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真にラヴェル、あるいは崖ラヴェル

c0060659_645417.jpg【TRANSART/TRM143】
●ラヴェル:Pf独奏曲(ほぼ)全集
  ■DISC1…《亡き王女のためのパヴァーヌ》、《プレリュード》、《水の戯れ》、《シャブリエに倣って》、《ボロディンに倣って》、《鏡》、《古風なメヌエット》、《夜のガスパール》
  ■DISC2…《クープランの墓》、《HAYDNの名によるメヌエット》、《ソナチネ》、《高雅にして感傷的なワルツ》、《ラ・ヴァルス》
⇒ジョルジュ・プルーデルマッハー(Pf)

今年のベスト、来ました。年に一度はこうして心奪われる新譜に出会いたい。

Google先生もいまだ「プルーデルマッハー」「プリュデルマシェ」論争への明確な答えを出せていません(検索結果のヒット数はほぼ互角)。Pから始まるこのピアニスト、今回初めて聴いたんですが、これまで目にしてきた一部の熱狂的な支持にも十分に納得。相当な天才なんじゃないだろうか。
本当に素晴らしい音楽というのは言葉になりません。アマチュア感想文にとってはそこに切り立った断崖が聳えているように見え、断崖に頬を擦り付けて敬い奉るところでおしまい。断崖が彼にとっての「すべて」になるわけです。その断崖を修験者のように這い上がって言葉にしていく作業が、自己表現としての、あるいはパンを得る職業としての著述になるんでしょうが、僕は臆病者なのでそれ以上はできない。去年聴いたアバドの《魔笛》について、僕はいまだにひとことも書けないままでいます。

それでも歯を食いしばって少しだけ書くとしたら、ここに提示されてるのが柔らかく拡がっていくラヴェルだということかなと思います。硬く収斂していくラヴェルに慣れていた(というよりはそれしかないと思い込んでいた)僕にとっては、本当に新鮮な驚きなのでした。《鏡》、特に〈海原の小舟〉から〈鏡の谷〉にかけてふんわり鈍く光る音の連なりには心の底から惚れてしまいます。はぁ。。
だいたいここでは〈絞首台〉〈スカルボ〉さえ、タオル地にもぐりこむような気持ちよさを備えているんですよ。金色の西日を浴びてゆったりと午睡を貪る気分。はぁぁ。。温かいなあ。。

2003年のライヴ録音ということで、たぶんDISC1と2がそれぞれ一晩の演奏会なのだと思う。上には表記してないけどアンコールが1曲ずつついていますし。ただし聴衆に起因するノイズはまったく聴き取ることができなくて、《夜のガスパール》および《ラ・ヴァルス》が終わった後の盛大な拍手が空虚な不思議さを醸し出しています。
by Sonnenfleck | 2007-10-31 06:47 | パンケーキ(20)

on the air:「名曲のたのしみ<私の試聴室>」(10/27)

c0060659_794747.jpg【2007年10月27日(土)21:00~22:00/NHK-FM】
<ハイドン>
●交響曲第88番ト長調 Hob.I.88 《V字》
●交響曲第92番ト長調 Hob.I.92 《オックスフォード》
⇒ラトル/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(EMI TOCE-55993・94)
●Pfソナタロ短調 Hob.106-32~第2、第3楽章
⇒レイフ・オヴェ・アンスネス
(EMI TOCE-55032)

一日家に閉じこもっていた。寒い雨の土曜日。
部屋が寒いので早めの風呂に入り、ゆっくり暖まってから上がってきてラジオのスイッチを入れると、ちょうど《オックスフォード》第1楽章第1主題の終わり近くでした。
この録音、クラブログ界隈で好意的な評を多く見かけるので、どんなもんなのかなと思ってたんですけど…いいですね。ポキポキしてる。巷のハイドンにはこのポキポキ感が圧倒的に足りないような気がするのは僕だけでしょうか(あんまりハイドン聴いてないけどさ)。
流麗・上品・落ち着き・金持ち喧嘩せず…もしかすると後期ハイドンしか聴いてない僕が悪いのかもしれないけど、こういう要素をモーツァルト以前の音楽には期待していないので、功なり名なり遂げた老人の音楽としか思えない演奏は御免コームリマス。

ただし(少なくとも《オックスフォード》の場合)ヤーコプス/フライブルク・バロック管のように、響きがCPEバッハくらいまで還元されると逆に白けてしまうのがたぶんハイドンの難しいところなんだろう。
その点ラトルは「すべてをありのままに曝け出してしまう」バロック的なメソッドの全面的な援用を抑えて、「語られない旨み」みたいなものを音の後ろに隠してるんですね。BPOの取り澄ました音も、ポキポキしているくせにその後ろの何かを期待させるに十分。外はサクサク、中はしっとり…。(残念ながらヤーコプスは「外はざらざら、中もざらざら」なのです)
あれ?後ろに思わせぶりな何かを置いておくのは巷のハイドンが昔からやってきたことと同じではないかしら。策士すぎるぜサー・サイモン。

さて、功なり名なり遂げた94歳の老評論家は、今でも最前線にいて、青年たちの自己表現にじっと耳を傾けているわけです(そういえば初めてドゥダメルのベートーヴェンを聴いたのも「名曲のたのしみ<私の試聴室>」だった)。この日の冒頭部分を聞き逃してしまったので、吉田秀和がこのラトル×ハイドンについてどう考えているかはわからないけど、次々と新しい表現を追いかける貪欲な好奇心は本当に見習いたいと思うのでした。

ヘッドホンで聴いていると、吉田秀和の語りの背景にごく小さく、秋の虫や鳥の鳴き声が入っているのに気がつきます。鎌倉の自宅でライヴ録音なのか。僕らはあなたの言葉から学ばなければいけないことが多すぎる。
by Sonnenfleck | 2007-10-30 07:16 | on the air

今日は朝からストラヴィンスキー(12)

c0060659_6565829.jpg【DISC12…CHAMBER MUSIC & HISTORICAL RECORDINGS VOL.1】
●ジャズ・バンドのための前奏曲(1937/1953)
●12楽器のためのコンチェルティーノ(1920/52) +
●管楽八重奏曲(1923/1952) +
●11楽器のためのラグタイム(1918) +
→トニ・コヴェシュ(ツィンバロン)
●《タンゴ》(1940/1953) ※
●七重奏曲(1953) +
●《パストラール》(1923/1933) +
→イスラエル・ベイカー(Vn)
●《エボニー・コンチェルト》(1945) ※
→ベニー・グッドマン(Cl)
●管楽器のための交響曲(1920/1947) #
⇒イーゴリ・ストラヴィンスキー/
  コロンビア・ジャズEns(※)、コロンビア室内Ens(+)、北西ドイツ放送響(#)

いよいよ細いイーゴリ小路。。先週に引き続いて気の利いた(さもなくばかなりぶっ飛んだ)小品がいっぱい並んでおります。

ここでは、真面目なクラの文脈から一生懸命離れようとしている作品ほど、演奏者ストラヴィンスキーの真面目さが際立ってしまうというオチがついていて可笑しい。《ラグタイム》とか《タンゴ》とか、もっとクールな、いかにも「それらしい」演奏はたぶんいくらでもあるのだけど、洗練させることよりも意図的にギクシャクさせることでクラの文脈と切り離そうとする演奏者ストラヴィンスキーの真面目さが、やはりここでも独特の面白さを生んでいるのでした。《パストラール》の異常に濃厚な味わいと《ラグタイム》の硬さはガチ(笑)
ジャズ・バンドのための《エボニー・コンチェルト》は有名曲ながら今回始めて聴いたんですけど、難しいことは言いたくないなあ。品のないリズム、品のないクラリネット、品のないトロンボーンの下降音型…かっけーから好き、それでいいじゃん別に。クラリネットはさすがに舌を巻くような巧さで、トゥッティに溶け込んだり浮かび上がったり、ストラヴィンスキーのスコアそのままに自在です。この曲もしかして吹奏楽方面で有名だったりするんですかね。

さてこういった楽しい作品と、クラ枠組み内で作曲された《管楽八重奏曲》《七重奏曲》、および《管楽器のための交響曲》とのギャップを意識しつつ聴くと、また違った趣きがあります。
特に最後の《管楽器...》の真面目に溶け合った響きといったら!溶け合いを忌避している(ような気がする)60年代の演奏者ストラヴィンスキーとは異なり、これが録音された1951年当時の演奏者ストラヴィンスキーは、蒼古とした音のするドイツの放送オケを使って重たい音響作りをに励んでいる模様。重たい…沈む…。

【今日の伴走者たち】
■ラトル/ナッシュ・アンサンブル(CHANDOS)
⇒ラトル22歳の録音。《管楽器のための交響曲》で鮮やかな分離を聴かせます。。この場合は「溶け合わない」というより「分離」だよなあ。うんうん。

■サロネン/ロンドン・シンフォニエッタ(SONY)
⇒低体温《ラグタイム》が絶品。自作自演と同じ曲とは思えない。優劣はないけど。

■アンセルメ/スイス・ロマンド管(DECCA)
⇒彼らの《管楽器のための交響曲》は、、どうも一本変なところに突き抜けてしまった、まるで別の方向から攻めてしまった、そういった奇妙な明るさが特徴かと思います。エビだと思っていたらザリガニだった、みたいな。いやなんか違うな。
by Sonnenfleck | 2007-10-29 06:58 | パンケーキ(20)

午前10時の不戦勝

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名古屋では絶大な人気を誇っている(らしい)N響。今年の1月にはチケットが売り切れて聴けなかったという悔しい経験をしているので、もう早々とチケット買っちゃおうという気になりまして。ブロムシュテットでシューベルトで大ハ長調だし。
発売開始は26日金曜日。翌日土曜の10時に電話してみたら実にあっけなくつながって、あっけなくお目当ての席を確保することができました。ゲルハーヘルの声を真正面で聴くのを諦め、いつもどおり舞台真横の席。やっぱここじゃないとねえ。

調べてみたら、最後に生でN響を聴いたのは2006年の2月、アシュケナージがスクリャービンの《プロメテウス》を振った定期でした。あれからもう2年かいな。。
by Sonnenfleck | 2007-10-28 08:28 | 日記

ほとけのシェルヘン(猟奇的な意味で)

c0060659_7545352.jpg【UNIVERSAL=Westminster/471 263-2】
●マーラー:交響曲第7番ホ短調
⇒ヘルマン・シェルヘン/ウィーン国立歌劇場管弦楽団

秋らしくなりました。クルマのシートに座るとひんやり。
ここ数日、往還の車中で聴いているのがシェルヘンのマラ7です。
大音量でモノラル録音が聴けるのは本当にありがたい>クルマ。

奇数楽章は、何が言いたいのかよくわからない、表現主義的で不気味な瞬間が多く、はっきり言って落ち着きません。当然ラトルのようなデジタル風味ではないし、ベルティーニのライヴのような明解さもないし、テンシュテットのように荒れ狂うわけでもないし、クレンペラーのように拡大された理性が箍として填まっているわけでもなく、さながら苔むして表情も読み取れない路傍の石仏。そんな中で、石仏が「ニィッ」と口の端を持ち上げるような超自然的ドライヴ感を何度も味わうことができるというのが、この演奏の貴重なところのひとつかなと思います(強引な伸縮が多い第1楽章に顕著)。

この録音の何が面白いかというと、偶数楽章に漂っている奇妙な色気なんですよ。
ニッと笑う石仏の近くに、強くて甘い香りのする山百合が咲いている…ほかの録音では味わえない、遠近感が狂うようなその対比が魅力。
特に第2楽章の、ほんのちょっとしたニュアンスが実に美しい。
俗っぽくてジモティな音を持つ、このオケの面々がやりたい放題歌いまくっているんですから、こうした印象も当然と言えば当然。木管の濃厚な歌でリスナーを篭絡しながらも、、中間部の入り口に登場するVcの行進がもたれないところなんか感心します。さすが。

あと第4楽章のVnソロですね。このポルタメント!甘~い!マンドリンも濃厚でたまらん。
秋の朝、あるいは秋の夜、車窓を流れていく日常の風景がぐにゃりと歪んでいく。そんな音楽に耳を傾けるのも悪くないです。もちろん、早めの点灯と一時停止を遵守しつつ。
by Sonnenfleck | 2007-10-27 07:56 | パンケーキ(20)

忘れがたい1962年

八月十六日に、ショスタコーヴィチは息子のマキシムを伴って、一ヶ月ほど英国に行った。この旅行の目的は、ショスタコーヴィチの曲がプログラムの中心に据えられていた、エジンバラ音楽祭に出席することだった。
(中略)演奏会は、質はさておき量でいえば、間違いなく規模が違っていた。それは彼の創作活動の、最初の総括的な回顧演奏会といえるものになっていた。音楽祭は三週間に及んだが、この間に各分野の演奏家たちが演奏したのは、弦楽四重奏曲の八曲すべて、交響曲第四、六、八、九、十、十二番、ヴァイオリンおよびチェロ協奏曲、さらに『マクベス夫人』からのアリアと間奏曲、『風刺』、その他さまざまな時期の作品であった。

(ローレル・E・ファーイ『ショスタコーヴィチ ある生涯』(藤岡啓介・佐々木千恵訳)、アルファベータ、2002年、298-299頁)
という日の、歴史的なライヴが出ました。第4交響曲の西側初演。
昨年発売されたコンドラシン指揮による1963年2月の東ドイツ初演のさらに5ヶ月前、1961年暮れの世界初演から数えても9ヶ月目という、現在聴くことができる最も古い第4の演奏です。すげ。指揮を担当したロジェストヴェンスキーが当時まだ31歳というのも吃驚。

c0060659_76991.jpg【BBC LEGENDS/BBCL4220-2】
●ショスタコーヴィチ:交響曲第4番ハ短調 op.47 ※
●同:《カテリーナ・イズマイロヴァ》組曲 op.114a ※
(1962年9月4日・7日、エジンバラ アッシャーホール)
●同:祝典序曲 op.96 +
(1985年7月8日、ロンドン バービカンホール)
⇒ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー/
  フィルハーモニア管弦楽団(※)、ロンドン交響楽団(+)

レニングラード・フィルやモスクワ・フィルが一緒に行ったわけではないのかな…フィルハーモニア管です。ソヴィエト流のギラギラした音を期待すると、まずは第1楽章の冒頭から見事に裏切られる(笑) アクセントも紳士的なタッチだし、テンポで粘ったりもしないし、これはあくまで理性を貫く構えだなと…最初は思わせる。

第1主題と第2主題を通り過ぎて、トゥッティがユニゾンで行進曲を刻むくだりになると、一気に熱を帯びます。ロジェヴェンらしい非常に厳しいアクセントと前のめりのテンポが(後年の彼自身の録音よりずっと強く!)要求されているようで、例の高速フガートはオケのほうでもついていくのがやっとッス…という感じで息切れ。縦の線もかな~り危うい。。1962年、オケメンは誰もこの曲を耳にしたことがない状況下で、現代のレベルからしても特に遜色ないところまで要求しちゃいますか。
コーダのコーラングレのテヌートに情緒がなくて妙に即物的なのは面白ポイント。この段階では、作品のストーリーやキャラクターまではオケ側に了解されてない感じがします。さらに、ロジェストヴェンスキーにしては真面目で乾いてるなあという印象は、彼自身の中でこの作品へのイメージが醸成され切ってないというところに根があるのかも。

第2楽章はフィルハーモニア管の底力が聴こえてきます。この楽章の(第1楽章に比べれば)簡明なストーリー展開に共感が得られたのだろうか、、特に木管(Fl!)による性格的な描写が第1楽章の比ではないくらい活気を帯びている。
この楽章のマーラーらしいどぎついリズムと俗な旋律が「了解」されている背景に、この演奏の半年前にセッションが組まれているクレンペラーの《復活》が見え隠れするのは…クラヲタ特有の妄想でしょうか。。

で、第3楽章の「わかりやすい」輝かしさ、娯楽性にはさらに吃驚。
たぶんこの曲のこの楽章って、ストレートに演奏するとこういうカーニバル的な雰囲気になるんですよね。あたかも性格的小品が有機的に連結しているかのように、次から次へと楽しい旋律が耳に飛び込んでくる。それでも厳しく激しくモノクロームにやってしまうコンドラシンと、すでにキャリアの初期からサービス精神満点なロジェヴェンのキャラの違いが、このへんの雰囲気の差として如実に現れてると思います。
真ん中に登場するワルツやギャロップの鮮やかな描き分け、そして躁コーダの晴れやかな気分、素晴らしいではないですか。さらに結尾のチェレスタ、Tp、弱音器つきの弦、指揮者が、無理に何らかの「雰囲気」を作り出そうとはしていないところに好感を覚えます。

「演奏」と「録音」によって、この曲ってこんな感じだよねーという「性格」が一般に形作られる前の、貴重な記録。第1楽章におけるオケ側の若干の戸惑いを除けば、若いロジェヴェンによる明るく楽しい造形が聴きものです。オススメ。
ソヴィエトが生んだ超天才であり、歴史的な演奏を任されていたロジェストヴェンスキーの指揮を、40年後の今でも生で聴くことができる東京の聴衆は…その幸せに気づいていないと思う。それとも、チャイコやサンサーンスを楽しそうに振っているあの人は…別人なのか。
by Sonnenfleck | 2007-10-26 07:11 | パンケーキ(20)

*AK* the piano duo concert 003@電気文化会館

c0060659_781046.jpg【2007年10月23日(火)19:00~ 電気文化会館】
●ムソルグスキー:《禿山の一夜》(1台4手 ※+)
●メトネル:《忘れられた調べ》第2集 op.39~ ※
  〈春〉、〈朝の歌〉、〈悲劇的ソナタ〉
●グリンカ/バラキレフ:《ひばり》 +
●プロコフィエフ:《4つの小品》op.4~ +
  〈絶望〉、〈悪魔的暗示〉
●ストラヴィンスキー:《春の祭典》(2台4手 ※+)
  ○アンコール ラフマニノフ:《ヴォカリーズ》(2台4手 ※+)
⇒愛知とし子(Pf※)&加藤希央(Pf+)


禍々しいロシア風味もさることながら、チラシのデザインに惚れた。ジャケ買い。
結果的に内容もよくて、平日の夜に無理をして出かけた甲斐のあるコンサートでした。

2人のきれいなお姉様方の入場、、華やいだ空気、、をどん底に突き落とす、どんより不吉な《禿山...》でスタート。ぐーねぐねととぐろを巻いたような妖しい表情が付き、きれいにまとまっちゃうのかなという先入観は思いっきり覆されて、最後の鐘まで一気呵成に聴かせる。
2人とも「ピアノっぽさ・楽音ぽさ」への拘りを見事に捨て去っており、ピアノの文脈では突拍子もないであろう(たとえば打楽器のような)音を遠慮なく投げつけてくるので、まるでオケを聴いているようでした。これはお世辞抜きです。

いっぽう、愛知さんソロのメトネルではそれが裏目に出たのかなあ。。
〈朝〉なんかはもっと素直にロマンティックに歌っちゃえばいいのに…という瞬間が多かったし(ペダル離してスンドメ!にがっかりすること多数)、逆に〈悲劇的ソナタ〉はちょっとヒステリックにぶっ叩きすぎではないかと思われました。この辺は単に好みの問題かもしれない。

加藤さんのソロで聴くグリンカとプロコフィエフ、この方は怜悧な感じがする鋭い音の持ち主で、それに適合する作品をうまく持ってきたなあという感じ。プロコの〈悪魔的暗示〉はいかにもの選曲で、楽音らしさを捨てた強烈な打鍵にたじろぎます。。

で、《春の祭典》ですけれども。
4手版編曲というとファジル・サイの売れに売れまくった録音が思い浮かびますが、あれがサイ・フィルタを通った異形のハルサイだったことに本日改めて思い至りました。
当夜の*AK* the piano duoの演奏は実に「正統的」というか、オケのスコアを十分に連想させる丁寧な演奏で、感心することしきり(プログラムによれば、当夜の使用楽譜は、作曲者とニコラス・レーリヒによる1台4手編曲版を、さらに*AK* the piano duoが2台4手版に編曲したものらしい。ストラヴィンスキー・マラソンからすると、作曲者にとってどの部分がどれだけ重要だったかが想像できる貴重な時間でした。)

それにしても面白いくらいオケの楽器が目の前に浮かぶんですよ。これはスコアに完璧に目を通していないと絶対に表現できない味だろうし、ピアノだけ聴いてピアノだけ弾いていては到達不可能な地点だと思う。厖大な音が飛び交う〈大地の踊り〉や〈生贄の踊り〉はさすがに指20本でも足りないかなという限界が見え隠れしたけれど、弦のフラジオ、Tpの咆哮、Fgのつぶやき、「芯のある」休符、どれも丁寧に移植されていて非常に好感を持ったです。〈生贄の踊り〉のブレスは物凄い迫力だったなあ。
by Sonnenfleck | 2007-10-24 07:11 | 演奏会聴き語り

頼ったっていいじゃないか 現代っ子だもの

c0060659_710213.jpg発売されてから半年も経って今さらではありますが、新顔・ポテト味がうまー。
あちこちでよく見かける「乾燥マッシュポテト」っていう表現そのままだと思います。これまでこのタイプの栄養補助食品で甘くないものが存在しなかったのはなぜなんだろう。しょっぱいとやっぱし満足感が違いますよ。
次はコンソメスープ味のウィダーインゼリー、よろしく。意外にいいとこ行くんでは?
by Sonnenfleck | 2007-10-23 07:12 | ジャンクなんて...

今日は朝からストラヴィンスキー(11)

c0060659_635209.jpg【DISC11…MINIATURE MASTERPIECES】
●祝賀前奏曲(ピエール・モントゥーの80歳の誕生日のために)(1955)
●小Orchのための組曲第1番(1917-25) +
●小Orchのための組曲第2番(1921) +
●室内Orchのための協奏曲変ホ長調 《ダンバートン・オークス》(1938) ※
●Orchのための4つのノルウェーの情緒(1942) +
●《サーカス・ポルカ》(1942) +
●弦楽のための協奏曲ニ長調 《バーゼル協奏曲》(1946) ※
●15人の奏者のための8つのミニチュア(1962) +
●Orchのための4つのエチュード(1929) +
⇒イーゴリ・ストラヴィンスキー/コロンビア交響楽団(※)、CBC交響楽団(+)

ふう。曲目を書くだけでも一苦労。愛すべき小品がずらりと並んだ11枚目です。
どのナンバーも1分~2分に収まり、副題のある2つの協奏曲の楽章がせいぜい長くて5分、というデザート・ビュッフェのような楽しさ(行ったことないけど)。と言っても、ケーキの上にはレモンピールが乗っていたり、奇妙な形をしたフルーツには奇妙な風味があったり、ストラヴィンスキーらしい苦味がしっかり残っているところに萌えます。。
どれも難しく考え込ませる曲ではないので、テキトーに聴いてテキトーに楽しめればもうそれでいいんだと思う。僕は。それはこの作曲家に対しては失礼ではないような気がする。

冒頭、《祝賀前奏曲》は特にモントゥーを想起させない潔さにネコダマシ。
なかなか面白いのは小Orchのための組曲第1番および第2番でありまして、第1番の第2曲〈ナポリターナ〉のリズムはもしかして〈フニクリ・フニクラ〉のパロディでしょうか?演奏者ストラヴィンスキーはここぞとばかりにバタバタと醜い身振りでサービスしてくれますよ。第4曲〈バラライカ〉の悲惨な旋律には胸が熱くなる。
第2番の第2曲〈ワルツ〉はきっと手回しオルガン。ペトルーシュカの第3幕でバレリーナが踊るあそこの雰囲気によく似ていて、残酷です。
《ダンバートン・オークス》《バーゼル協奏曲》は、まさに前回述べたような「豆餅」感にあふれる作品で、ソロが浮かび上がっては消える合奏協奏曲的なスタイルがやっぱりストラヴィンスキーには合うよなあと再認識した次第。直截な音がするコロンビア響には華やかで娯楽的なマチエールの作品がよく似合う。

で、Orchのための4つのエチュードが最後に置いてあるのが面白い。
第1曲から第3曲までは、1918年に作曲された《弦楽四重奏のための3つの小品》からの編曲ということで、ギョトギョトと引き攣るような第2曲はペトルーシュカを思い起こさせるし、第3曲〈賛歌〉は露骨にハルサイ風の禍々しい響きだし。ビュッフェの最後に「今日の材料です」と言って砂糖や小麦粉が並べてあるような眩暈。

【今日の伴走者】
■アンセルメ/スイス・ロマンド管(DECCA)
小Orchのための組曲第1番および第2番の都会的な情緒は、ドタバタを旨とする自作自演とはまったく異なる解釈。〈ナポリターナ〉なんかは「恥ずかしいから早く終われよ」とでも言わんばかりにあっという間に走り去ってしまいます。響きもドライ。
⇒いっぽうOrchのための4つのエチュードは湿度がずっと高い。特に〈賛歌〉の重厚かつ繊細な音はストラヴィンスキーを喜ばせたんじゃないかと思います。しかしスイス・ロマンドの音がこんなに柔らかく聴こえるとは…コロンビア響とCBC響の音(とCBSの録音)はどれほど…。
by Sonnenfleck | 2007-10-22 06:36 | パンケーキ(20)

精神と時のお買い物Ⅶ

朝目覚めて、肉体的にも精神的にも元気があったら、新幹線に飛び乗って《モーゼとアロン》を見に行くつもりでした。2006年初めくらいからずっと楽しみにしてましたもん。
…しかしこのブログが好調なときは、リアルはあんまり好調ではない。。
このままじゃネト充だな…。リア充にならないとな…。

で、昨日はその悔しい思いをお買い物にぶつけてきました!
BGM:《モーゼとアロン》(ブーレーズ/コンセルトヘボウ)で書き殴ります!ヤケ!

【ピーカンファッヂ 今池店】
1 ベートーヴェン:《プロメテウスの創造物》(PHILIPS) *ブリュッヘン/18世紀オケ
2 ストラヴィンスキー選集(DECCA) *アンセルメ/スイス・ロマンド管

【TOWER RECORDS 近鉄パッセ店】
3 ラモー:《遍歴騎士》組曲(PHILIPS) *レオンハルト/啓蒙時代管
4 ラヴェル:《子供と魔法》(DG) *プレヴィン/ロンドン響
5 ショスタコ:交響曲第4番(BBC) *ロジェストヴェンスキー/フィルハーモニア管
6 ラヴェル:Pfのための作品集(TRANSART) *プルーデルマッハー

【バナナレコード 本店】
7 ポポフ:交響曲第1番(TELARC) *ボットスタイン/ロンドン響
8 タルティーニ:Vnソナタ集(ARCANA) *ガッティ+ナシッロ+モリーニ

【HMV 栄店】
9 シューベルト/ベリオ:《レンダリング》(OEHMS) *スダーン/モーツァルテウム管

+ + +

⇒1。もはや到底見つかるまいと思っていたブリュッヘンの《プロメテウス...》がなんと未開封で出てたので、思わず引っ掴んでしまったです。1月の新日フィル客演から12年前の録音…すでに和やか時空なのだろうか。。
⇒安かったので2も購入。ストラヴィンスキー・マラソンには伴走者が必要みたいなので。だいたいアンセルメを聴かずにストラヴィンスキーを語っていいのかと。

⇒5はタコ4の西側初演とのこと。買わねばです。
⇒そして6、プルーデルマッハーのラヴェル集ですが、大きな匿名掲示板でなかなか評判がいいので買ってみることに。プリュデルマッシェール?どちらの表記が正しい?

⇒ちょっと疲れて来、ほとんど期待せずに入ったバナナ本店でまさかの7と8発見。バナナはメジャーレーベルのメジャー作曲家の音盤が圧倒的に多数を占めるんだけど、たまーにこういうおかしな出物があるので侮れません。
特に8は、あちこち探しても「ARCANA...NAICANA...」で完全品切れだったガッティのタルティーニ!!まさかまさかこんな身近に転がっているとは。BGMのモゼアロにご退場いただき、さっそくこのタルティーニをトレイに乗せて聴いてみてるんですけど…はああああ。こういうのを「耐え切れない美しさ」って言うんですかね…ミゾオチのあたりにグッと来ます…。
by Sonnenfleck | 2007-10-21 09:24 | 精神と時のお買い物