
第2楽章〈深き淵より叫ぶ〉の絶叫が物凄く美しかったので、この日聴きに行った甲斐はあったというものです。重量で勝負することが比較的多い名フィルをとことん抑制して、痛々しいくらいの美を表出させますよ。「鳥の主題」も薄くて儚いなあ。。あとはVcの高音域の音程がもうちょっとだけ揃っていたら最高だったのだけど。
第3楽章〈我らに平和を与えたまえ〉。ここはテンポを上げて攻めます。中間部でのトゥッティのクライマックスで、銅鑼に文字通りの最強打を指示していたのには驚きました。凍りつく会場。…そうしてVcとVnのソロを経て、再び訪れる「鳥の主題」。ブラヴォ!

なのにお客さんの拍手はこの日最弱。みんな帰り支度してるし。悔しい。。
by Sonnenfleck | 2007-04-22 08:47 | 演奏会聴き語り

タッシの時代

c0060659_215597.jpg紙ジャケはサイズがCDラックに合わないから好きじゃない。
別に郷愁は湧きませんしね。でもいつかデータが幅をきかせるようになって「CDはスペースを割かなきゃいけないから嫌い」って言われ始めたら、そのときは郷愁するかも。

紙ジャケが嫌いで、ましてタッシのリアル世代ではない僕が、いまこの「TASHI PLAYS STRAVINSKY」を聴いて非常に良い印象を持つのはなぜか。それはやっぱり、彼らの「素」、彼らを取り巻いていた時代の雰囲気を直に感じることができるからなんじゃないかと思いますね。

たとえば《七重奏曲》なんかは逆に精一杯クールなふりをしているらしいところが「熱い」のですよ。まあ何をもって「クールなふり」としているのかと問われると困るんですが、それまで飄々としていたのに突然重々しい殺気が漂う第1楽章のコーダから第2楽章パッサカリアにかけてのあたりを聴くと、ああこの人たちはストラヴィンスキーを使って自分たちの歌を歌おうとしているんだろうなあという気がする。第3楽章ジーグは逆階段状の譜面が浮ぶような分離感…よりも、互いに競い合う陸上部的な爽快感が素敵です。

それに《兵士の物語》では、ヴィヴィッドな切り込みよりもVnとClの泥臭さのほうが表立って聴こえるんですよ。VnもClも音楽史の文脈で見ると高貴な楽器じゃないし、カヴァフィアンもストルツマンもストラヴィンスキーが考えた芝居小屋的な下品さにかなり接近していると思う。
ただしひとりピーター・サーキンだけは彼らしいオサレな路線のピアノから踏み出すことがなくて、後のタッシの成り行きをなんとなく想像させます…。逆に《イタリア組曲》ではサーキンの繊細な感覚が優れていて(〈セレナータ〉の微妙な襞々は凄い!)、Vcのシェリーはちょっと抑えてほしいところ。。
by Sonnenfleck | 2007-04-20 23:09 | パンケーキ(20)

on the air:チョン/東フィルの《トゥーランガリラ》

日曜夜の「芸術劇場」がこの4月から金曜夜に移動してしまいました。そりゃ日曜夜よりはリラックスして楽しめるけど、そもそも金曜夜はそんな時間に家にいないよっていう人、結構多いんじゃないかなあ。
いっぽう日曜午後のNHKFMは、「FMシンフォニーコンサート」「海外クラシックコンサート」に吸収される形で消滅し、4時間にわたる巨大帯「サンデークラシックワイド」が誕生。といっても内容のほうは柔軟に構成してくれるみたいで、この日曜日はこれまでどおりの「東フィルアワー」4時間拡大版でありました。放送されたのは飯森氏指揮の座間公演と、チョン指揮のオペラシティ定期でしたが…前者の微温ぶりには衝撃を受けました。いまどきあんなに保守的なエロイカを振るなんて大した才能だと思いますよ。
で、後半の《トゥーランガリラ》をマジメに聴く。

c0060659_638043.jpg【2007年1月24日 東京オペラシティ】
●メシアン:《トゥーランガリラ交響曲》
→横山幸雄(Pf)、原田節(オンドマルトノ)
⇒チョン・ミョンフン/東京フィルハーモニー交響楽団

〈導入部〉の入りがあんまりにもヘナヘナとだるいので、大丈夫かいな…と思いましたが、徐々にテンションも上がり、アンサンブルも(比較的)整ってきて一安心。
しかし今回の演奏、基本的に線が細いままなんですな。この指揮者って音の大きな塊をぶつけて聴衆を圧倒する芸風だと思ってたのだけど、いったいどうしたんだろう。
東フィルの音がずうっと痩せぎすなのも気になるところで、チョンのこれまでの録音で聴かれるような甘美なうねりには程遠く、むしろ耳に鋭く突き刺さってくる瞬間が多いのです。東フィルってあんまり聴いてこなかったのでよくわからないんですが、ここまで尖ったオケだったかなあ。。そのぶん〈星たちの血の喜悦〉〈終曲〉は攻撃的で面白かった。

しかしいくつかの場所、たとえば〈愛の歌Ⅱ〉後半の官能的な歌い込みなんかは、東フィルの限界いっぱいのベストでありましょう。続けてあの日本の古謡みたいな箇所にさしかかると、それまでにはなかったシナを作ってナヨナヨと歌い崩れていました。ブラヴォ。
by Sonnenfleck | 2007-04-19 06:43 | on the air

軽薄短小の極みといえよう。

c0060659_7144468.jpg日本コカ・コーラ、平べったく、かばんに入りやすいスリムペットボトル飲料(日経BP/4月11日)

こういうの!こういうのを待ってたんですよ!
内容量は450ミリリットルに低下するけど、50ミリリットルの対価として持ち運び易さが手に入るなら、喜んで積極的にこっちを買いますねー。
前に新聞か何かで読んだんですが、コンビニやスーパー等陳列する側の要求が厳しくて、飲料メーカーは独自の形状のペットボトルがなかなか作れないらしいんです。その点これは厚みだけの変更なのでそこにも対応してるわけですね。
でもコカ・コーラ社が特許取っちゃったら他のメーカーには広がらないよなあ…。だいたい同社製品で持ち運んで飲みたいものがないという皮肉な状況でして、第1回発売のラインナップの貧弱さにガックリ来てるのは事実。。そろそろマトモなお茶を作りませんか??
by Sonnenfleck | 2007-04-18 07:26 | ジャンクなんて...