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脱ジャンク410ml

c0060659_6581471.jpgこないだANAに乗ったら、機内ドリンクサービスのラインナップに「アップル&マンゴー」っていうジュースが入ってたんですよ。『翼の王国』には期間限定って書いてあるし、前のリーマンも隣のおばさんもみんな頼んでるのでそれに従ったんですが(付和ライディーン)、いやー美味しいんですわこれがー。鼻に抜けるマンゴーの香りと、どろりと贅沢な舌触り…紙コップ一杯なんてあっという間ですから、なんとも瞬間的な至福。

で、昨日コンビニに入ったら、ペットボトルの棚にあるんです「アップル&マンゴー」が。410mlで168円なのでちょっと割高でしたけど、風呂上りに扇風機の前でぐびりぐびりとやってみましたら、実に南国の夜。思わず《マダガスカル島民の歌》に手が伸びそうでした。いや、マダガスカルってマンゴー生えてるのか。
by Sonnenfleck | 2007-07-30 06:59 | ジャンクなんて...

有田正広 レクチャーコンサート@宗次ホール

c0060659_13521417.jpg【2007年7月28日(土)14:00~ 宗次ホール】
●ドビュッシー:《パンの笛、またはシランクス》
●ランベール/オトテール編:ブリュネットとドゥーブル《ある日ぼくのクロリスは》
●ファン・エイク:《ダフネが最も美しい乙女だったとき》
●同:《イギリスのナイチンゲール》
●同:《わが麗しのアマリッリ》
●テレマン:無伴奏Flのための12の幻想曲~第7番ニ長調、第8番ホ短調、第12番ト短調
●C.Ph.E. バッハ:無伴奏Flソナタイ短調 Wq.132
●クープラン:《恋のうぐいす》
●ドンジョン:3つのサロン・エチュード op.10-1~3
●ブラヴェ/クヴァンツ/有田編:無伴奏Flのための組曲ホ短調
  ○アンコール クヴァンツ:練習曲から
⇒有田正広(Fl、ピッコロ)


一ヶ月ぶりのコンサート。。
CoCo壱番屋の創業者である宗次徳二氏が、この3月、名古屋・栄の中心部に建設したのが「宗次ホール」であります。これまで行きたいと思うコンサートがひとつもなかったんですが、今回ようやく面白そうなプログラムが出たので行ってみました。

座席数310なので東京で言えば白寿ホールとほぼ同じくらいのスペックですが、広くはないスペースを無理矢理2階建て構造にした感があるので、体感的にはさらに狭い。実際に昨日体験してみて感じたんですが、たぶんあの狭さではピアノ一台がぎりぎり限度だろうし、弦楽四重奏ですらちょっと圧迫感があると思うんです。いやーでもクラヴィコードが理想的に聴けるホールなんて最高じゃないですか?せっかくいい箱持ってるんだからがんがん古楽やってくださいよー。マダム向けのゆるいプログラムも必要だろうけど、名古屋の古楽ヲタは絶対的に飢えてるので(少なくとも僕はそう)、どうか温かい施しを。。

今回は有田氏のレクチャー付きコンサート。解説だけでなく、有田氏所有のフルートが何本も登場し、ピリオド楽器同士の細かな違いとそれに伴って移り変わる作品の印象が楽しめるという素敵な趣向でした。聴衆は150人くらいかな。もったいない。
フルートにおけるピリオドとモダンの構造的な違いって知らなかったんですが、モダンは中が寸胴の円筒形、ピリオドはおしりに向かって内径がすぼまる円錐形らしいです。したがってモダンは細かなニュアンスを犠牲にして大きな音を獲得したのに対し、ピリオドはホールに響き渡る音量を持たない代わりに発音の素早さと陰翳豊かな音色を確保していると。

初っ端のドビュッシー《パンの笛》、楽器の見た目は光り輝いているのでモダンで演奏するのかと思っていましたら、先年カナダの教会の地下から未使用状態で見つかった1867年製ピリオド楽器とのことで、確かにちょっとくぐもった温かい音色…。
音色の点で最も驚いたのはクープラン《恋のうぐいす》で使用されたa'=396のバロック・ピッコロで、これは明らかにモダンの突き刺さるような音とは異なるのです。普段ミンコフスキの録音なんかでバロック・ピッコロは聴いてるはずですが、改めて実物に接するとその柔らかく官能的な音に惚れ惚れとしますね。繰り返し後の微妙な装飾が本当に美しく儚く響きます。

1740年ごろに製作された総象牙の白いフルートで最後に演奏された、ブラヴェとクヴァンツの組曲ホ短調もよかったのだけど(「音が骨っぽくて硬い」という印象は全然大袈裟じゃない)、この日の白眉は個人的にはテレマンの《無伴奏Flファンタジー》かなあ。特にフランス風序曲を模した第7番ニ長調!たった一本の横笛の後ろに、あの豪奢な付点と繊細なフーガが立ち上ってくるのが聴こえるんですよ。涙が出た。

この日の夕食はもちろん、建前的には宗次ホールの繁栄を祈念して、本音的にはもっとまともなプログラムのコンサート増やしてよねというクラヲタの願いを込めて、ココイチのチーズカレーをざらざらと掻き込んだわけでした(やましい気持ち)。
by Sonnenfleck | 2007-07-29 13:52 | 演奏会聴き語り

真夜中から明け方の悪魔

c0060659_2215332.jpgエントリが2日空いたのはかなり久しぶりかも。今の気持ちを名古屋風に表現すると「どら忙しいでかん」です。3日ぶりに帰宅して、もうへとへとですが、フォルクレ浴。

おなじみスキップ・センペのクラヴサンと、ジェイ・ベルンフェルトのヴィオールによる、アントワーヌ・フォルクレのヴィオール曲集。そこへ息子ジャン=バティストの手になるクラヴサン編曲版が仕切り板として挿入されて、自在な(もっと言うと雑駁で心地よい)プログラムが作り出されています。センペファンにはたまらない企画ですね。

ここでのセンペとベルンフェルトは、アゴーギクでもって聴き手を脅かしたりすることはなく、華美な装飾音をぶら下げることもなく、水際立った鋭いタッチを打ち込むこともなく、「悪魔のフォルクレ」が書いた音楽をただ自然に表現しています。
フォルクレの音楽は(たとえばマレの一部やほとんどのクープランに比べればずっと)表出性の高い音楽ですから、センペ連ならやろうと思えばいくらでも過激にできると思うんですが、その方向へは進まず、素材の味をそのまま伝えることに特化している。もぎたての野菜にドレッシングをドバドバとかけるのは素敵な作法ではないでしょう。
〈ポルトガル人〉の切ない節回しを右手で軽く表現するベルンフェルト。いっぽう、「同僚描写シリーズ」〈クープラン〉〈ルクレール〉〈ラモー〉はすべてセンペのソロで、憂鬱質・空虚な華美・鈍重な荘重が抉り取られ、そのまま放置されていくのでした。
by Sonnenfleck | 2007-07-28 03:35 | パンケーキ(18)

20世紀美術の森@愛知県美術館

c0060659_7131551.jpg愛知県美術館の開館15周年記念ということらしく、愛知・岐阜・三重の県立美術館が収蔵品を持ち寄って、「20世紀美術の森」を形成。…よさげなテーマだし普通なら楽しい気分で出かけるところですが、僕は愛知県美術館の空間が大嫌いなので、あそこでの展示と思うと気が重いわけです。

明らかに広すぎ、安っぽく、15年の歴史がただ汚れとして付着しているあの空間。今回は、いつもは仕切られている最も大きな部屋をぶち抜きにし、その場所に「森」と称して多くの作品を所狭しと配置しただけの大雑把な展示であります。呆れるとともに開き直りのようにも感じられて、あんまりいい気分ではなかった。ファミレスみたいに均質で、翳がない。

鑑賞者の動線がぐちゃぐちゃになってこその「森」、干渉し合ってはいけない微妙な作品が互いに重なって視界に入ってこその「森」なのでしょうか。ルドンの《眼を閉じて》の隣にどうしてクリムトの《黄金の騎士》を置くんだろう。またどうして、その向かいにクレーの《蛾の踊り》を配置するんだろう。それでいいんでしょうか。
巨大な「森」をぐったりしながら通過して、最後小さな部屋には申し訳程度に映像作品の展示がありました。さわひらきという作家の《Going Places Sitting Down》、三面のスクリーンに、室内の風景を遠景と同化させた、それぞれ異なりながらも微妙に時間軸がずれたりして関わりのある映像を写します。室内なのに川だったり森だったりするのでこちらの遠近感を狂わせ、なかなか不気味…しかし絶えず大量の木馬群が登場して心を和まされる、変な映像でした。これは面白かった。
by Sonnenfleck | 2007-07-25 07:45 | 展覧会探検隊

うちゅうの ほうそくが みだれる!

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ニコニコ動画にFF5のBGM集が複数UPされてました。
(あそこに一度アクセスすると時間があっという間に過ぎてしまうので大変恐ろしい。)
ゲーム音のままのほうをひととおり聴いて懐かしみ、そのあとPf編曲版を聴いたんですけど、《はるかなる故郷》(名曲!)がヤナーチェクみたいになってて吃驚したです。これって編曲も植松氏なのかな?
SFCのままのFF5を、SFCのカラフルなコントローラでやりこみたい。オメガとか。
by Sonnenfleck | 2007-07-24 06:55 | 広大な海

二羽烏の距離

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そういうわけで実家に滞在中。今回の名フィル定期はパスでした(後半のブラームス祭りはかなり期待してたんですが…行かれた方、いかがでしたか?)

実家死蔵のLP、今回はバドゥラ=スコダとデームスによる、シューベルトの四手Pf作品集を聴きました。
ジャケットは《軍隊行進曲》がメインの扱いですが、このLPにはD940・947・951という最晩年の透徹した四手作品がずらりと並んでおり、それらの前ではいささか分が悪い。シューベルト最後の連弾作品《大ロンド》イ長調 D951は…やはり酸素が薄めで気が遠くなりそうです。
バドゥラ=スコダとデームスはお互いの距離感を大切にしてるみたいで、決して「丁丁発止」じゃありません。昔の批評用語だと「学究肌」とか言えばいいのかな? とにかくツンと取り澄ました感じが爽快。(尤もおっさん二人が連弾でラブラブしてたら気持ち悪いのだが。)
by Sonnenfleck | 2007-07-22 11:11 | 日記

胸を熱くするJWW

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●ヨハン・ヴィルヘルム・ヴィルムス:交響曲第6番ニ短調 op.58
●同:同第7番ハ短調
⇒ヴェルナー・エーアハルト/コンチェルト・ケルン

名駅高島屋の新星堂で安く売られていたもの。

ヨハン・ヴィルヘルム・ヴィルムス Johann Wilhelm Wilms は、1772年ゾーリンゲンに程近いヴィッツヘルデンに生まれ、1847年アムステルダムに没した作曲家です。ベートーヴェンの2歳年下ですが、ベートーヴェンの死後も20年生き続け、メンデルスゾーンと同じ年に亡くなっている。長生きしたんですね。
このコンチェルト・ケルンのCDが世界初録音であるのを見てもわかるように、恐らくは「ベートーヴェン世代の群小作曲家」として長い間忘れられてきた存在ですが、1791年以降のアムステルダムではピアニスト=作曲家として確固とした人気を誇っていたようです。

さてこのCDに収録されているのは、交響曲第6番ニ短調(1820年頃)と、交響曲第7番ハ短調(1830年頃)の2作品であります。気になる作風ですが、第6番のほうはフラフラせずにがっちり現実を見るシューベルト、第7番はメンデルスゾーンを飛び越えてシューマンの原型のような筋肉質の幻想性が漂うロマン派ど真ん中、、両曲とも大変な名曲ではないだろうか…。これが現代のオケレパートリーに入っていないのは19世紀楽壇の怠慢ですよ。。

第6番は何を措いても第2楽章の美しさについて触れなければ。
ライナーノーツの中に「アルカディア」の単語が出てきますが、まさにそれ以上しっくりくる表現はなくて、シューベルトで言えば第5交響曲の第2楽章のような感じ。あれの空白域をロマンティックに塗りつぶしたような、力強い抒情が漂います。(もちろん、あの透けるようなテクスチュアがシューベルトをシューベルトにしているのだが―)

第7番の第1楽章はちょっと古っぽい序奏が付き、そのあと見事に漢らしくごついソナタ形式が展開されて、かっこよさに痺れます。同じハ短調でもベートーヴェンの第5のように観念的ではなく(少なからず影響は受けているのだろうけど)、聴衆が入り込む余裕がある。コンチェルト・ケルンのクールな音運びにもブラヴォ。第1楽章からブラヴォ。
第2楽章ポコ・アダージョはABA'の3部形式。中間部で膨れ上がる自意識は各所で熱い共感の涙を誘うでありましょう。いやホントに。
第3楽章スケルツォに辿りついてちょっと驚いたんですが、主題が第1楽章の第1主題に酷似してるんですよ。ここで循環するのもアリだなあ。悲劇的なトリオを挟んで再スケルツォ、熱い第4楽章へ。展開部の雄大なホルンソロを皮切りに「勝利」へ至る過程がほんの少し冗漫な気もしますが…それはほら、浪漫には漫の字が使われているんですもの(まとめ)。
by Sonnenfleck | 2007-07-21 11:26 | パンケーキ(19)

及びもせぬ人の街にて

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東北に出張。

昨夜は日程が早めに終了したのでホテルに帰り、一年ぶりくらいで真面目に相撲中継を見たんですけど、中入後、幕内力士がすっかり知らない名前だらけになってて衝撃。
それにしても結びの一番は…どう見ても魁皇・土俵際馬鹿力の勝利でしょ。白鵬の体が死んでるもん。来年で歴代最年長大関らしいし、いよいよ大銀杏に地肌が薄く透けるようになってきてるけど、僕は最後まで魁皇贔屓でおりますよ。。
ところで魁皇は関根勤に似ているというのが僕の長年の持論なんですが、誰も同意してくれません。
by Sonnenfleck | 2007-07-20 06:43 | 日記

音盤アルプス交響曲(廉)

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う、うず高い。WEB犬から到着。
順に、ストラヴィンスキー大全集(22CD)、チェクナヴォリアンのハチャトゥリャーン管弦楽曲集(9CD)、レーゼルの芸術 独奏曲編(13CD)、日本作曲家選輯 須賀田礒太郎(1CD)。

ストラヴィンスキー箱は当然として、ついに3000円を切ったハチャ箱は、「ユビュ王の食卓」家主さんの書かれておられるとおりセールの常連でしたが、おそらくもうこれ以上は安くはならんなと手を打ったもの。
いっぽう13枚組で2000円を切ってしまったレーゼル箱は、巨大匿名掲示板の「《展覧会の絵》だけで元が取れる」との書き込みを信じて。

45CDで11K弱、1CDあたり250円ちょっと。吉野家の牛丼より安く、コンビニのおにぎり2コと同格なのであります。ものの価値って残酷だなあと思いました。
by Sonnenfleck | 2007-07-19 06:55 | 精神と時のお買い物

海の日とシンドバッドの船

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●R=コルサコフ:交響組曲《シェエラザード》
●同:序曲《ロシアの復活祭》
●ボロディン:交響詩《中央アジアの草原にて》
●同:《イーゴリ公》~〈韃靼人の踊り〉
⇒インマゼール/オーケストラ・アニマ・エテルナ

見事な台風一過。朝から夏らしく晴れ渡った一日でした。こんな日にエアコンの効いた部屋に引きこもって音楽を聴くのは最高ですね(クラ廃人)。

インマゼール/OAEの《シェエラザード》です。棚卸し。
まず聴いてみて感じるのは、この曲特有の押し潰されるような威圧感がまったくないこと。しかしラヴェルに筋肉質の響きを期待する向きは少ないでしょうが、R=コルサコフには分厚い音のカーテンがないとダメ(というかそれが当然と考える)聴き手はけっこう多いでしょうから、一聴、中古屋へ、となった人もいたんじゃないですかね。はっきり言って最初は、響きの精妙さよりも物足りなさのほうが先に来ます。僕もピリオド贔屓のつもりでいますが、それでも慣れというのは恐ろしいもので、、一周目は「なんじゃこりゃ」という感じ。

でも二周、三周としていくと、「普段モダンオケの演奏においても威圧的とは感じない部分」の美感がとんでもないことになっているのに、だんだんと気づかされるんですね。。
弦楽・木管・金管の音量バランスって、楽譜を素直に音にすると自然に金管>弦楽>木管になっちゃうと思うんですよ。作曲家だってこの不等号を念頭に置いて作曲したのは間違いないだろうし、聴き手もそれを当然だと思っている。
ところがインマゼールがここでやってるのは、ノンヴィブラートを基調に、木管を主に置いて、弦楽は土台に、金管はただ一瞬ピリッとくるスパイス程度に扱う(露骨な!)戦術。それによって随所で木管の美しいアンサンブルが浮かび上がってきてるわけです。
効果的なピリオド奏法を選択することでこれまでにない美感が出現するなら、作曲家が意図しなかった(かもしれない)響きを作ることも辞さない、これがピリオドアプローチが結局行き着いた結論なのではないかと最近思うんですよ。誤解を恐れずあえて二元論的に書いてしまうと、最終的にはモダンvsピリオドではなく、やっぱり両陣営がそれぞれ分離して、表現主義vs即物主義になっちゃうんじゃないかなーって。

脱線しましたが、つまりミドリ・ザイラーのVnソロは、ハンス=ペーター・ヴェスターマンのObソロと完全に同格であり、それがインマゼールの意図したバランス感覚ではないかと思うのです。通常粘っっっこくやられることが多い第4楽章冒頭のシェエラザード主題の提示(Vn)なんか実にあっけないもので、明らかにそのあとの祭りの主題・海の主題のほうに主眼がある。「難破」でも、木管が金管の前に出てくる不思議なバランスで、まったく鮮烈な響きが眼前に広がります。最後にほんの軽いヴィブラートで波が引いていく。

そしてノンヴィブラートの《中央アジアの草原にて》が…(ある程度は想像していましたが)衝撃的な美しさです。このトラック、6分強が聴けただけでも、買った価値がある。。
by Sonnenfleck | 2007-07-17 07:11 | パンケーキ(19)